ジーザス・クライスト=スーパースター 
         
                   〔ジャポネスク・バージョン〕


         

                              四季劇場・秋 1階 S席  4列18番
                                              15列13番


                      当日のキャスト



  ジーザス・クライスト 柳瀬大輔   ユダ 吉原光夫   マグダラのマリア 金 志賢
  大司教カヤパ 高井 治    アンナス 喜納兼徳   司祭1 長 裕二  
  司祭2 増田守人  司祭3 小林克人   シモン ジュン・ユホン  ペテロ 賀山祐介
  総督ピラト 村 俊英    ヘロデ王 下村尊則  
  

2004年8月28日(土)マチネ・29日(日)千秋楽

【前 編】



出張では数回来たのですが、観劇だけのために東京に来るのは初めてです。
遠征先が広島、大阪、京都とどんどん遠くなって、そのうち海外遠征を思い立つことに
なるんでしょうねえ。あーあホントにヤクザな道に入っちゃったもんです・・☆

今回は前楽マチネを中心に、千秋楽観劇を少し足してレポを書いておきたいと思います。

ただ、あまりにも長くなったので、前編後編に分けさせて頂きました。
なんでこんなに長くなったのか、スミマセン、自分でもよくわかりません。



8月の東京ということでまだまだ真夏気分で行ったのですが、到着してビックリ。
寒ーい!小雨まじりの中、半そでや袖なしの服でプルプルしてました。


四季劇場は初めてです。遠征前に、「春」劇場のロビーで「ライオンキング」開演前の
スタンバイが見られるという話を聞いていたので、東京在住の優しいお嬢さんに教えて
頂いて、こちらもしっかり見学。
動物の扮装をした俳優さん達、客席に入る前からちゃんと歌っていらっしゃるのですね。
目が合ったら笑顔を返して下さる方もあり、このままサバンナについて行きたい気分♪


そんなこんなで開演まぢかとなりました。クロスペンダントの引き替えも済ませて、客席へ。
コンパクトというかアットホームな劇場ですね。
前楽は実質的には前から2列目センターでしたので、舞台がほんの目の前って感じです。
白いなめらかな舞台の奥には大八車が5台。左右の袖に立ててある木には
端切れのような、色とりどりの布が沢山結びつけてありました。



さて、いよいよ開演です。



無音の舞台、歌舞伎などで見かける黒子さん、ただし今回は白い衣装の10人がしずしずと
左右から歩いてきます。全員が正面を向き、顔の前の垂れを下ろして体をかがめるのを
合図に音楽が始まりました。
最初から群衆が荒野に倒れているエルサレム版とは全く違うオープニングなんですね〜。


傾斜をつけた大八車の上、一番に白塗りの顔を現したのは吉原ユダ。
群衆も登場して、大八車に昇ろうとするのですが、上から司祭軍団の5人が錫杖のような
ものを振り回して追い落とします。
あ、中央が高井さんですか、ふぇ〜なんだかスゴイ扮装☆
しかも最初から口をあけて威嚇する、白塗りのメイクはショーゲキですね〜。


坊主頭って、多少なりとも髪の毛があるのかと思っていたら、いわゆるスキンヘッド。
カヤパはエルサレムではユダヤ教の大司祭、和風なら大僧正ってことだから坊主頭は
当然ということでしょうか。上半身裸の上から、胸当て肩当てマント姿。
腰には大きな結び目があって、白い股引風の衣装に白足袋と草履。大僧正というよりは
山伏というか、修験僧のムードに近いのかな。
ハチマキをして、額の中央に書かれているのは梵字風の文字でしょうか。
頬に青い隈取りが大きなヒゲのように描かれています。
アゴにも小さな青い渦巻模様が描かれて、仕上げは縁なしの眼鏡。
・・・・ん〜これは・・ギャグ(爆)? スミマセン、あまりの扮装に内心思いましたよ、
でも、たぶん違うんでしょうねえ。


エルサレムでのミッキー帽といい、今回の見事な坊主頭といい、高井ファントムを
知っているファンにとっては度肝を抜かれる高井カヤパ様ではあります。


大八車の中央にできた隙間に民衆がいったん吸い込まれるように消え、
両手を高くかかげて再び現れる群衆のダンスが面白い。
中央のユダは上手端に移動して、群舞が始まります。
白い舞台に白っぽい衣装、白い顔と、赤や黒の隈取りが前衛的な感じ。
私はこの最初の場面を見ながら「こういうのは当時、どうとらえられたのかなあ」と
思いました。




スミマセン、のっけから脱線します。


このジャポネスク版(当時はこの名前ではなかったそうですが)の初演は
1973年だそうですね。1973年頃ってどういう時代だったのかちょっと調べてみると
大阪での万博から3年。大ヒット洋画は「燃えよドラゴン」に「エクソシスト」。
かの五島勉氏の迷(?)著「ノストラダムスの大予言」も73年出版なんですね。


