☆ KISS 


 たぶんみなさん、ご存知と思いますが、いちおう説明を。Queen、Aerosmithと並んで、70年代後半、「洋楽界の新御三家」などと呼ばれていたような記憶があります。当時はド派手なメイクと衣装、火を吹いたり血を吹いたりというギミック満載のショウで、いくぶん色物的に見られていた感もありましたが、楽曲自体はしっかり作ってあり、演奏技術もあって、人気を誇っていました。
 邦題の「地獄」シリーズもあいまって、けっこうおどろおどろしいイメージとは裏腹に、KISSのギミックの方向性は常に陽性であり、音そのものは乾いていて、スカッとした、アメリカらしい、ノリのいい音楽です。
 メンバー四人がそれぞれヴォーカルをとれ、曲も書けるバンドで、四人同時にソロアルバムを発売したこともあるのですが、そのあたりからメンバー・チェンジやメイクを落としての路線転換など、試行錯誤が始まってしまいました。二代目ドラマー、エリック・カーの死と言う事件もありました。が、近年、メイクを復活させ、'70年代当時のショーを再現することで、復活しています。

 当時の曲で、個人的なお勧めは「Detroit Rock City」と、「Hard Luck Woman」です。
「Detroit〜」は、NHK教育テレビの「ハッチ・ポッチ・ステイション」で、グッチ祐三さんが、当時の衣装で、「犬のおまわりさん」と混ぜてやっています。けっこう笑える。 ちなみにグッチさんは、QUEEN初期の白いヒラヒラ衣装に身を包み、「Bohemian Rhapsody」もやっています。「おなかの減る歌」と混ぜて。これも笑えます。





☆ AEROSMITH

 こちらも、知らない人はいないバンドでしょう。今でこそBON JOVIと並ぶ大御所ですが、70年代後半は、三大バンドの中でも一番苦戦していたようでした。当時からスティーヴン・タイラーはカリスマ性のあるヴォーカリストでしたし、若い時のジョー・ペリーは本当にニヒルでカッコ良かったのですが、QUEENのようなアイドル的華やかさや、KISSのようなド派手さのかわりに、男性的なかっこ良さがあって、「ローリングストーンズの後継者」的な見方をされていました。いきおい、ファンは男性が多かったようです。
 70年代の終わりにジョー・ペリーが抜け、一時期低迷して、完全にシーンに沈んでしまっていましたが、80年代後半、Geffinレコードと契約して、オリジナルメンバーに戻り、移籍2作目の「Permanent Vacation」で劇的な復活を遂げたのは、ご存知の方も多いと思います。
 当時の個人的なお勧めは、「Dream On」。「Mama Kin」や、「Walk This Way」も、いいですが。





☆ BAY CITY ROLLERS

 70年代後期、日本で人気絶頂だった、イギリス産アイドルバンドです。タータンチェックの衣装に身を包んでいたので、「タータン・ハリケーン」と呼ばれたこともあります。
アメリカや本国イギリスでも、当初はかなり人気を誇っていたようでしたが、次第に「Big In Japan」の様相を呈してきた感も。
 絶頂期には、「キット・カット」のコマーシャルに出たり、後続の似たようなバンドがぞろぞろ出てきたり(※1)、日本にもコピーバンドが生まれたりして(※2)いました。QUEEN以上に熱狂的なアイドルファンがたくさんつき、彼女たちはQUEENをいくぶんライバル視していた感もあったようです。

 個人的な体験談ですが、私の友人がBCRファンでした。彼女はいたって普通のファンでしたが、フィルム・コンサートや写真展などのイベントに一緒に行った時、まわりのファンたちの姿に、あっけにとられた記憶があります。まず、メンバーの衣装とそっくりなタータン・ギア(当時、BCRの衣装はそう呼ばれていた)、手にはメンバーに似せた手作り人形をしっかりと抱えています。もちろん全員ではなく、せいぜい全体の2、3割くらいでしょうが、なんとも目立っていました。
 コンサート会場でも、アンコール途中で会場を飛び出すファンが多く(※3)、「それはちょっと、アーティストに対して失礼じゃないかな」と、ラジオ番組で諌められていた記憶があります。(当時のファンの方々には、懐かしい思い出だと思いますので、もし思い当たる方がいられたら、この場でお詫びします。すみません。悪気はありませんので)

 楽曲自体は良く出来ていて、好きな曲も多いです。ベタですが、「Saturday Night」、「Bye−Bye Baby」、それに「Rock 'n roll Love Letter」、「Don't Let The Music Die」なども良いです。でも、「Yesterday's Hero」は、今聴くと、ちょっと泣けますね。
 私は、BCRから洋楽に入りました。初めて買った洋楽のレコードは、「Bay City Roller's Best」でした。それから1、2ヶ月で、QUEENにはまりましたけれど。

※ 1 BUSTER、FLINTLOCK、HELLO、それから一時期ローラーズに在籍したメンバーのバンド、パット・マグリン・バンドやロゼッタ・ストーンなど、明らかにポストBCRを狙ったバンドが、雨後のたけのこのように、わっと紹介された時期があります。でもどれも似たり寄ったりで、いまいち個性不足だったのか、すぐに消えていってしまったようです。
 これらのバンド名を見て、「ああ、懐かしい」と思うあなた、同年輩ですね。(ニヤリ)

※2 伊丹幸男や弾ともやなど、当時いまいち売れなかったアイドル(失礼!)が、タータンチェックの衣装に身を包み、BCRのコピーバンドをやっていたことがありました。私は偶然、池袋東武デパートの屋上で見ました。びっくり! でも、やはり不評だったためか、すぐにやめてしまったようです。

