Chapter.8「チームワーク」の危険性?
   チームの「和」と「チームの和」、「コンフリクトは必要だ」
 前に書いたようにエラーは個人では防げません。だからチームで防ごう、となります。
「チームワークを作ってやれば・・・」とか「チームの和が大事だ」と強調されますが、本当に全てそのとうりなのでしょうか? チームという「集団」の危険性はないのでしょうか?

 8-1 二人とも油断する?「相手(だれか)が確認しているはずだ」

 8-2 集団的浅慮
 集団でものを決定する場合にきわめて貧弱な結論しか得られないことままあります。
これを集団的浅慮とよびみんなで決める場合に注意しなければならない点です。

 8-2-1 成り行き(集団圧力)
   「誰かが指摘するだろうから、あえて自分が言わなくとも…」という心理。
そのうちに事態が進行し誰ももう言えなくなる、
言ってもしょうがない事態になる、ということがありえます。
よくあとで「私は○○だと思っていたけど…」
 8-2-2 リスキーシフト
    一人ならとても考えられないような危険な決定を集団の決定として採用してしまうこと。
一旦決定してしまえば「集団の意思として」それが一人歩きしてしまいます。
「みんなで渡れば・・」とか、会議での威勢のよい発言に同調してしまう心理をいいます。
逆に「コーシャス(安全)シフト」となる事もあるといいますが、
 いずれにしても集団で決定する場合は「極端に振れる」場合が多いことに気をつける必要があります。
「この結論はリスキーシフトに影響されていないだろうか?」と常に意識しなければなりません。
 8-2-3 何故
   どうしてこんな風になってしまうのかに関して2つの仮説があります。ひとつは集団の中にいると「責任が分散」されることです。  「みんなで決めた」と。「みんな」というなかには自分がまるで入っていないようです。もうひとつは、リーダーシップの問題があります。  「元気の良いことを言う事がリーダーシップであるかのように思ってしまう」という傾向、それは別稿に。


 8-3 「社会的手抜き」
  1+1=2とはならない。 こういうことです。人は何らかの課題を遂行する時は、その結果が集団ごとにしか分からない場合“手抜き”をしてしまうといいます。 また、その課題に対する興味(動機付け)が低いと、ますます“手抜き”の割合が多くなってしまうのです。
 でも「社会的促進」という言葉もあります。 これは特にあまり興味のもてない仕事などは皆でやったほうがはかどる、というようなことです。

 8-4 「社会的同調」
 ある問題に順番に答えを言っていくとき(あるいは意見を求められたときに)、 前の番の人が、あなたが絶対に間違っていると思う答えを平然と、迷わず答えました。 そして次の人も、また次の人も…。そしてあなたの番です。
 あなたは自分の信じる正解を告げることができるでしょうか。これは心理学の有名な実験です。 (もちろん、あなた以外は皆「さくら」です。やってみるとイチコロだそうです)

 「一人だけ違う意見を言う勇気がなかった」「みんながそういうなら、そっちが正しいのかと思った」や 「私の目がおかしいのかと思った」とだんだん自信がなくなります。 ところが、自分の前にたった一人でも自分と同じ「正解」を答える人がいると自信がつき、思った「正解」を言う事ができるようになる、 ことも知られています。

 人間はそんなに強いものではありません。ですから、こういう事態を避けるには、組織の自由な雰囲気はもちろんですが、  会議の時に司会者は「下から順に」意見を聞いていったりする配慮が大切といわれています。

