◇ 仏教質問箱 ◇
『法然上人』 《足跡》その2
◇ 仏道の道 ◇
父親の死をひとつの【縁】として、
勢至丸(後の法然上人)は9歳で出家されました。
このとき勢至丸の師となったのが、
母方の叔父にあたる観学得業という菩提寺の僧侶。
そして、この観学は勢至丸のあまりにも優秀な頭脳を
このまま田舎に埋もれさせるのは惜しいと、
勢至丸が13歳の春、
当時の仏教の総本山ともいえる【比叡山】に
登山させることにしたのです。
◇ 法然房源空 ◇
私たちは日ごろ【法然上人】と呼称しますが、
勢至丸が比叡山でいただいた名前は、
正式には【法然房源空】というものでした。
【法然】というのは、実は『房号』といわれるもので、
法然という『房(ぼう=一種の部屋)』におられる
『源空(げんくう)』さん、といった意味です。
比叡山三千人の僧侶の中でも
【智慧第一の法然房】と称されるほど
学才の誉れに長けた法然上人でしたが、
結局、比叡山をあとにすることになります。
【凡夫が救われる道】
当時の仏教にはない、
すべての民が救われる【おしえ】を求めて、
下山を決意されたのです。
ときに、御歳24歳のこと、とありました。
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