千代田経済懇話会「政治経済フォーラム」 


                                                  (このページの写真はすべて私が撮影した写真です)     河野 善福 記

          日  時  平成23年04月06日 
          場  所  東京プリンスホテル  「プロビデンスホール」 
                                                          
    「開会挨拶」                                     今井 隆氏     千代田経済懇話会 世話人代表
                日本経団連      名誉 会長
 
  大震災後に世の中は萎縮感が広がって居るが、生の情報交換を得て、真実を理解したうえで頑張りたい。エネルギーが中東の混乱のために波乱万
丈であるが、この時期に1000年に一度の大津波とはいえ想定外の惨事となった。我々はこの困難を乗り切ってゆかねばならない。福田先生は来週海
南島で行われる会議に、また理事長として参加される。お帰りになられてからのお話をお聞きしたいと思って、また楽しみにしている。今後とも頑張ってく
ださい。


    「福田代議士挨拶」
 皆様、本日はようこそお出かけ下さいました。震災にあわれた皆様には、深くお見舞い申し上げます。本日、この会を開催するかどうかということを考
え悩んだわけで有りますが、やっぱり、このようにお逢いして、積極的に情報交換をする方が良かろうとの判断で開催の運びとなった次第です。1000年
に一度の大震災とはいえ負ける訳には行かないんです。原子力発電所の問題が今の段階で収まるなら、また世界中がこれの安全に注力してくれるよう
になるなら、それはまたそれで世界への警鐘になったわけで、今後に生かせて貰いたいと思っています。
政治のほうは大連立とか色々有りますが、水と油が一緒になってうまく行くのかどうか、よく考えねばならないでしょう。簡単に一緒にはなれないが、お互
いが協力し合わねばなりません。
 本日の講師寺島さんは、実は3ヶ月前から講師をお願いしておいたのですが、このような大事故が発生してみると、実に最適の方にお願いをしておい
たものと喜んでおります。


       「シンポジューム」 
       講 師   寺島 実郎 氏    (財)日本総合研究所   理事長
                            多摩大学          学 長
                            且O井物産戦略研究所 会 長

