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交野を8時に出る
第二京阪⇒近畿道⇒南阪奈道で葛城出口を降り
山麓バイパスに乗り新庄でコンビニに立ち寄り弁当を買う
高天彦神社前の駐車場に着く(整備されて30台は止まる)
神社には古くからの歴史がある
755年唐の高僧鑑真が渡来して高天寺に住職として赴任
今も咲く鶯宿梅との関わりがある 鑑真が弟子をなくし
悲しんでいると鶯が梅の木に飛んできて
「初春の朝毎には来たけれど会はでぞ帰る元の住みかに」
と歌を詠んで慰めた この逸話は鎌倉時代の曽我物語りに
紀行文に出ている |

村落は雪の中です |
周辺の山麓には先日の雪が残る
着替えて登山の準備 軽アイゼンは麓から着用します
10時に登山開始 高天滝のコースが通行不能で
迂回路に回る 村落を出る時害獣対策の扉が有り
必ず閉めて登山してくださいの注意書きがありました
この登山道は昭和10年に山頂にポストが出来て
第二次世界大戦が終わるまで名柄郵便局から郵便屋さん
通った道です マイペースで歩く事にする
心なしか体力に不安が残る高度計で高度確認しながら
700mで休む 3人組に追い抜かれる 900mで休憩
一の鳥居前の稜線に12時に登りつく 雪の重みで
枝が垂れ下がり 分厚い海老の尻尾が出来ていました |
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道中 高天滝、イワゴノ谷分岐上、稜線した階段の下等
大雨による登山道の被害が多く見られる
倒木が多くあり登山道に掛るものは鋸で切られて通行可能
葛城神社境内では 倒木の整理かエンジン鋸の音がする
杉の倒木や木々の枝折れなど 雪害で成ったものが
登山道に散らばる大変な量で四輪駆動車が葛城神社横に
登って来ていました
転法輪寺にでる境内は雪が多く牛さんも雪の中でした
国見城址に取りあえず行き 大きな雪だるまが作ってあり
大阪か堺方面が眼下にみえる天気でした
ライブ広場で昼食を取る −4℃を気温が示している |
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防寒着を着用する
相席をお願いしてテーブルに着く
堺市からカメラキャノン48倍のデジカメを持参して近畿を
回って鳥を撮るのを楽しみにしているとの事とでした
国見城址下の広場にカケスが居ましたよと伝える
食事の後行って見ますと撮影を楽しみにしていました
私はズーム18〜200mmなので被写体は小さくなる
待っていると地上に舞降りて周辺の木に止まったり
餌があるのか洗い場の周辺を飛び回る カケスさん
少し人なれしたカケス 寒いのか毛を膨らませて見た目が
スマートさのないカケスでした |
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葛城神社の下に 夫婦の石碑が目に付く
70歳代は感謝でと記してある 早いもう73歳に達している
私の回想録
20代 金剛山早登り大会(御所商店街の主催)に
参加 スポーツ日本新聞社協賛
水越峠にて受付 転法輪寺がゴール 翌日成績紙上発表
47分で優勝した事を思い出す 夢のようである
健康を感謝して少し体に負荷を与え体力維持に努めます
下山して
何時も使わない筋肉を使い下山時の体重を支える為に
本日両足の太ももの表側の筋肉痛です
思ったよりダメージは少なかった様におもいます |
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今日の出会い
国見城址跡で写真を撮ってくれた山ガールさん
昼食を共にした野鳥愛好家さん
学生グループの方 マップを読みながらの楽しい登山
昨日は六甲山で滑る 板持参のベテラン
男のロマンと単独で趣味を堪能する芸達者な方でした
葛城神社下まで登りなおし 尻すべりのお願いにも
快諾心の広いお人でした(HPに乗せるのもOKでした)
ブレーキの雪煙 かっこよかった 息子たちと同年輩
男はロマンを捨てたらアカンと又会う日を
気持ちの良い人でした |
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下山は稜線から来た道を引き返す
転ばぬように確実に下る 上りとは違い格段の速さ
簡易アイゼンがすべりを止めるのに丁度良い湿度のある
雪質のための良く掛る 高度が下がると一度解けた雪が
固まり氷を踏む状態で歩くたびにがりがり音がする
イワゴノ谷分岐から高天へ
2時40分に無事下山いたしました
装備を解いて柔軟体操
荷物を車に積んで 安全運転で4時30分自宅着でした
良く歩いたと体に感謝です |