☆ ギンザNOW/POPTEEN POPS


 70年代後半、TBS系列で夕方五時から放映していた番組。銀座テレサと言うところで、月曜日から金曜日まで、毎日生放送でやっていました。司会はせんだみつおで、曜日ごとに指向が違っていました。お笑いと音楽のオーディションコーナーもあり、ラビット関根、小堺一樹、桜金造、あごいさむなどが、この番組の「お笑い道場」出身だと記憶しています。「スターへのパスポート」と言う、アマチュア勝ち抜き音楽選手権のようなこともやっていて、清水健太郎などが、ここからデビューしました。当時の中高生に人気の番組で、クラスの話題に、よく上がっていたものです。

 私にとっては、QUEENとの出会いとなった番組でした。‘76年の来日時のことです。
「なんと、QUEENが来てくれましたぁ!」という感じで、せんだみつおが紹介し、そのあとから、長髪の、なんだか「ベルばら」(※後述)に出てきそうな感じの四人の外人さんたちが入ってきて、そのとたん、会場中から、
「キャー――!!!」と、ものすごい歓声が。今のジャニーズも真っ青!の黄色い声です。
「な、何、この人たち!」
 アイドルなの、この人たちが? 外人さんじゃない。ビートルズみたいなもんかなぁ。それにしても、あのカッコ、何なの。派手〜趣味悪〜!(うわぁ、ごめんなさい!)
 その時は別に曲を演奏したわけではなく、(狭いスタジオなので、無理) 通訳の人を介しての、簡単なインタビューだけで、ものの五分くらいの出演だったと記憶しています。インタビューの内容も忘れてしまいました。ただ、QUEENという名前と、その特異な存在感は強烈にインプットされました。
 翌日、友人たちにQUEENを知っているかと聞いたところ、ほとんど「名前だけは聞いたことがある」と言う感じでしたが、一人、「Killer Queenはけっこう好きだよ」と言っていました。
 QueenのKiller Queen? なんだか洒落のようなフレーズに、より好奇心をかきたてられたものです。
 私が「SHEER HEAET ATTACK」を買ったのは、それから二ヶ月後でした。

 それからほどなく、ギンザNOWの木曜日に、POPTEEN POPSという洋楽専門プログラムが加わりました。当時BAY CITY ROLLERSが人気絶頂で、QUEEN、KISS、AREOSMITHの三代バンド人気も盛りあがり、今からは想像もつかないほど、洋楽人気が高まっていた時代でした。だからTBSで夕方五時からという時間帯に、洋楽ONLYの番組が、成り立っていたのだと思います。内容は、リクエストとレコード売上を集計したベスト10もので、その他に新しい注目アーティストなどのフィルムも流したと思います。QUEENもほぼ常連さんでした。
 ちょうど、PVの出はじめの頃でもありました。と言っても、MTVなどはまだなかった時代ですので、プロモーションビデオなどという代物ではなく、たいがい演奏シーンをそのまま取っただけか、それに+α、という程度のものでしたが、洋楽アーティストの動く映像は、当時は貴重で、毎週楽しみにしていました。その頃はビデオ録画など、ごく一部しか普及していなかったので、テレビで見る映像だけがすべてだったのです。





☆ ベストヒットUSA


 80年代初期から後半にかけて、土曜日の夜11時くらいから、放映していた番組です。偏向や私見を交えない小林克也さん(最初は哲也さんと書いてしまいました。ひらやまさん、ご指摘ありがとうございます)の穏やかなトークが、いい感じでした。UHFをのぞけば、当時洋楽のビデオが見られる番組は、これだけだったように思います。ヒットチャートだけ でなく、毎週「Pick Up Artist」として、一つのアーティストの特集もしていました。
 当時、アメリカでもMTVがスタートしていた時代だったので、プロモーションビデオも、70年代後期のライブ映像中心のフィルムとはちがい、嗜好が凝らされ始めたころでした。「ビデオがラジオスターを殺しちゃったよ」という歌がヒットした頃でもありました。(QUEENの「Radio Ga Ga」もそうですね) マイケル・ジャクソンの「スリラー」や、a-haの「Take On Me」など、ヴィシュアルと 連動したヒットが生まれ始めた頃でもありました。
 QUEENに関しては、この番組で「Under Pressure」、「Body Language」、「Radio Ga Ga」、「I Want It All」などのプロモヴィデオを見た記憶があります。

 

