【後 編】





ピラトの夢

エルサレムとはライトの色が違うし楽器も違うので、ムード歌謡風ではなかったかな。
でも2回とも、村さんの歌い方に哀愁と甘さがあって、とーっても良かったです。
特に「夢の中で」歌い出しの繊細さは、エルサレムにはなかった雰囲気。
まるで、柔らかい羽毛で肌を撫でられるようなしっとり感があって、思わず目をとじて
聞いてしまいましたわ。 あ、いえ決して白塗りを見たくないってわけじゃ・(笑)。

でも、村さんの歌い方、ホントに良かったんです。
特に「ガリラヤの」 という歌詞の高音部が、ささやくように優しくてツボ♪
短い時間だけど、久々に村さんの「声」の波に酔わせて頂きました。
衣装は他の皆さんに比べれば、エルサレムと大きく違う印象は受けませんでした。
つまり、白塗りでも村さんは村さんってことね(爆)



ジーザスの神殿

市場で売っている品物も数珠、白へび、反物、帯とか、全部は見えないけど和風に
なっているみたいです。民衆の数人は、うちわや和風の小さな傘を手に持っていたり。
薄ものの着物をもった女の人もいて、ひらひらと華やいだ印象を与えています。
でも、トキや鹿みたいな角のあるかぶり物は一体なんなんでしょ(笑)
店から、みかじめ料をとるのはエルサレムでは増田司祭だけだったと思うのですが、
ジャポネスクでは長さんと増田さんの二人なんですね。


奇跡を求めて民衆がジーザスに群がってくる場面、歩いて来る方向とか、ちょっとずつ
エルサレムとは違う。でも一番大きな違いは柳瀬ジーザスの声でしょうか。
福岡ジーザスは、この場面はテープ併用だったみたいですが、たぶん今回は全部、
柳瀬さんの生声だったと思います。
「悩める者は」 のあとの悲鳴がホントに高くて、凄かった。胸に突き刺さるように
ジーザスの苦悩と、悲しみの絶叫が響きました。



私はイエスがわからない

金マリアが横になったジーザスのそばに座って歌い出しました。
エルサレムとは位置関係が違うからでしょうか「あの人が可愛い」の歌詞が
ジャポネスクでは「この人が可愛い」に変わっていました。
しかし、細かいところで変更がたくさんあって、全国公演で、エルサレムの段取りに戻るの
俳優さんたちも大変でしょうね〜。
金マリアの声、ホントによかったです。福岡ジーザスの頃は正直言って韓国訛りも
ちょっぴりあるし、井上マリアの方がひたむきな清純さがあって良いような気が
していたのですが今回の金マリア、ハスキーな声の中に深い情、とまどい、繊細さが
あって、おもわず涙ぐんでしまいました。



裏切り

長い暗転。
暗い中をたぶん琵琶だと思うのですが、厚みのある音色が鳴り響きます。
能のように、両手を足のつけ根に揃えた姿勢に摺り足で歩いてくる吉原ユダ。
うーん、吉原さん頑張ってるけど修行不足は隠しようがなく、ちと残念かな☆
こういう和風の動作は、すぐに身につくものではないでしょうしね〜。
エルサレムであった地面のうずまき模様はありません。代わりに網目のような模様が
地面に現れています。
司祭達が大八車に乗ったまま、仁王立ちで車ごと前に押し出されてくるこの動きは
演劇的というか、大八車の面目躍如(笑)で、とっても好きです。


この裏切りの場面、せっかく黒子(っていうか白子ですね)がいるんだから、
たとえば、文楽の要素をもっと取り入れて、人形浄瑠璃みたいにやるのも面白いかも
しれません。
司祭たちに操られる吉原ユダ、なんてどうかなあ?・・デカイ人形すぎるかしら☆


逮捕令状は巻物ですが、エルサレムのように、ひらいては見せないんですね。
銀貨の袋を掴まされて、倒れている時のユダの血走ったような目がコワイ。
「木曜日の晩」の直前にエルサレムでは弦を弾くような合図がありましたが、
ジャポネスクではこれも「無し」でした。