 8-4-1 「ボスに従おう症候群」
   経験のあるリーダーだってエラーを起こします。 しかしチームの中で「権威」あるリーダーの決定にはチェックが甘くなりがちです (良く言えば「あの人が間違うはずがない」悪く言えば「どうせ責任はボスがとるんだし」と)。 そういう意味で「リーダーは孤独」かもしれません。
 「ダブルチェック」で書いたように、 リーダーである貴方のことは誰もチェックしてくれていないかもしれないのです (昨年のCRMセミナー「アサーション・インクワイアリーの資料」を見てください。 航空界では事故の80%は機長が操縦していたときに起こっている、というデータがあるそうです。)
 ボスでなくとも「あの人が言うのなら(あるいは言わないのだから)きっと何かあるのだろう…」 なんてことはないでしょうか?
 8-4-2 「仲間意識」
   我々は一つだ。方針に疑問はない…。という意識が強くなりすぎると、 ひどい場合には某大学のように「組織ぐるみの…」となってしまいます。「仲間」であることを強制された人もいたようですが。
 8-4-3 「満場一致」
   我々は同じチームだ。全員同じ意見だ、反対するはずがない。 一般的に「満場一致の結論」には??と思うべきであることは前にも述べました。
 会議で「決定」しなければならないことに「満場一致」なんてことはほとんどありません。


 8-5 決して「まん中」は正しくない
 なんだか良くわからないときに、人々の意見の大体「まん中」が正しいように思えてきます。 でもそのことに実は何も根拠はないのです。世論を誘導するときにもこんな手が使われているように思います。 私たちの仕事でもおなじです。発展途上国の悪質なお土産やさんのようですね。何倍にも吹っかけ、負けたふりをして相場より「かなり高く」売りつける。 ちょっと位負けてくれたからといって、買ってはいけないのと同じです。

 レストランのメニューに値段が3つあったり、ホテルの宿泊の値段が3種類だったりするときに、なんとなく「まん中」を選んでしまう心境も似ています。

 8-6 チームの雰囲気、規範に問題はないか?
 「いつもやっている」「みんなもやっている」「見つかっても(そんなに)おこられない」
こんなことが「マニュアル」やSOPに書いてあるわけではもちろんありません。マニュアルを無視しても殆どの場合何も起こらないのかもしれません(「幸運な無事故が続いている状態」)。しかし、じゃあ何故マニュアルにそう書いてあるのか、を考えるべきです。そして、そんなことを黙認している組織の風土が、きっとそのうちにスイスチーズの大きな穴だったことに気がつきます。 昨年CRM seminarでは「意識の腐敗」として学びました。

 8-7 予防するための工夫
 8-7-1 コミュニケーション環境 
   自由に意見を口に出す環境、雰囲気かどうか?(改まった会議でなくとも)頻繁に意見の交換がおこなわれているかどうか? 喧喧諤諤、わいわいがやがややっている組織はチームとして健全な決定が行なわれることが多い、といわれます。 しかしその時、メンバーの状況認識は共用されているでしょうか?またメンバーが個々の課題だけでなく仕事の全体像を共有・把握しているでしょうか? そして、わいわいがやがやだけでなく、意見をまとめ、決断するというリーダーシップをとることができる人はいるでしょうか?
 8-7-2 メンバーの中に異質の考えをする人材を一人加える
   これだけでも「話」が原則に戻り、集団としてのエラーの発生を下げる可能性がある、といいます。 特に集団としての「思い込みエラー」の防止の「対策」であることはHF seminar2002-3「思い込みは何故起こる」で話題になりました。
 8-7-3 「悪魔の代弁者」を認める文化
   リンク先「悪魔の代弁者」を見てください。 いつも皆と違うことを言ったり、全体の決定に文句をつけたり、融通のきかない「正論」を言ったりする人はいませんか。 そういう人に対して組織の評価は「生産性を落とす」とか「仲間意識が少ない」と一般には冷たいことが多いものです。 しかし、LANでも述べたような「言論の自由」だけでなく、「考えの多様性」を組織が容認していることは極端なエラーを減らす可能性があります。 また、逆にその組織を保護している可能性すらあります。


いかがでしょうか、連載へのご意見・不満・(できれば)アドバイスをお願いします。「リレー連載」ならもっといい。  (「チームの和」「コンフリクト」など続く) 
 
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