 「Popteen〜」が、名の通りティーンエイジャー向けの洋楽入門編なら、これは若い人から大人までみんなが楽しめる、洋楽好きのための番組だったと思います。





☆ 全米TOP40


 今もFM局でやっていますが、(FM横浜で、土曜の夜8時からやっています) 私が聞いていたのは、ラジオ日本(`70年代はラジオ関東と呼ばれていた)で土曜日の深夜、12時から3時までやっていた(もう日曜日?) 湯川れい子さんのDJによる番組です。ビルボードのシングルヒット・チャートを1位から40位まで順に紹介していくもので、ダウン曲をのぞけば、各曲それぞれ3分くらいオンエアされます。先代DJケーシー・ケースン(近年、また復活されています)のオリジナル版も、土曜の午後にFENでやっていました。
 もとは、QUEENのシングル曲がアメリカでどこまで上がるかという興味だけで聞き始めた番組ですが、ここでかかるポップスからカントリー、ロック、ソウル、ファンクといろいろなジャンルの音楽を聞くことで、私の音楽の地平もずいぶん広がったような気がしています。FOREIGNER、JOURNEY、KANSAS、STYX、BOSTON、REO SPEEDWAGON、FLEETWOOD MAC、HEART──いずれも、この番組で曲を知り、好きになったバンドたちです。良い曲、良いアーティストたちを知るには、格好の入門番組でした。
 個人的には湯川れい子さんのDJが大好きで、そのスタンスや、偏見のない音楽観に憧れていました。サンシャインシティなどで、公開録音も何度かありました。
 一度、視聴者からアシスタントDJを募ったことがあって、その時選ばれたのが、スヌーピー、こと今泉恵子さんと、矢口清治さん、あともう一人(・・すみません。失念しました)でした。今泉さんはQUEENファンだったらしく、QUEENに関する熱烈なコメントや、81年の来日時に初めてインタビューした時の舞い上がり方など、聞いていてほほえましかったというか、自分自身を見ているような気分さえしたものです。(今泉さん、失礼しました…)





☆ 深夜放送


 中学生の頃、「深夜放送を聞く」と言うのが、一つのステイタスだったことがあります。「セイ、ヤング聞いた?」「走れ歌謡曲、まで聞いちゃったよ」なんて会話が、よくクラスで飛び交っていました。当然深夜まで起きていたら寝不足で、授業中居眠り、なんて事態もあったのですが、「深夜放送を聞いていて寝不足の居眠り」は、決してカッコ悪くないと言うような感じがあったものです。
   当時の一番人気がセイ、ヤング!だったと記憶しています。毎晩12時か12時半くらいからのスタートで、曜日によってDJが変わっていました。私の記憶では、谷村真司の担当曜日に、よく洋楽がかかっていたような気がします。QUEENの「My Best Friend」を聞いた記憶がありますから。

 今思えば、メディアの限られていた時代、ネットもなかった時代ですので、洋楽をかけてくれる番組は貴重でした。新譜特集として発売前のアルバムから何曲か聞けたり、インタビューが聞けたり、シングル曲だけ知っているアルバムの、ほかの曲が聞けたり、と言うことは、ラジオ番組を通じてしか、出来ませんでしたから。学生の身分では、特に中高生ではレコードを気楽に買うわけにもいかず (中学生当時、LPレコード一枚の値段は、私のお小遣いの2ヶ月分だった)、今と違って高校生でもめったにアルバイトも出来なかった時代ですから、ラジオのエアチェックは、かかせない音源でした。
  深夜でない時間帯にもいくつか番組があり、時々聞いていましたが、番組名は失念してしまいました。あと、夕方ですが、FM東京で4時から6時くらいまで、二時間一つのアーティストだけの特集という 番組がありました。QUEENを初め、FOREIGNER、JOURNEY、KANSAS、STYX、EAGLES、POLICE、REO SPEEDWAGON、LED ZEPPELINE、DEEP PURPLE、TOTO、HEART、それぞれの特集をエアチェックしたテープが、今でも、ひょんな所から出てきます。懐かしい。

※ FM東京で1アーティストだけの番組というのは、もしかしたら記憶違いかもしれません。NHKの「軽音楽をあなたに」と、混同した可能性もあります。すみません。m(__)m 





☆ フィルム・コンサート


 これは放送プログラムではないのですが、この項目に入れます。70年代後半は、まだホームビデオも普及していなかったので、映像作品の一般ビデオリリースというのは、考えられない時代でした。「ウッドストック」も、「ロッキー・ホラー・ショウ」も、ツェッペリンの「永遠の歌」も、THE WHOの「トミー」も、わざわざ映画館に行かなくては、見られなかったものです。
 映画作品をリリースしていないアーティストでは、プロモーションフィルムを集めたり、来日コンサートを独自に8ミリカメラで撮ったものを、何処かの会場を借りて放映することがありました。それが、フィルム・コンサートです。入場料はそれほど高額ではなかったけれど、たいてい有料だったと思います。開催予定は、ファンクラブの会報や、音楽専科などの雑誌の片隅に告知されていました。
 個人的には、‘75年、‘76年の来日を見逃しているので、その模様を伝えてくれるフィルム・コンサートはありがたかったです。が、しかしあたかも本人が目の前にいるような、観客の騒ぎには、正直びっくりしました。「キャーー!!」「ロジャー!!」「ブライアーン!」「フレディー!!」と、会場は黄色い声が飛びかい、本物のコンサートもかくや、と思わせるもの。ジャニーズのコンサートだって、これほどじゃなかった。本物がそこにいるわけじゃなし、フィルムに向かって叫ばなくとも──と、ミーハーなくせに何処かさめていた私は、そんなことを思っていたものでした。
 でも、動く彼らの映像は、それもテレビの画面ではなく、大スクリーンいっぱいに広がる映像は迫力もので、感動したものです。

 映画館方式でなく、狭い会場に椅子を並べて、いろいろなアーティストのビデオやプロモーションフィルムをかけていた、ライブハウスならぬビデオハウスのような場所は、その後もありました。でも、これほど大掛かりで盛りあがっていた上映会は、この時期だけだったかもしれません。
 余談ですが、同時期に、BCRファンの友達と一緒に行った、BAY CITY ROLLERSのフィルムコンサートの騒ぎは、それ以上でしたね。音が聞こえないくらいでした。若いって、良いですね。^_^);





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