最後の晩餐

ジーザスと見つめ合うユダ。

「それが誰か知ってるくせに」 と叫ぶ吉原ユダは、ただ激しているという感じです。
白塗りで表情が見えにくいし、ユダ歴も浅く、若い吉原さんだから仕方がないような
気もしますが単純に怒ったり、怒鳴ったりしている印象なのは残念。
この演目の中で、ユダという男はかなり複雑な心理を持った男ですからね〜。


吉原さん以外には、芝さんのユダしか拝見したことがないのですが、過去の俳優さんは
この役をどんな風に演じていらっしゃったのか、つくづく見てみたかったと思います。
CDでは驚かされる寺田ユダも、実際に舞台の上で見たら、ジーザスに対する
執着心や、崩壊する精神がすごく実感あったのかもしれないですね。


この演目から感じられるユダの、あくまで個人的なイメージなんですけど、
ユダは決して激しい男ではなくて、表面的には地味で思慮深い、
どちらかというと知的な男なのではないかと思います。


最初はジーザスの語る言葉に引かれ、その奇跡に興味を持ち。
深い慈愛のまなざしに触れるうちに、いつしか引き返せなくなるほど
ジーザスを愛してしまう。


しかし弟子として彼につき従う間にも、シモン達のような 「狂信」 はできない。
ユダはジーザスを愛しながらも疑問を持ち、考える男だったのではないでしょうか。
愛とは何か、神とは何か。真理とは。


ジーザスの教えを最も深く理解しながら、最も疑っているユダ。
ジーザスを愛しながらも、そんな気持ちの罪深さをもっとも呪わしく思っているユダ。


愛している人を裏切るユダがどんな気持ちなのか、想像するしかないけど
たぶん嫉妬にうずく胸を抱え、一人で流す涙を知る男だったと思う。


水の面のように静かに自分を映すジーザスを見ると、ユダは自分の醜さや
みっともなさがハッキリして、苦しくてたまらなくなったのではないでしょうか。
愛ゆえに静かさを手に入れている(ように見える)ジーザスと
その言動のひとつひとつに、心乱されてしまう自分。
愛ゆえに憎しみを知り、愛ゆえに半狂乱になってしまうユダは、やっぱり
ジーザスとは別な意味で、超難役なのでしょうね。



吉原ユダが、ジーザスと激しい言い合いになった後、下手側に倒れる場面、
大きな体を丸めるように倒れたのは、少年が泣いているようで良かったと思います。
全体的に若いユダ、ジーザスよりも年下のユダという感じですが、ここでは
その未熟さというか青臭いところが、自分の気持ちをうまく伝えられないもどかしさに
つながって、実感がありました。


柳瀬ジーザスも、ここで大きな身体を震わせるように、泣いています。
「みんなで明日からも」使徒たちの歌の中、立ち上がってふらふらと近づくユダ。
訣別を胸に、愛する人の姿を見納めようとするかのよう。
「行け すぐに去れ」のところで、ぱっと上に向かって顔をそらす吉原ユダに、
初めてはっきりと「痛み」を感じました。
千秋楽は感情が高ぶったせいか、「あわれな人よ」からの早い歌詞をちょこっと
言い損なっていらっしゃいましたが、これはご愛嬌ってことで☆



ゲッセマネの園

柳瀬さん、音程がちょっと下がり気味だったのでしょうか。
「いいだろう死のう さあ、さあ 見てくれ 死にざま」となってましたけど、
この「さあ、さあ」は何故ジャポネスクだけに入っているのでしょうか???



逮捕

下手後方からユダが来ます。これもエルサレムとは位置が違うところ。
膝立ちのままユダを見上げるジーザスの表情は、優しく微笑んでいるようにも
見えました。
ユダを一瞬見上げて、それからすべてを受け入れるように目を閉じる柳瀬ジーザス。
キスはなくて、抱きしめるだけだけど吉原さんの体格が良いせいか、抱きしめ方が
実にダイナミック(笑)。抱擁というよりガシッと捕まえるような感じですね。
でもこれだと「たった一度の口づけで」の歌詞とズレちゃうし、聖書にも出てくる重要な
場面ですもの。しっかりキスできないのが白塗りのせいなら、おそるおそる唇を軽く
触れるだけっていうのも、裏切りへの迷いが表現できて良いような気もいたします。



「剣を捨てろ なぜ戦うのだ」 からのジーザスソロの伴奏、ピアノと鼓の融合が
なかなか良かった。
カヤパがジーザスを尋問するところでは、アンナスがユダを捕まえているんですね。
「血を見ていくがいい」と言いながらユダをつき飛ばすようにしていました。



