光と闇の舞踏 The Dance of Light and Darkness

第二部 大地と緑の国アーセタイル(8)




 そこは比較的小ぢんまりした町で、最初に来た港町バジレより、ほんの少し大きいくらいの規模だった。木造の家が立ち並び、間を通る道はなめらかな土が踏み固められたような感じで、ところどころ木が生えている。この町は、織りあがってきた布を洋服や日用品に加工することを生業としている人が多いようだった。
 一行は町の宿屋に宿泊することにし、車と駆動生物を預けると、町へと歩き出した。相変わらず彼らが歩くと、町の人たちは好奇の目で見ているようだが、アーセタイルへ来てから二節もたつ今では、彼らもそれには慣れてきたようだった。物珍しそうには見るものの、あからさまに嫌悪の目で見るものがそれほどは多くない――全体で、三分の一くらいだろうか――のも、救いだっただろう。
 町には来たが、ロージアにとっても、父の出身地として名前だけ聞いたことがあるという程度だったらしく、実際の父の家も、彼が何をしていたのかも知らないようだった。そこでサンディが――彼女は茶色い髪と茶色の目をもっていて、アーセタイルの純粋な民に近い外見のため、相手に警戒心を持たれにくいだろうという理由ゆえだ――ロージアから聞いた彼女の父親の名前を出して、道行く人たちに消息を尋ねた。すると三人目に聞いた、太った中年の婦人が答えた。
「ああ、その人ね。話には聞いたことがあるわ。有名な人ですもの」と。
 そして「この人なら、きっと詳しい話を知っている」と教えてくれた人の家を訪ねあてると、やはり少し小太りの、茶色い髪に緑色の目で、丈の長いベージュの服を着た中年女性が中から出てきた。
「その人なら、うちのすぐ近所に住んでいたよ」
 その女性は一行を、やや驚いたような、少し迷惑そうな顔で見てきた。ロージアが自分はその人の娘だと名乗り出ると、相手はより驚いたような顔をして、彼女を見た。
「アイダナ・シャットオールの娘さんだって?!」彼女はそう声を上げた。
「あの人に、娘なんかいたのかい?!」
「彼は二十年前にエウリスに来て、母と会って、わたしが生まれたんです」
 相手は、なお驚いた顔になった。
「ああ、そういえばあの男は長い間、よその国に行っていたからねえ。エウリスまで流れていったのか。で、あの男のことを、あんたは聞きたいのかい?」
「はい……できましたら」
「あんたはあの男のことを、あまり知らないのかい?」
「父はわたしが四歳のころ、アーセタイルに帰ると言って、わたしたちを捨てて帰ってしまったんです。だから、それからのことは知りません」
「やれやれ、子供まで作っていながら、無責任なことだね」
 相手はいくぶん同情めいた眼差しで、ロージアを見た。
「それじゃ、話してもいいが……あんたたちは多すぎるから、中にお入りと言うわけにはいかないね。庭でいいかい? 適当に地面に座っておくれ」
 その女性は庭に置いてあった木の椅子を引き寄せて座り、もう一つの椅子をロージアに進めた。残りの十人は、柔らかそうな地面を探して座った。
「もう二三年くらい前になるかね。あの男は、町長の娘に惚れたんだ」
 女性は話し出した。「ものすごく、べた惚れだったらしい。きれいな子だったし、気立ても良かったからね。でも、あの男はその娘に、まったく相手にされなくてね。それで彼は傷ついたんだろうね。まもなく村を出て行った。『広い世界を見てくる。そして君にふさわしい男になって帰ってくる』と、その娘に言ってね。私たちは、馬鹿な話だと思ったさ。まあ、ロッカデールはともかく、他の国じゃ、アーセタイルにいるようなわけにいかない。あっちじゃ、よそ者だからね。よそ者がどんな目に合うか、わかっちゃいないだろうし、あの男にそれに耐える根性があるかどうか、ってね。まあたしかにそれに耐えて、変わってくるかもしれないが、と私たちも思っていたんだ。ああ、私はあの男の姉と仲が良かったんだよ」
「ええ……」
「それが、十五年くらい前に、この町に舞い戻ってきたんだ。でもその頃には、その惚れた町長の娘は、とっくに他の男と結婚していた。なのにそいつは、彼女に言ったんだ。『君のために成長したのに』と。その娘は『あなたにそんなこと、頼んでない。私はあなたをそんな風に思ったことなんて、一度もない』と、こっぴどくはねつけたんだが。ああ、その時に、そいつは言っていたらしいね。『私は自分の幸せも家族も捨てて戻ってきたのに』と。『それなら、ずっとそっちにいればよかったのに』――娘は軽蔑したように言ったものだよ。私はそのころ、町長の家で働いていたから、その騒動はよく知っている。それを彼の姉、私の友達に報告して、二人で心配していたからね。男があまりしつこいんで、娘は夫や父親に訴えたらしく、向こうの人たちが大勢やってきて、あきらめろ、これ以上付きまとうな、と迫ったらしい。それでけんかになり、あげくに殺されたのさ。向こうも殺すつもりはなくて、はずみだったらしいがね。とびかかってきたんで突き飛ばしたら、石に頭をぶっつけて死んだらしい。まあ、あまり寝覚めのいい話じゃないが、でも、そいつが悪いということで、おとがめはなかったそうだ。町長がことの次第をボーデの神殿に送って、審判を仰いだ結果ね」
 そこまで話すと、女性は苦笑いを浮かべたようだった。
「ああ、娘さんのあんたには、気分のいい話じゃないだろうけれどね。まあ、そんなところだよ」
「……ありがとうございました」
 ロージアは真っ白な顔になりながら呟き、一行も立ち上がって礼を言うと、その家を辞した。

