☆ 1991年11月24日


 異論も目一杯あるでしょうが、この日を私は「QUEENが終わった日」と認識しています。ただ、決して「ファンでなくなった日」などではありません。(たぶん、そういう日は、来ないと思います。)
 QUEENはFreddie、Brian、Roger、Johnの四人であり、誰か一人変わったても、それはもうQUEENではありえないと思っていました。ましてや、失ったのはQUEENの表看板。たとえ誰か新しいヴォーカリストを入れたとしても、Freddieのかわりには、決してなれない。「No One But You」だと思っています。

 前日の朝、新聞に「クイーンのヴォーカルもエイズであることを告白」というような見出しで、小さな記事がありました。マジック・ジョンソンがAIDSキャリアであることをカミングアウトして、さほどたっていない時でした。はっきりとは覚えていないのですが、「私はこの病気と戦っていく。この病気がいつか克服されることを、私は医師たちと祈っている」というような内容、だったように思います。(ニュアンスは、違っているかもしれませんが)
 「ああ、やっぱり」──噂からすると、その危険性は充分にあるだろうな、と思っていたので、さほど驚きはしませんでした。そして、それほどその事実を重くは受けとめなかったのです。AIDSはたしかに当時(今も)不治の病ですが、キャリアであっても発病しないケースもあるそうだし、どっちにしろ先のことだろうと。先のマジック・ジョンソンの発表の印象が強すぎたのか、Freddieもまたキャリアであり、また発病している段階ではないと、勝手に思いこんでいたのです。

 翌日の夜、友人から電話がかかってきました。彼女もまたQUEENファンで、一緒にコンサートに行ったこともあり、結婚してから、札幌に移り住んでいました。遠距離ゆえ、久しぶりの連絡でしたが、彼女は開口一番、言いました。
「フレディ・マーキュリーが死んじゃったわよ!」
「えっ、嘘!」
私はそう言ったきり、驚きのあまり言葉を失いました。本当に、あんまり急すぎる。昨日の発表はなんだったんだ。もうそんなぎりぎりの状態まできていたのか。そんなこと全然考えもしなかった──
 友人の電話のあと、すぐに妹に電話しました。妹も同じくQUEENファンで、コンサートもアルバムも共有しあってきています。知らなかったらしく、一瞬絶句していました。そしてひとしきり、思い出話や驚きを繰り返したあと、私は電話を切り、「INNUENDO」をプレイヤーにセットしました。
「INNUENDO」に漲っている不思議な熱っぽさ、あたかも今までのすべてを回顧し、それでも未来に向き合おうとするその力が、深い暗闇からあがき出ようとするかのよう名悲壮さを伴って聞こえたのはなぜか、今、その意味がわかったような気がする──
 聞いていて、目頭が熱くなりました。でも、2、3曲進んだところで、生後三ヶ月の娘がぐずりだし、追悼ムードは思いっきりそがれてしまいました。

 年が明けるころには、何度かラジオの追悼特集を耳にし、訃報を伝える音楽雑誌の記事を読んで、自分なりに「Freddieの死」を消化し、「QUEENの終わり」を覚悟していました。ベビーベッドに眠っている娘を見守り、ヘッドフォンで「INNUENDO」を聞きながら、思ったものでした。
「もう私も、母親としての時代へ入っていけ、と言うことなのかな」と。
 QUEENは、私にとっては青春時代の象徴であり、初めて母になった時、その象徴が終わりを迎えてしまった──それはあくまで個人的な事情にすぎなくて、私にとっての偶然というだけなのですが──ある種運命的なものさえ、感じてしまったものでした。
 もう、熱心な音楽ファンには、なれないのだろう──そんなことすら、当時は思っていました。結局、子供がある程度手を離れたら、戻ってきてしまいましたけれど。





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