       テーマ   「東日本大震災を踏まえた日本の進路」 


     【講 演 要 旨】 

  福田先生のお住まいは私の家のご近所で、先生とは、赳夫先生の時代から懇意にさせていただいております。この震災が起こって、政治家としての
福田先生のバランス感覚と言うものは、すごいなあと改めて感心させられています。ご本人の人柄と言うこともあるのでしょうが、民間の意見もきちんと
聞いて、それを伝えておられます。
きょうはこの大震災と言う事態を迎えて、どう対処すべきなのかを、お話してみたいとおもいます。
 私はあの地震が来たときに新幹線に乗っていました。横浜を過ぎたところで地震にあって5時間ばかり動けなかったのですが、たまたま親鸞の本を2
冊持っていたので、これを読んでいて退屈はしませんでした。
 今年が親鸞の没後750年と言うことなので、塩川正十郎さんから講演の依頼があって、昨年、真夏の高野山に泊り込み「現代を生きる空海(弘法大
師)」というテーマで講演を行いました。空海はエンジニアだったという設定で話をしたのです。空海は1200年前に中国(唐)に渡って真言密教の極意を
極めてきた人なのですが、実はたくさんの技術を持ち帰っているのです。潅漑の技術や水銀を溶かす薬などもその技術を持ち帰ったのです。
 親鸞は「絶対善人主義」を唱えた人です。「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人おや」は親鸞の有名な言葉です。親鸞は「阿弥陀如来にすがり、お
経を唱えれば誰もが善人になる」と説いたので、この教えを信ずる一向宗を、時の権力者が恐れた理由がよくわかります。
 新幹線の中で配られる水を貰う人も、自宅まで歩いて帰る人も、この時には社長も従業員もみんな同じ人間に戻っていたのです。北杜夫の小説に「楡
家の人びと」と言うのがあります。関東大震災が舞台で楡基一郎という脳病院の院長が主人公(北の父親斎藤茂吉がモデル)です。箱根で震災を受け
て、丈吉という車夫と二人で東京まで歩いて帰るという話です。この時には主従関係は逆転して、院長は無力な老人に過ぎないのですが、こう言うとき
は、人間関係はフラットになります。自分の立ち居地を考えてみるよい機会であると思います。
 近代化という枠の中で、一人の人間ではどうにもならないのです。100mを越すビルの中に居る人や、原子力発電所の中で働いている人など、我々は
危険の中に身をゆだねて生きているのです。
 関東大震災の時は24本の列車が脱線しているし、数も判らないほど多くの人が死んでいるのです。今回の地震の時にはたくさんの防止策が機能して
います。新幹線だけでも全部で88本動いていたのですが、みごとに停めて誰一人怪我も無かったのです。超高層ビルでもけが人も死人も無いし、建設
途中でクレーンが乗っているのに東京スカイツリーも事故はありませんでした。鹿島建設の人が「スカイツリーが倒れるなら、東京中のビルは倒れてい
る」と言っていました。現代は、自分ひとりでは動かすことの出来ないものに運命をゆだねているのです。現代の技術はそれだけ信頼できるのです。
 私は、原子力の安全委員会に参加していて、東海村にも六ヶ所村にも行って、その中心にまで入れてもらって、多重防御の話を何度も聞かされまし
た。その安全神話が崩壊したのです。地震列島の日本で原子力発電を遣るためには、「瞬時に制御棒の働きを止めてみせる」そこまでは出来たので
す。「その後制御棒を冷やし続ける必要がある」。私たちは電気が止まっても「ジーゼル発電機が瞬時に働く」と説明を受けたのです。女川発電所は15
mの高さがあって助かったけど、福島はジーゼル発電機を地下に入れておいたのです。放射能を閉じ込めると言うことに失敗しています。官房長官がい
かに説明しようが、技術者がどう言おうが世界はその情報を信じていません。
 世界の国はチェルノブイルのような臨界が日本で起こって放射能拡散の状況になっていると思っています。欧州・ロシアの国際原子力安全機関に情報
を出して、実情を知ってもらって、国際介入をしてもらうべきです。日本は世界に責任ある情報を発信しなければなりません。
 私は原子力の推進派でも反対派でもありませんが、青森の会合に出たときに推進派の人が、原子力はCO2を出さないので環境に優しい、コストが安
いと言っていました。民主党は昨年6月に「エネルギー基本計画」という、前政権の自民党も驚くような基本方針を発表しました。「2030年までに少なくて
も14基以上の原子力発電所を造る」と言うもので、日本の一次エネルギーの24%を原子力発電によって賄うと言うものでした。鳩山さんが、CO2削減
25%の発表をしたので、その発表にそった方針を決めたのです。原子力発電が環境に優しい、コストが安いだけでは推進の理由にはならなくなりまし
た。
 しかし、原子力の平和利用を遣らないと、国際戦略の中で、日本は埋没するでしょう。中国も韓国も、台湾も、原子力発電にしようとしています。アジア
の近隣諸国に原子力発電所が出来ることは、もう避けられないのです。エネルギー問題は激しい利害と利権が絡んで居ます。日本は原子力について、
高い技術力を持っていますので、これからも国際貢献をするという、腹をくくっていなければならないのです。この重要な危険性も持った原子力問題を、
電源開発や9電力がバラバラに各々の会社の中で遣っており、専門家が分散しているところに問題があるのです。原子力問題は一つにしなければなら
ないと自分は思っています。現状では若い人が自分の人生を賭けていけません。一次エネルギーの3割くらいは原子力にするということを、真剣に考え
ないといけない時代なのです。
 被災地の復興は、太平洋側の海に堤防を作って、新しい町並みを作ればよいというほど単純な話ではありません。国土審議会が発表した資料によれ
ば、2010年に1,168万人の東北6県は、今回の地震が無くても2050年には724万人となり、444万人減ると試算されているのです。このような地域をどうや
って活力をみなぎらせればいいのか?。この機会に年収300万円を稼げる環境を東北には作らなければいけないでしょう。
 首都機能の分散も考えられます。東北は日本のへそになる条件を持っています。福島と新潟は100Kmしか離れていないのです。今度の震災直後に
は中国人が5,000人、新潟空港から飛行機で帰ったと言います。よほどネットワークが進んでいるのでしょう。日本は危険だと言う情報が瞬時に流れたの
だと思います。
 東北は奥羽山脈を背骨として、太平洋側と日本海側に経済活動が分かれており、東北の輸出は対米貿易が12.6%、中国が20%、アジア全体で50%を
しめている地域なのです。日本海はユーラシア大陸の内海的発想が高まっており、東北は韓国の釜山を経由して、アジア全域とつながる地域なのです。
 環日本海という考え方の中で、新潟は物流拠点となるのです。
 日本列島の中でも岩盤の強い地域として、IT移転が考えられた岐阜ともう一箇所、那須に注目しても良いと思います。那須は国有地も多いし、ベース
キャンプのようなところを置いておくのも良いでしょう。首都機能の一部をおいておくという考え方が良いとおもいます。イタリアのヴェネチアは船でしか動
けないが魅力があります。東京には超高層ビルがあり、那須には雄大な森がある、それもいいんじゃないですか。
 若者に職を与えるためにも、若者に参加してもらって、若い人の知恵を集めるのです。金を集めて寄付するだけの発想でなく、若者に農・漁業復興プロ
セスの協力をさせて、推進エネルギーの核となるようチャンスを与えるのが良い。復興再生は金をぶち込めばよいと言うものではないのです。
 関東大震災は1923年9月にの発生し、M7.9直下型、死者は143.000人でした。政治状況が現在とよく似ています。直前の8月26日に加藤友三郎首相
が死去し、西園寺長老が山本権兵衛に大命降下しました。しかし、政友会と憲政会の政争があり、政治空白となったために「挙国一致内閣」をテーマとし
ていた時期に地震が直撃しました。
 1913年には朝鮮の独立運動が、1917年にはロシア革命があって、国民は社会主義の台頭に恐怖心を抱いていました。まだラジオ放送がなく、新聞の
みの情報の中で「朝鮮人が暴動を起こす」との流言飛語が飛び交い、朝鮮人6,000人を虐殺したのです。
現代版の流言飛語はITを使って、世界中に瞬時に伝わります。ケータイの普及1億台、コンビニの店舗数4万の時代です。新しいタイプの情報伝達の光
と影があります。
 関東大震災の前年の1922年には加藤を全権大使とする「ワシントン海軍軍縮会議」があって各国が対立した直後であったのですが、震災の直後に米
国は、クーリッジ大統領自ら先頭に立って募金を集め、対日航路は援助物資の輸送に特化するように命じて、ベット6,000床を始め物資、医者、看護婦な
ど度肝を抜くようなスケールで援助をしてきたのです。英、仏、中国も先を争うように日本を支援し、外国からの援助など予想もしていなかった政府が混
乱したくらいです。今回も米国は、震災の4日後には艦隊を派遣してくれました。
 国民は震災後の不安な心理状態の中に居ます。この際どうこう言っている場合じゃないのです。誰でもいいから力で束ねてくれる人を国民は待ってい
ます。
         おわり                                    (挨拶および講演の概要を筆記したもので、発言のすべてではありません)

福田経済フォーラム

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