私自身も子供だったので、アニメやマンガの方が記憶に残っているかな。
72年に「ガッチャマン」と「マジンガーZ」、74年は「宇宙戦艦ヤマト」のテレビ放映が
始まったそうです。


企業による「公害」が社会問題として浮上し、高度経済成長の終わりを告げる
第一次オイルショックが起こった年。ベトナム戦争は終結したばかりだし、日本赤軍による
日航機ハイジャックなど、まだまだキナ臭い時代の雰囲気を残していた70年代の初め。


音楽的にはビートルズの事実上の解散、その後ニューロックとかアートロックといった、
ちょっとわけのわからない言葉が生まれ、ポストビートルズを夢見てあまたの
音楽グループがデビューしては消えて行った頃、だとする人もあります。
変化の予感とか、アメリカナイズが進むことへの抵抗も時代の気分だったのでしょうか。
大滝詠一、松本隆らが率いた伝説のグループ「はっぴぃえんど」が活動したのも
この頃までなんですよね。
当時、この演目はどんな評判だったのか、当時を知る人に聞いてみたいなあ。




ジーザス登場

エルサレム版では足首まで隠れる長いストンとした衣装でしたが、ジャポネスクでは
ジーザスも和洋が混在している股引タイプの衣装。
黒い髪が長くて、白塗りの顔とのコントラストが綺麗だな〜。
ジーザスは民衆のような派手な頬の隈取りはないし、ひとりスッキリした印象で
柳瀬さん、かなり男前。


民衆の間で癒しを与える場面は、エルサレム版とほぼ同じですが、手をじっと握りあう
病人役は、村さんではなかったようです。
メロディは同じでも、演奏に邦楽器が入っているのが新鮮な感じ。案外違和感はないし、
音楽としては、むしろ邦楽器が混じっている、このアレンジの方が好みかな。
特に笛の音に哀愁が感じられました。



彼らの心は天国に


吉原さんには7月に、福岡「ユタ」ゴンゾ役でお会いして以来ですが、相変わらず立派な
体格のお兄ちゃん(笑)。ちょっと猫背気味に立っていらっしゃいます。
声質がこもった感じなのは仕方がないとして、かすかに肩凝りをほぐすみたいに首を
振るクセはやっぱりちょっと、気になるわ〜。
声そのものは決して嫌いではないのですが、あまり朗々と歌うと、
感情が乏しくなるのが惜しいような気がします。
(といって、CDの寺田ユダみたいに、歌じゃなくてただ荒れ狂う感情だけ!というのも、
 いかがなものかと思いますが☆)


ジーザス以外の民衆は顔に、赤や黒で歌舞伎の隈取り風ラインが入ってて、
特に女性は皆、白い狐のお面をかぶっているよう。
ユダのメイクは、左側だけ、眉の上に赤いラインが縦に入って非対称になっています。
これって無表情になるのを防いでいるのか、屈折した人格を表しているのかなあ。


ところで、歌舞伎で使われる隈取りは、ものの本によれば赤、藍、茶隈と色によって、
また筋の数の多さによっても、性格の激しさなどを分けているそうです。
大雑把に言って、赤は若さや動的エネルギーを、藍(青)は冷血・マイナスの
エネルギーを、そして茶色は妖怪など、人間ではないものを表現しているとか。


また、隈がないということで穏やかで冷静な性格や、やさ男をあらわすこともあるし
基本的には娘役、女房(人妻)役に目ばりはあっても、隈取は用いないんですね。
もちろん、四季の演出はあくまで「歌舞伎テイスト」ですから、厳密にルールを
ふまえているわけではないのでしょうが、ちょっとした基礎知識があると、
面白みも増すような気も致します。



何が起るのか教え給え

「なぜ知りたい」の柳瀬ジーザスの第一声を聞いて、ちょっと低いかな?と思いました。
この場面の柳瀬さん、ところどころに混じるハミングが綺麗で好きなんですよね。
28日はこの場面でマイクのハウリング。
最近、四季の舞台はハウリングが結構多いのが残念です〜。



今宵安らかに

金マリアのソロ。福岡ジーザスでも何度かお会いしているのですが、金マリアは
格段に良くなっていました。ただ綺麗な声というだけでなく、「ゆらぎ」があるというか、
ハスキーな声質がなんとも心地よく響きます。
テッド・ニーリー主演映画版のマリア役の女優さんも、あたたかみがある声がとっても
良かったのを思い出しました。


「ありがとうマリア」と視線をからませる二人を見る時、芝さんのユダは
思わず乗りだして、息をのむような仕草を見せるのが、ジェラシーいっぱいで(笑)
密かに好きだったんですけど、吉原ユダは愛ゆえの嫉妬じゃなく、もっと単純に
「この忙しい時に、まったく」と怒る弟子って感じですね。


