引越し
リーマスが引越しの話を言い出したとき、その唐突な切り出され方にシリウスは珍しく途惑い気味だった。
「改めて俺がここに同居するのに不都合があるのか?」
いずれ近いうちに館を処分するといっても、何もかもをここへ持ち込むつもりは端からなかった。
ここのロケーションはまあまあ気にいっていたし、何より友人と暮らしたこの空間に愛着のようなものを感じていた。
「そんなことをいってるんじゃない」
珍しくリーマスが苛立ったように言い募る。
「この近所の住人は、私がとんでもなく大きな黒犬と住んでいたことを知っているんだよ?」
それに対してはシリウスもうなずく
友人の家にかくまわれていた間、気晴らしと運動を兼ねた外出時は、必ず黒犬に変身して出かけた。記憶力の良いシリウスは、散歩中に出会う住人がどの家に住む何という人物かまできちんと覚えている。初対面の人間として近所付あいする際にぼろの出ないように十分注意する必要は感じていた。
「いきなり彼がいなくなったら当然変に思われるだろう?」
たしかに、友人の散歩が無くなれば近隣の住人は変化にすぐ気が付くだろう。
だが、それは引越しを言い出すほど深刻な事態なのだろうか?
「改めて近隣の住人に説明する必要があるのか?」
「片っ端から忘却魔法をかけるわけに行かないだろう?」
魔法界をはなれて暮らすにあたって、むやみやたらと魔法を使わない、とは友人と交わした約束事のひとつである。
自分や友人の生命や安全確保のためでもないのに集落の住人全員に魔法をかけて回るのは、たしかに乱用と言えるレベルかもしれない。
「…まあ、安全に外をうろつく為にあの姿でいただけだしな。
奴はいなくなったことにすればすむんじゃないか?」
近隣の住人は当然、この家にたどり着き、ようやく外に出歩き始めた頃の、ぼろぼろに痩せていた黒犬の姿だって見ているのである。
偶然ここへ流れついたように飼われた犬が、またふらりと出て行くのは十分ありそうなことに思えた。
だがそれを聞いたリーマスの表情の変化は、劇的だった。
普段ろくに顔色を変えることもない友人の顔が青ざめるどころか白くなるほど血の気をなくしたのだ。
「リーマス、大丈夫か?」
シリウスがあわてて顔面蒼白になった友人の体を支え、ソファに落ち着かせる。
顔を覆ってうなだれた友人の弱々しい呟きが聞こえた。
「…パディがいなくなった、なんて、そんなことをみんなに説明して回るなんてとてもできない」
…もちろんその『犬』は誰でもないシリウス自身である。
「ちょっとまて、
黒犬がいなくなった、と近所の住人に説明すれば良いといっただけで、俺自身はここにいるんだぞ?」
うつむいたまま、リーマスが首を振る。
現在の状況と自分の感情とうなだれた友人の頭を見つめる。
「家の中でなら今までどおり変身するし、これまでどおりだぞ?」
友人は顔を上げない。
この話題のそもそもの発端は、自分が人間としてリーマスと共に暮らすという状況を起因とする。
喉元まででかかった疑問をどうにかこうにか飲み込んだ。
激しく理不尽さを感じながら、シリウスは転居を承諾した。
つぶやき
黒田、しばらく黒犬(自分自身)相手に猛烈な嫉妬。