北武蔵・比企地方の渡来文化
−武蔵國 比企郡・横見郡・男衾郡−





 1 古代の比企地方=比企郡と横見郡、男衾郡


(1)北武蔵の古代比企地方


埼玉県の比企地方は、今でこそ東京や埼玉新都心といわれる埼玉の中心地から離れているが、古墳時代から奈良・平安時代にかけて、北武蔵の中心地であったと想定される歴史をもっている。
  今の東松山市をはじめ、吉見百穴のある吉見町、京都の嵐山になぞらえた武蔵嵐山(らんざん)、和紙の故郷小川町など古くからの街が発展している。そのなかで、見過ごされがちなのが、比企丘陵北側から荒川流域に広がる数々の古代文化の遺跡である。(写真は吉見百穴横穴墓群)
  この地域は今では埼玉県大里郡に属しているが、明治29年までは男衾郡に編成されていた。比企地方という場合、比企丘陵一帯の比企郡をさすことが多いようだが、歴史的にみて古代の比企郡・横見郡と男衾郡をまとめた地域を一つの文化圏と考えてもいいと思う。8世紀、平安時代に入って国分寺瓦や須恵器の大量生産が行われた南比企窯跡群も、横見屯倉(横見群=吉見町)に派遣された渡来人の壬生吉士から始って、その子孫で男衾郡大領(群司)となってこの地方を支配した壬生吉士福正の存在を考えると、比企丘陵に発達した古代文化とその北側の男衾郡は切り離なせない関係にあるようだ。

比企郡は古代の郡の位置では「下」の位にあったが、郡家郷・渭後郷(ぬのしり)・都家郷・鹹瀬郷(からせ)の4郷、今の東松山市と鳩山町・川島町・玉川村・都幾川村など比企郡の南部一帯が中心であった。

横見郡は比企郡から別れたようだが、横見屯倉が置かれた。当時の資料では「小」郡で、高生郷(たけふ)・御坂郷・余戸郷(あまるべ)の3郷で、今の比企郡吉見町にあたる。

男衾郡は「中」郡で比企地方ではもっとも大きく、榎津郷・カリ倉郷、郡家郷・多笛郷・川原郷・幡々郷・大山郷・中村郷の8郷で、今の大里郡江南町・寄居町・川本町など荒川右岸一帯の地域と小川町・嵐山町・滑川町など比企郡の北部地域にあてはめられている。ただし、中世から近世にかけて郡域は幾度か変更されていて、今の市町村の境をあてはめることはむずかしい。



(2)比企地方の古代文化


この地域は、北武蔵のなかでも古墳遺跡の多いところである。北埼玉や児玉地方とともに古墳時代に北武蔵で古くから発達した地域で、「比企政権」ともいうべき地域政権の存在も考察されている。

古墳時代の後期には、野本将軍塚古墳(比企郡、現東松山市)、吉見百穴や黒岩横穴墓群(横見郡、現東松山市吉見町)、踊る埴輪で有名な野原古墳群や塩古墳群(男衾郡、現大里郡江南町)、荒川の自然堤防に作られた鹿島古墳群(男衾郡、現大里郡川本町)など、数々の古墳群が集中している。

また、奈良時代から平安時代にかけて、武蔵國で須恵器が生産された「四大窯跡群」のうち、南比企丘陵窯跡群(鳩山町)が残っている。
  この地域は、須恵器や国分寺瓦を生産した古代における一大工業地帯でもあった。今でも数々の古墳群とともに埴輪・須恵器・瓦を生産した窯跡、古代廃寺など残されている



(3)北武蔵の支配権をめぐる争い


『埼玉県史』や『吉見町史』などによると、6世紀末から7世紀初頭−西暦600年前後から、胴張りのある横穴式石室と横穴墓の出現によって北武蔵の古墳形成に大きな変化がおとずれたとしている。そしてその背景には、横渟屯倉(よこぬみやけ)の設置と渡来人・壬生吉士集団の移住という、歴史的事件があったこと推定されている。

横渟屯倉とは、『日本書紀』安閑天皇元年(534年)12月の条に記載されている、武蔵国に置かれた四つの屯倉のなかの一つである。
(西暦500年の頃はまだ「天皇」の称号もなかった時代だが、伝承として地方豪族の動きなどある程度の史実を反映しているものと思う)

武蔵國の屯倉(みくら)の設置について『日本書紀』では、「武蔵国造の笠原値使主が同族の小杵と国造職を争い、長い間決着がつかなかった。小杵は上毛野君小熊(群馬県)と結んで使主を殺そうとはかった。これを知った使主は朝廷に訴えたところ、朝廷は使主を国造とし、小杵を誅して争いを解決した。使主はこれに感謝して、朝廷に横渟・橘花・多氷・倉樔の地を屯倉として献上した」(『吉見町史』)と伝えている。

四つの屯倉について、橘花は神奈川県橘樹郡、倉樔は神奈川県久良郡、多氷(多摩)は多摩郡に比定されている。横渟屯倉については、多摩郡と横見郡の二つの説に分かれているが、最近では北武蔵の横見郡に比定する考え方が支配的のようだ。

この時代(6世紀末から7世紀初頭)は、古墳時代の後期にあたり、武蔵國では児玉地方を中心とした秩父と、荒川周辺に栄えた北武蔵(前玉・比企・入間・足立)、多摩川周辺に栄えた南武蔵の三つの地域にわかれて争われれおり、この中で北武蔵を中心とする笠原値使主が支配権を獲得したものと考えられる。



次へ   HOME