ペテロの否認

これもエルサレムとは去っていく方向が反対。
上手奥にジーザスが連れて行かれる時、「あんなやつ!」でペテロがハッとした瞬間に
鋭く鳴った尺八がまるで「必殺仕事人」みたい。
1973年には「必殺仕事人」はまだメジャーじゃなかったけど、今はね〜☆
甲高い女の笑い声がした後、急に宗教音楽らしいパイプオルガンの音が響くのが、
なんとも面白いなあと思いました。



ヘロデ王の歌

長い暗転の間に、上手から花魁が二人ゆっくりと出てきます。
下村ヘロデ王が人力車に乗って登場。
うわ〜青いアフロヘアに綺麗な赤い隈取り、上半身は入れ墨模様の肌着に下半身は
薄いタイツですか。雷さまという話を聞いていたけど、小太鼓がないし、
雷さまそのものってわけじゃないのかな。
なんというか、和風の宇宙人って感じ(笑)。歌舞伎というよりSFチックですね。


「神様じゃな〜」の後、あは、あは、あははは〜と笑ったり、ひとりで見得を切ったり、
歌も仕草も楽しそうにハジケる下村さん。音楽も鼓の音が沢山入ってリズミカルさを
増しているような気がしました。


でも、2回拝見してみて、私のツボは実は下サマじゃなくて、二人の花魁ヘロデガール。
畠山さんと田中さんの男性お二人が演じていらっしゃるそうですが、とにかく綺麗。可愛い!
下村ヘロデのぶっとびぶりに比べれば、正統派の花魁衣装。
赤と緑だったかな、色違いの豪華な着物に黒塗りの高下駄を履いていらっしゃいます。
花魁独特の所作「外八文字(そとはちもんじ)」で歩いてきて、ほっそりした首を傾げて
顔を見あわせたり、袂をうち振ったり。
派手に動き回る下村ヘロデと好対照をなす、花魁ヘロデガールのたおやかで可憐な
仕草にもう釘付け☆あぁ〜、あの二人を持って帰りたい〜(笑) 


しかしジャポヘロデ、なかなか面白いけど「ユダヤのキング」で土下座までするのは、
ちとヤリすぎではないでしょうか。
ヘロデはジーザスと対照的に、怠惰と享楽にひたっている役どころだと思うのですが、
これだと王様というより、道化としての存在が大きくなってしまうような気もしました。
「ヘロデに任せる」と言ってたものの「裁き」なんてとてもじゃないって感じ(笑)
最後は兵士の竹槍を取り上げてバトンのように振り回し、人力車の上でのけぞって
フィニッシュのポーズ!
その後は主役を食うほどの大拍手、インパクトの大きさで客席も「ようやった!」って
雰囲気だったと思います。いやはや、下サマさすが。ってところでしょうか。



ユダの自殺

ここは、ユダの最大の見せ場ですね。
最初は大八車に乗ったまま「青ざめたあいつの顔」と歌うユダ。
「何度も鞭打たれたのだ」の声に感情がこもっていてとっても良かった。 
心底憎らしくて、ジーザスを逮捕させたのではない、あんなに彼を痛めつけるなんて、
と司祭たちに訴える心情が、切なさとともに感じられました。
私が吉原ユダのジーザスへの愛情を感じたのは、正直ここだけでしたね〜。


最後の独白。
「ただの男」の後、はははと笑う吉原ユダ。
「生きていられるか」で立ってムンクの「叫び」のように大きく口をあけて
呆然と立ちつくす仕草をみせます。 


それから音楽の間に「ぐうっ・・ううっ・・」と苦悶の声を3,4回もらし、
立ったまま「心のなかは 闇だ」。「なぜ」の言葉が芝ユダより多め。

最後は中央の大八車の上に立ち、向こう側へ落ちていきました。
ただ、落ちていくときの叫びが短くて、地獄の底へ
吸い込まれていくような断末魔としては、ちょっと迫力に欠けたような気もしたけど、
吉原ユダ、とっても頑張って演じていらっしゃったと思います。




