釣りの不調を払拭する為 気迫の寒中金剛山に登る 2月18日(火)

−4℃の頂上に12:30到着しました
コースは郵便道から一の鳥居経由山頂でした
ゆっくりとマイペースで登り まだ体力はある確信いたしました
交野を8時に出る
第二京阪⇒近畿道⇒南阪奈道で葛城出口を降り
山麓バイパスに乗り新庄でコンビニに立ち寄り弁当を買う
高天彦神社前の駐車場に着く(整備されて30台は止まる)
神社には古くからの歴史がある
755年唐の高僧鑑真が渡来して高天寺に住職として赴任
今も咲く鶯宿梅との関わりがある 鑑真が弟子をなくし
悲しんでいると鶯が梅の木に飛んできて
「初春の朝毎には来たけれど会はでぞ帰る元の住みかに」
と歌を詠んで慰めた この逸話は鎌倉時代の曽我物語りに
紀行文に出ている

村落は雪の中です
周辺の山麓には先日の雪が残る
着替えて登山の準備 軽アイゼンは麓から着用します
10時に登山開始 高天滝のコースが通行不能で
迂回路に回る 村落を出る時害獣対策の扉が有り
必ず閉めて登山してくださいの注意書きがありました
この登山道は昭和10年に山頂にポストが出来て
第二次世界大戦が終わるまで名柄郵便局から郵便屋さん
通った道です マイペースで歩く事にする
心なしか体力に不安が残る高度計で高度確認しながら
700mで休む 3人組に追い抜かれる 900mで休憩
一の鳥居前の稜線に12時に登りつく 雪の重みで
枝が垂れ下がり 分厚い海老の尻尾が出来ていました
道中 高天滝、イワゴノ谷分岐上、稜線した階段の下等
大雨による登山道の被害が多く見られる
倒木が多くあり登山道に掛るものは鋸で切られて通行可能
葛城神社境内では 倒木の整理かエンジン鋸の音がする
杉の倒木や木々の枝折れなど 雪害で成ったものが
登山道に散らばる大変な量で四輪駆動車が葛城神社横に
登って来ていました
転法輪寺にでる境内は雪が多く牛さんも雪の中でした
国見城址に取りあえず行き 大きな雪だるまが作ってあり
大阪か堺方面が眼下にみえる天気でした
ライブ広場で昼食を取る −4℃を気温が示している
防寒着を着用する
 相席をお願いしてテーブルに着く
 堺市からカメラキャノン48倍のデジカメを持参して近畿を
回って鳥を撮るのを楽しみにしているとの事とでした
国見城址下の広場にカケスが居ましたよと伝える
食事の後行って見ますと撮影を楽しみにしていました
私はズーム18〜200mmなので被写体は小さくなる
待っていると地上に舞降りて周辺の木に止まったり
餌があるのか洗い場の周辺を飛び回る カケスさん
少し人なれしたカケス 寒いのか毛を膨らませて見た目が
スマートさのないカケスでした
葛城神社の下に 夫婦の石碑が目に付く
70歳代は感謝でと記してある 早いもう73歳に達している
私の回想録
 20代 金剛山早登り大会(御所商店街の主催)に
 参加 スポーツ日本新聞社協賛
水越峠にて受付 転法輪寺がゴール 翌日成績紙上発表
47分で優勝した事を思い出す 夢のようである
健康を感謝して少し体に負荷を与え体力維持に努めます
下山して
何時も使わない筋肉を使い下山時の体重を支える為に
本日両足の太ももの表側の筋肉痛です 
思ったよりダメージは少なかった様におもいます
今日の出会い
 国見城址跡で写真を撮ってくれた山ガールさん
 昼食を共にした野鳥愛好家さん
 学生グループの方 マップを読みながらの楽しい登山
昨日は六甲山で滑る 板持参のベテラン
 男のロマンと単独で趣味を堪能する芸達者な方でした
 葛城神社下まで登りなおし 尻すべりのお願いにも
 快諾心の広いお人でした(HPに乗せるのもOKでした)
 ブレーキの雪煙 かっこよかった 息子たちと同年輩
 男はロマンを捨てたらアカンと又会う日を
 気持ちの良い人でした
下山は稜線から来た道を引き返す
 転ばぬように確実に下る 上りとは違い格段の速さ
 簡易アイゼンがすべりを止めるのに丁度良い湿度のある
 雪質のための良く掛る 高度が下がると一度解けた雪が
 固まり氷を踏む状態で歩くたびにがりがり音がする
 イワゴノ谷分岐から高天へ 
 2時40分に無事下山いたしました
装備を解いて柔軟体操
 荷物を車に積んで 安全運転で4時30分自宅着でした
 良く歩いたと体に感謝です
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