ジェラシーというのは単純な怒りじゃなくて、もっと渇望とか痛みとか、
愛情の変形だからこその複雑さを含んでいると思うのですが。


「この人をうて!」の激しい声から一転、悲しげに「愚かな者たちよ」と
歌うジーザス。 あとでご一緒した方ともお話したのですが、28日の柳瀬ジーザスは
最初からずっと、悲しみの感情が歌声にこもっていて、
まさに「嘆きのジーザス」という印象だったように思います。
でも、それがとっても良かったなあ。個人的には千秋楽よりも前楽のジーザスの方が、
白塗り顔に、強い悲しみが感じられてツボでした。


金マリアのバックで歌う女性コーラスの声が、綺麗でとても良かったと思います。
福岡ジーザスとは顔ぶれも少し変わっているのでしょうか。
透明感と爽やかさのあるコーラス。 でも、ここでもマイクのハウリングが(泣)。
音響リハーサルも毎日してるはずなのに、一体どうしてなんでしょうね〜☆



ジーザスは死すべし

大八車を並べ替えて、小林司祭たちが傾斜に昇って顔を出しています。
高井カヤパが歩きながら歌う 「やあ みなさん」 は、相変わらず良いお声。
でも、オペラチックな歌い方とお坊さんの扮装には正直、違和感が☆


カヤパメイクも、エルサレム版では眉毛とアイラインがしっかり、素顔から遠いところが
好きだったのですが、今回は眉毛のはっきりしない白い顔にかけた眼鏡が、
妙に素顔に近いし(笑)


あくまで好みは人それぞれだと思いますが、個人的にはエルサレムの高井カヤパの方が
好きです。理由はたぶん、もの珍しさはジャポが勝っても、役柄と高井さんのフィット感は
エルサレムの方が上だったような気がするから。
うまく言えないのですが、妖怪チックな不気味さはジャポの方があるのはずなのに、
俳優さんの感情としては、充分引き出しきれていないというべきか。


ジャポのカヤパは、エルサレムの高井カヤパに感じた、サディスティックさも
少ないし、なによりアーティスティックな造形に、魂が入っていないような気がするんです。


・・と、えらそうに、ごめんなさい。


でもなぜ、そんな風に感じるのかというと、扮装は歌舞伎風なのに、高井カヤパの
所作は、まったく現代人の日常そのものだからかもしれません。
後半に出てくるヘロデ王のような、ぶっ飛んだケレンみもないし、歌舞伎風の様式美を
踏襲するわけでもない。もちろんロックの歌い方もなさらないわけで。
リアリティを追求するのでなく、ファンタジックになりきるでもなく。



「エルサレム版とジャポネスク版の違いって何なのだろう」と、あとからつくづく考えて
しまいました。
西洋が舞台なのに、東洋的な服装と邦楽器。伝統的な楽器を使いながらも、
現代風ロックとしての歌い方が求められる場面もあり。
そう考えれば、何でもアリなのかもしれませんが、この演出が何を
観客に伝えようとしているのか、だと思うのです。


ジャポネスクとはただ、奇抜な演出を目的に、一番ベクトルの遠そうな西洋と東洋、
伝統的な邦楽と現代ロックをごった煮にしてみせただけなのでしょうか。
日本人らしい演出であることはわかるのですが、これが必要なのかと言われると
奇抜さ以上のものを伝えなければいけない難しさを改めて感じます。




・・・また、脱線することをお許し下さい。


実は今回、ジャポネスク版演出の話を聞いて、まっさきに思ったのは
「オペラ座の怪人もジャポネスクがアリか?」ということでした。


シャンデリアの代わりに、巨大なひな祭りのぼんぼりが落ちてくる劇中劇。
半分に切った能面を顔につけて、歌うファントム。「娘道成寺」よろしく赤い振り袖の
清姫姿でカルロッタが登場するなら、バレエダンサーはさしずめ茶坊主でしょうか。
若侍姿のラウルが、支配人達と踊るマスカレードは「元禄花見踊り」かな。
いや、マツケンサンバかも(爆)


さぞ、華やかな舞台になるでしょうね。
でもでもやっぱり「???」なのです。その奇抜さは芸術なのだろうか?舞台は
本来娯楽だから、面白かったね〜で良いのでしょうか。そういう扮装で
あの音楽が引き立ち、ファントムやクリスや、ラウルの心情が観客に、
より強く訴えかけるのでしょうか。


やってみる価値がないとは言わないけど、
19世紀のパリのオペラ座、地下に住む「ファントム」と呼ばれた男の物語。
その顔の醜さと天才のプライド、歌姫への狂おしい想いは、やっぱりあの燕尾服と
白いマスクでないと表現できないような気がします。