※3 会場から出るメンバーを見るために、アンコールが始まると客席を立って外へ出るファンが続出。そりゃ、アーティスト側も気を悪くするよね。





☆ JAPAN

 70年代の終わり、BCR旋風が一段落した頃、同じくイギリスからやってきたバンド。その後のDURAN DURANなどに代表されるような、「ニューロマンティック」(※)サウンドの走り的な音でした。
 彼らが日本で注目を集めたのは、バンド名もさることながら、メンバーの派手な外見でした。派手な衣装の上に、女性的なメイク、しかも口紅は黒だったり緑だったり。ヴォーカルのデヴィッド・シルヴィアンは金髪で、ベーシストのミック・カーンはまっ赤な髪でした。今でこそ髪染めは珍しくないけれど、この時代、しかも真っ赤な色彩は人目を引くに十分でしたね。しかも、二人とも美形。それゆえ、 元祖ヴィジュアル・バンドという呼び方もされれいるそうです。
 ちょうどBCR旋風が去りかけた頃にデビューした彼らは、少女たちの新しい崇拝の対象になったようでした。やはり友人にファンがいたので、コンサートに一度行きましたが、同じ色に毛を染め、メンバー人形を小脇に抱えたお姉さんが出没し、歓声で音楽などほとんど聞こえず、そして再びアンコールになると、アリーナ席はがらがらになったのでした。BCRと、ほとんど同じ。バンドのサウンドやカラーは、全然違うのに──(当時のファンの方々、すみません、PART2。悪気はありませんので・・)

‘96年には、日本のヴィジュアル・バンドの人たちによるJAPANのトリビュートアルバムが発売されました。JAPANを音楽的に再評価と言う動きが、あるそうです。

 

※ DURAN DURAN、CULTURE CLUB、ULTRA BOX、スパンダー・バレエなどに代表される、おもにイギリス産の、ニューウェーブ・ポップス。抑揚はあまり激しくなく、機械的なビートも多い。70年代末期から80年代初頭にかけて、大人気を博した。





☆ CHEAP TRICK

 QUEENがアイドルではなく、ミュージシャンとして認知されたあと、そのアイドル的側面の、後継者になったバンドだと思います。オリジナルメンバー四人のうち、二人は美形で二人はコミカルと言う、おもしろい個性のバンドでしたが、その二人の美形が、(特に金髪のロビン・ザンダー)女の子たちに圧倒的支持を受けました。来日時には追っかけファンが続出し、宿泊先のホテルや移動先の駅には、 それを取り巻く女の子たちが待ち構え、メンバー(特に美形の二人)がちらっと姿を見せると、たちまち凄い歓声、という光景が、当時のMUSIC LIFE誌にレポートされていました。同誌の人気投票でも、QUEENと激戦を演じていました。
 音の方は、ノリの良い典型的なアメリカン・ポップス・ロックで、実力的もあったバンドです。と、過去形で書いてしまいましたが、今でも現役で、後続の多くのバンドに多大な影響を与えています。

 最初は日本で火がついた人気ですが、その武道館でのライブアルバムがアメリカでもブレイクし、本国でもメジャーバンドになりました。そして、アメリカでも「ブドーカン」は有名になりました。
 個人的なベスト・チューンは「Surrender」。「Hello There」は、学生時代、バンドでやったこともあり、懐かしいです。





☆ パンク・ムーヴメント

 個別のバンド名ではないのですが、70年代後半、パンク・ロックと呼ばれる音楽が、一大ブームを巻き起こしました。パンクの起源はニューヨークで、RAMONSやPATTI SMITH BANDのように、ごくシンプルなビートと、主張のある歌詞が特徴的でした。それがイギリスへと飛び火し、ファッションも 主張もより過激になって、一大ムーヴメントを引き起こしたのでした。代表格としては、SEX PISTOLSが上げられます。他にも、CLASH、JAM、DAMNEDなどのバンドがいました。「未来なんて、なにもないさ」と言う強烈な虚無感と、「イギリスにまともな政府なんか、ありゃしない」と言う反対制的な無秩序さ、攻撃性、「生きたいように生きる」という激しさ、短いツンツンヘアーに(バッドバ〇マルじゃ ないよ)、あちこち穴のあいたレザーファッション、所かまわずつけられたピアスなどのファッションが若者たちの共感を呼び、あっという間にイギリス全体を巻き込んだブームとなったわけです。日本にも、このブームはやってきました。

 パンクを初めとして、その後に出てきたニュー・ロマンティック、テクノなどの音楽は、「ニューウェイヴ」と称され、市場を席巻しました。そしてそれまでの音楽、つまりオーソドックスなハードロックやヘヴィメタル、プログレなどは、「オールド・ウェイヴ」とひとくくりに称され、過去の遺物的な扱いを受け始めたのです。
 QUEENも典型的な「オールド・ウェイヴ」とされ、揶揄の対象になったものでした。彼らがこの時期、(「News Of The World」から「The Game」まで)アメリカよりの音楽スタンスになったことは、国内のニューウェイヴ台頭と、無関係ではなかったと思います。
 この後、イギリスではIRON MAIDEN、JUDAS PRIESTなどの、新しいヘヴィ・メタル勢が勢いを盛り返すのですが、その頃のQUEENはディスコビートに傾倒していた頃でした。間が悪いと言えば、そうかもしれません。でも、その波が引いた後、QUEENは英国の国民的バンドとしての地位を、不動のものにしたのでした。

 

 「News〜」製作時に、スタジオで、SEX PISTOLSのSid Viciousと遭遇したというのは有名なエピソードらしいです。その時期を反映してか、「News〜」には、「Sheer Heart Attack」の曲調や、「Fight From The Inside」の歌詞のように、たぶんにパンクを意識したものも、見られます。もっともRogerが「Sheer〜」を作ったのは、同名アルバムの頃だそうですが。





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