第32回 新政研21フォーラム


                                                (このページの写真はすべて私が撮影した写真です)   河野 善福 記

   平成21年12月21日             
    グランドプリンスホテル赤坂          

  
福田 康夫代議士                            五百旗頭 真 教授

 「福田 康夫代議士 あいさつ要旨」
 今年の漢字は「新」と決まりましたが、「新」は来年です。 今年を一字で表わすなら「縮」です。 今年は世界全体の景気が悪く縮んでいます。 
 この1年、国際会議で15回、30カ国に行ってきました。 エチオピア、米国、南米、中東、アフリカ、中国、東南アジア諸国、今まで遣ってきた事に対す
る各国の評価は非常に高く、日本は自信を持ってよいと思います。 日本は色々な眼で見られています。 世界に通用する製品を作る。整合性が取れて
いる。技術力を評価されており、日本の文化を諸外国が受け入れてくれています。 日本食レストランはニューヨークに3,000軒あり、お酒も売れてい
ます。 日本食に対するファッションであり、健康に良いと言うのは世界の通り相場になっています。 日本の建築家の設計建物も評判がよく、アニメも一
役買っています。 だのに留学生が減っており将来が心配です。
 天皇皇后にお供して15日間、カナダ、ハワイに行ってきました。 お二方とも一人ひとりに挨拶をされ、お話もされる。その位尽くされて、日系人から見
ると感激される。そんなお姿を見てきました。 宮内庁長官の発言がいろいろ言われていますが、天皇陛下をお守りする立場での発言であると思いま
す。
 日本は日米安全保障条約無しで国土防衛を出来る力が有るのでしょうか、? 日本にとってはこの条約は欠くべからざることであり、過去の政治家がよ
くやって呉れたと思っています。 この国をこれからどうやって発展させていくのかを、考えていかなければならないと思います。 また、中国・ロシアとどう
やって付き合って行かねばならないのかを同時に考える良い時期です。 国会は数です、野党として自民党がこれからどうやっていくかを今考えていま
す。 自民党がじっくり遣っていく党だと言うことを理解していただければ良いんです。 人間そんなに急に変われるものではないのです。
 国内的には少子高齢化の問題があります。 この問題にも、沖縄の問題にも、民主党はこの社会に対応しきれていません。 我々は一つひとつ対処し
てゆかねばなりません。 自民党の悪いところは改めねばなりません。 部分的におかしいところはあります。 年金問題も郵政問題も有りますが、前の
人が遣ったことは全部悪いと言ってるようでは国民の支持は得られません。
 来年は参議院選挙があります。 一党独裁では国民は納得しません。 民主党も今のような状態では安泰と言う訳にはいかないでしょう。 日本が世
界の中で浮遊しないように考えねばならないのです。


 
  講演会  「日本のとるべき道を探る」               講師   五百旗頭 真 氏
                                             防衛大学 校長       神戸大学名誉教授
                                             小泉内閣時 「安全保障と防衛力に関する懇談会」委員
  「講演要旨」
  昭和22年4月の総選挙で、与党であった日本自由党は日本社会党に破れました。 第1党となった社会党は自党からは首相を出さず、吉田茂氏の
首相続投を企図していたのです。 この時吉田首相は野に下る道を選び、政治への志のある官僚を集めて勉強会を作りました。 吉田学校と呼ばれた
この勉強会から後に池田勇人、佐藤栄作氏などが輩出されましたのです。 戦後保守のスタートでありました。 批判することには馴れているが片山内
閣も、芦田内閣も内閣を維持することは出来ず、各々1年で終わったのです。 吉田氏は野に下った間、勉強を続け、じっくりとその再起の機会を待った
のです。 今回も自民党は野に下りましたが、勉強をして時の来るのを待てばよいのです。
 19世紀の半ば、ペリーの来航からわずか50年の日本が、日露戦争に勝ったのです。 日本は唐・天塾を文明の祖と仰いでいたのに、西洋文明が優
れていることを知るとすぐに取り入れました。 生麦事件の解決を迫るイギリス艦隊が、鹿児島に遣ってきた時戦争になりました。 薩摩藩の大砲は1k
mしか飛ばなかったのですが、英国のアームストロング砲は2kmも飛んだので、船を沖合いに出して攻撃してきました。 西洋の文明が進んでいること
を目の当たりに見て、薩摩藩は幕府に開国を迫り、英国と同盟を結んだのです。 アジアでは西洋文明の受け入れは日本だけしか出来なかったことで
す。 西洋文明を受け入れたから、アジアでは日本のみが西洋列強と並ぶことが出来たのです。 識字率が高かったことと、知識水準の高さは中国文明
のお陰であり、外国文明を取り入れる下地があったからです。 日本は大軍を引き連れて朝鮮に出兵した秀吉や、百済と高句麗を滅ぼして統一新羅の
基礎を築いた、金 春秋(後の第29代武烈王)との交流などによって、大陸の文明を取り入れてきたのです。 開国後の50年間、日本は防備を固め、
世界一の大国露国と戦い勝ったのです。 戦えば必ず勝つと自信を持った誤りにより、日本は世界大戦に突き進んでいきました。 国の命令で戦場に行
った同胞310万人を死なせたのです。 昭和20年日本は廃墟になりました。
 戦争の終結に際し、当時の閣議は全員一致でなければならなかったのです。 今の総理は反対する閣僚が居れば罷免できますが、当時は首相に罷
免権は無かったのです。 御前会議は、ポツダム宣言を受諾して降伏するか、あくまでも本土決戦を期して戦争を遂行するかで議論は紛糾しました。 
鈴木首相は昭和天皇の聖断を仰いだのです。 天皇は「もう戦い続けることは無理だと考える。 (師団は作って居るが人が居ない) 非常の措置を以て
時局を収拾することは、朕を支えてくれた多くの臣民に対し忍びない。 戦い続けるなれば、さらに同じ数くらいの国民を殺すことになる。 見通しの立た
ない戦いはやめよう」と述べられ、ここに第二次大戦の終結が決まったのです。 閣内の意見を統一できず、天皇の聖断を仰いだ鈴木首相はその責任
を取って総辞職したのです。
    ( 以下 続く )


(挨拶および講演の概要を筆記したもので、発言のすべてではありません)
                                                                
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