◇ 仏教質問箱 ◇


              『法然上人』  《足跡》その1

 


            ◇ 生まれ ◇

                平安時代末、1133年(長承2年)4月7日。

                美作の国(現在の岡山県)久米郡南条の
                稲岡荘(いなおかのしょう)でお生まれになりました。

                幼名を
勢至丸

                非常に聡明な子供だったということです。


            
◇ 父・漆間時国(うるまのときくに)の死 ◇

                あるとき、父親が夜討ちに遭い、非業の死を遂げます。
                が、このとき父親は我が子・勢至丸に向かって、

                「決して
私の仇を討とうとしてはならない
                 それよりも、迷い苦しむ世の中の人々の
《光》となるように。
                 それが、私への
供養である。」

                と、遺言されました。

                このことがきっかけとなり、
                勢至丸(後の法然上人)は、母親のもとを離れ、
                ひとり
仏道の道へと歩んでいくことになるのです。

                勢至丸、御歳、まだ
9歳の冬のことでした。



                      仏教質問箱のページへ

                      トップページへ