話が脱線したまま、どこか遠くへ行ってしまいそうなので(笑)、ジーザスに話を
戻すと、正直言って 「ジーザス」 に関しては 「オペラ座」 よりは
ジャポネスク版の 「アリ度」 は高いと思います。
もともとイエス・キリストという宗教的な古典に対して、ロックという反体制的な
現代音楽をぶつけることからスタートしている演目ですし。
歌舞伎だって、もともとは異様な風体で目立つという意味の「かぶく」という動詞が
名詞化した演劇ですから、平たくいえば大仰に「ハジケて」ないといけないのですね。


ただジーザスだけは役柄上、ニュートラルでなくてはならないと思うし、
ジーザスの「静」に対して、ユダや弟子を含んだ群衆の「動」。
司祭軍団は陰謀という暗闇にうごめく悪役という構図が、隈取りの有無や
色にも明確に現れているような気がします。


と、話が脱線して長くなりましたが、結局ジャポにおける高井カヤパは、
西洋的な意味でも東洋的な意味でも、扮装も歌い方も、すべてにおいて
「ロック = 反体制 = 歌舞伎」 を消化しきれていなかったのでは?というのが、
個人的な結論です。 辛口になってごめんなさい。


もちろんこういう印象を受けるのは、高井さんおひとりではありませんでしたが、
特にカヤパという役柄は、この演目の中で悪役の頂点、
ヘロデ王やピラト同様に、ひときわ大きな役だと思うので。


で、ついでにもうひとつ希望を述べるなら、カヤパの扮装はもうちょっと劇的、かつ美的で
あって欲しかったなあ。 司祭たちはともかく、トップであるカヤパが、半裸に近い状態に
なる必要があったのでしょうか。
ええ、もちろん高井さんのおヘソが見られるのは、ミーハー根性としては
嬉しかったですけどもね〜☆
たとえば、小林司祭の紅色の袈裟みたいな布は、カヤパに着せてあげたかったような気も
致します。



さて、司祭軍団の話にもどりまして。
前で歌うカヤパとアンナス以外の3人は大八車の間を乗り移ったり、動きがまったく
違います。小林さんは紅色の袈裟と鉢巻き。顔の横にリボン結びのようなデザインが
ついているのがちょっと可愛い。
長さんは焦げ茶、増田さんは渋いグリーンの衣装だったかな。
マントをしているのはエルサレム同様、カヤパとアンナスだけです。
「流血騒ぎ 避けられぬ」で、司祭3人がグルグル小さな輪を作ってまわるのが面白い
振りつけですね。
高井カヤパの 「バカ!!な〜わからぬか♪」の激しさは健在。
なんだかむやみと嬉しくなっちゃいますわ(笑)



ホサナ

下手の端に司祭達が立って、ジーザスを讃える群衆を観ています。
でもただひとり民衆に背を向けているカヤパ様。エルサレムの時はプンプン怒りながら
サッと袖をひるがえして、上手の穴に降りて行きましたが、今回はジーザスを悔しそうに
睨みつけながら、ゆっくりと下手袖に去って行くという風に変わっていました。



狂信者シモン

この曲のイントロは、エルサレムとはアレンジが違っていました。
笛や鐘が入って、一層にぎやかな感じ。
ジョン・ユホンさんのシモンには初めてお会いしましたが、すっきりした顔立ちが、白塗りの
上でもよくわかります。声も清涼感のある印象ですね。


ただ、「狂信者」という熱い感じは大塚さんや高さんの方があったかな。
大塚シモンは歌声と表情に熱気とパワーがあったし、高さんはジーザスの手を取って
先導する時の仕草とか、師のそばにいるのが嬉しくてたまらない若々しく情熱的な
シモンぶりが良かったと思います。
そういう意味では、ジョンさんは「呪わせてください ローマを!」のところとか、
もう少し突き上げるようなパワーが欲しかったなあ。


しかし、ジャポネスク版シモンは胸が半分だけ、はだけたような衣装なのは
何故なのでしょう。なんか中途半端というかアンバランスというか。
観劇後に皆さんともお話したのですけど「出すなら出す、出さないなら出さない(爆)」で
ハッキリしてほしいような気も致します。


どなただったでしょうか、「ジョンシモンの半分だけ見える肌が、舞台が進むにつれて
紅潮してくるのがわかった」 というずいぶん色っぽい感想も耳にしましたが、
私はそこまであの衣装を、凝視できなかったわ。あぁ残念(笑)





  さて、前編はここまで。


  後編に行く前に、ちょっと幕間ってことでホワイエでお茶でもしましょうか。
  



  ってことで、こちらへどうぞ♪ →  ジーザス観劇の幕間(笑)・ホワイエへ