「……なんて情けない話! 聞くんじゃなかったわ!」
 宿に着くと、それまで一言も話さなかったロージアが吐き捨てるように言った。一行も、言葉を探しあぐねているように、黙っている。
「あの男にとっては、母なんて、なんでもなかったのね。単にその娘にふられたから、自分を慰めるため……? ああ、だから母さんは言っていたのね。わたしが一人っ子の理由を、『父さんが、もうディルトはかわいそうだからって』と……本当は、子供なんて、ほしくなかったんだわ」
「親は必ずしも、子供の理想通りじゃないということだろうな」
 ディーはロージアを見、微かに首を振っていた。
「苦い真実だ。おまえの父親が思いの獣の一部になったのは、その娘への報われない愛だったんだろうな。そういう行き違いは、まあ、普通に起こることだ。それに巻き込まれた、おまえと母親は気の毒だとは思うが。正しい道を選ぶことのできなかった人間は、この世界でも一定数いる。残念なことだがな」
「……本当にね……」
 ロージアはしばらく黙った後、みなを見回した。
「バカな事実のために、みんなに回り道をさせて、ごめんなさい」
「もう少しあなたのために、納得のできるものだったらいいな、と私も思ったけれど……気を取り直してね、ロージア。あなたはあなただから」
 レイニは慰めるように、その腕に手をかけている。
「そうよ。お父さんが最低人間でも、あなたはあなただから」と、リセラがことさら明るい口調で、声を上げる。
「でも、その最低人間の血が、わたしには流れているのよね」
 ロージアの口調は冷え切っていた。
「思ってても、そんなことを言ってはダメだよ、リセラ……」
 ブランが小さな声で諫め、リセラも率直に言いすぎたと悟ったらしい。
「ごめんなさい……本当にあたしって、考えなしで」と、顔を赤らめて謝っている。
「それは、今に始まったことじゃないわ」
 ロージアは少しだけ冷ややかさが和らいだ声を出し、みなを見て、繰り返した。
「本当に、つまらないことのために回り道をさせて、ごめんなさい」と。
「まあ、話自体に締まりはなかったが、無駄だったわけではないだろう。訳がわからずに思い悩むよりいい」
 ディーは慰めるような視線を向け、首を振ると、皆に告げた。
「明日は早く出発するぞ。今日はもう寝よう」
 一同は頷いた。移動の際の宿は以前と同じ、みながぎりぎり眠れるほどの広さの部屋に敷物を敷きつめて、その上にじかに寝る。思恨獣昇華の報酬がかなり高額だったとはいえ、先の保証は相変わらずない中、贅沢はできないのだ。

 それから三日ほど、車は走り続けた。北へ向かって。そしてもう少しで国境の町、パラテに着くというころ、日が暮れた。駆動生物は、夜は走ることができない。そこで一行は、ふかふかした草原の中で、野営した。
 外で眠ることになる時には、一行は交代で見張りを立てる。アーセタイルは比較的平和な国だが、みなが眠っている間に万が一、悪い者たちが来て駆動生物を奪っていったりする可能性は、ゼロではない。それゆえだ。見張り役は、袋に入れた五色の玉を引き、同じ色に当たった同士が組む。一組二カーロンずつ、夜明けまで五組で見張るのだ。
 この時には、リセラとサンディがペアとなった。二人は、最初の見張り当番となった。残る九人は車の中で眠っていたが、途中から「ちょっと眠れなくて。一緒にいていい?」と、ミレア王女が二人に加わった。
 一カーロンを測る装置をひっくり返して、それがまた三分の一くらい落ちるまで、三人は夜空を見上げながら、小声で話をしていた。やがてミレア王女は眠くなったようで、うとうととしはじめた。
「車に戻って、寝たら。もともとミレアは見張り当番じゃないし、あたしたち二人で大丈夫だから」と、リセラが促し、サンディも頷いた。
「うん……」王女が立ち上がったその時、不意に上空に、大きな灰色の影が現れた。
「何?」
 リセラも気づいたようで空を見上げ、サンディも立ち上がった。と、その影が急降下し、こっちに近づいてくる。大きな鳥のようだった。その鳥が、さっとその足でミレア王女をつかむ。
「きゃあ!」ミレア王女が声を上げると同時に、サンディはとっさに王女に飛びついた。身体が浮き上がるのを感じた。
「ミレア! サンディ!」
 リセラは叫び、ついで彼女は手にした筒の糸を引いた。バン!と大きな音が響いた。それは「万が一の時には、これで知らせて」と、ブランが手渡したものだった。車の幌が開き、同時にリセラが翼を広げ、鳥を追いかける。彼女はサンディとミレア王女に追いつくと、両手を広げて二人を抱きしめた。
 巨大な鳥は獲物が三人になっても意に介さないように、スピードを上げて空を舞いあがっていった。そして北へ向かって、飛んでいった。
 残された九人は、しばらくあっけにとられたように見ていた。アンバーが追いかけようとするかのように空へ飛び出したが、ディーが制した。
「やめておけ! おまえ夜は、そんなに視界がきかないだろう。すぐに見失うだけだ」
「じゃあ、どうしよう……」
 アンバーは再び地面に降りながら、戸惑ったように見上げる。
「あれは……ロッカデールに生息するという、怪鳥のようだ」
 ブランが夜空を小さくなっていくシルエットを目で追いながら、言った。
「何のために彼女たちを連れ去ったのかは、わからないが……」
「……心配だが……夜の間は、俺たちも身動きが取れない。朝になったら、追いかけよう。北へ向かった、ということは、行き先はロッカデールだろうし、あの鳥もロッカデールに生息するものなら、俺たちと目的地は同じだ」
 北の空をにらみながら、ディーは深く息を吐き、
「そうだね。あの鳥のことを少し調べれば、生態や生息地を……そうしたらきっと、行き先の手掛かりが、少しつかめるかもしれない」
 ブランが手を目の上にかざしながら、鳥が飛び去った空を見つめていた。
「そんな悠長な、と言いたいが、たしかにそれしか手がなさそうだな」
 フレイが首を振りながら同意し、ブルーも頷く。
「三人の無事を祈りましょう」
 レイニは両手を合わせ、ロージアも頷いていた。
 
 夜の闇の中を、三人は飛んでいた。ミレア王女は鳥の足にがっちりつかまれ、サンディは彼女に手を回すようにしている。しかし、だんだんと手が痛くなってきた。そこへリセラがかばうように腕を回した。彼女の顔も青ざめていたが、翼を広げているので、下へ落ちる心配はなさそうだった。
「頑張って、サンディ。落ちちゃだめよ。あたしの手につかまって」
「はい……」
 サンディはもう一方の手で、リセラの手を握った。ふわりと身体が、少し軽くなった。この感覚は覚えがある。二節近く前、嵐の中をアーセタイルに向かって飛んだ時に。その時も彼女は、リセラに抱えられていたのだった。
「助けて……」ミレア王女はか細い声を上げている。
「大丈夫。あたしたちがついているわ」
 リセラは彼女にも、そう声をかけていた。
 眼下は暗かった。どこまでも広がる、夜の大地――ところどころ林の影がある。その中に、ポツンといくつかの灯りが見えた。
「あれがたぶん、国境の灯りよ。パラテの奥にある、アーセタイルとロッカデールの国境の門の」
「じゃあ、わたしたち、ロッカデールに入ったんですね……」
「こんな形でとは、思わなかったけれどね」
 リセラは少し苦笑いを浮かべているようだった。
「どこへ行くのか、この鳥に聞いてみないとわからないけれど……ともかく、なんとかするしかないわ。あ、ちょっと待って、何か来た!」
 サンディも、その声で振り向いた。夜空をもう一つの何かが来る。いや、違う。矢のようなもの――? それが、鳥の近くをかすめ、驚いたのだろうか、その怪鳥は足につかんでいた王女を一瞬離した。
「今よ!」
 リセラが声を上げ、ミレア王女をひったくるように抱きかかえると、もう片方の手でサンディを抱えたまま、飛び出した。が、しかし彼女の飛行能力で、二人を抱えるのは厳しかったようだ。しばらくよろよろと飛んだ後、ゆっくりと下降していく。
 怪鳥は追ってはこないようだった。攻撃に驚いたのか、飛び去って行く。三人はゆっくりと、下の地面に向かって落ちていった。




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