鞭打ち

兵士はピラト以外に6人。そのうち一人はムチを最初から持っていらっしゃいます。
福岡ジーザスでは、この役は青山さんでしたが、今回は赤瀬さん。
私は初めてお会いするのですが、キャッツで活躍されたそうで、しなやかな印象の方
ですね。
でも、2回拝見するぐらいでは、アンサンブルさんは顔がほとんどわかりませんわ〜☆
福岡ジーザスでしっかり顔を覚えた高さん、畠山さん、服装に特徴のある
ジョンユホンさん、賀山さん、藤田さんあたりは良いけど、あとは???状態です。


エルサレムの時も、群衆と使徒の区別がつかないから、名札をつけてほしい(笑)と
思っていたのですが、ジャポネスクでの判別はさらに困難を極めております☆
これはヒヨコの雌雄判別とか、野生のサル山観察みたいに、一瞬で個体を
見極める眼力が必要ですね。・・って、いよいよマニアックかしら(笑)
思わず、俳優さんを見きわめる決め手は「愛とオペラグラス」という某お嬢さんの名言が
浮かびました。 私にはまだまだ愛が足りないということでしょうか☆


群衆とピラトのやりとり、投げられる石に驚いて身を引く村ピラト、実感があります。
今回はエルサレム以上に、歌も台詞も、村ピラトは感情表現がはっきりしていて
とっても良かった。前楽、楽ということで気合いが入っていたのかなあ☆


高井カヤパ「ナザレ人の彼は ローマが」の「ローマが」でちょっと声を張るように
なるところが好きです。
村ピラト「語れ」の直前に少し沈黙がありますけど、ここで伴奏に入った笛の音が
効果的だったと思います。民衆の心変わりに「わからない 何ひとつ」と悩むピラト、
目に見えないパワーに押されるようにちょっと後ずさったりするのがうまい。


そして始まった鞭打ちの刑。

聞くところによると、今回の東京ジーザスでは、村ピラトはカウント間違いもたまにあった
みたいで、ひそかにハラハラしましたが、間違いはなかったし、感情の高ぶりが
感じられて良かったと思います。
たしか28日だったかな。カウント19の声がうわずった感じになっていましたっけ。


カヤパは大八車の車輪に座ってこの様子をじっと見ているんですね。
やっぱり白塗りの顔だと、表情が見えにくいなあ。青い隈取りがあるだけで、表情に
一種の雰囲気は出るけど、それに頼っていると結果的に、無表情になってしまうから、
もっと大仰に悪役としての「演技」をして戴きたかったような気がします。


うーん、どうも今回は高井さんに辛く、村さんに甘いレポになってますね〜。
高井ファンの皆様ごめんなさい。自分でもどうかと思うのですが、これが今回、
ジャポネスク観劇後の正直な気持ちなのです。
それだけエルサレムでの高井カヤパが、良かったということだと思うし、
同時に、村さんの演技が福岡ジーザスとは違ってたのも確かです。


「お前はやがて死んでいくのだ ジーザス」の声が悲しみに満ち、
「助けてやりたい 愚かなジーザス」の声ににじむ逡巡と憐憫、憤りが感じられて。
「死ね!」がちょっと泣き声みたいに聞こえて、福岡ジーザスで時折見られた
叩きつけるような激しい言葉ではありませんでした。
言い捨てて去る歩みも、ちょっとふらついているようで。


歴史上の総督ピラトは、お世辞にも慈悲深い人物とは言えなかったようですが、
この演目の中で描かれるピラト像は、情け深さと弱さを併せ持った男ですね。
先輩である光枝ピラトは、どんな感じなのでしょう? 
ぜひ次回は大好きな光枝さんのピラトで、拝見してみたいものです。



スーパースター

天井からゴンドラが3台降りてきました。中央のユダは黒い衣装に緑色の帯、
左右のゴンドラには右に一人、左に二人、坊主頭にイヤリングをした、白塗りの
ソウルガールが乗っています。
ともにダンスはなく、正面を向いて歌うだけ。


ジーザスが十字架を背負って歩いてくるのを、ユダはじっと見下ろし、
「聖書の通りと思うの?」のあたりで、ジーザスを指さしていました。
歌の途中でユダが茨の冠を取り出して、ゴンドラの上から投げ落としたのにはビックリ。
これを下の兵士が受け取るというのはどういう意味なんでしょう。


柳瀬ジーザスの最後の扮装はエルサレムとほぼ同じ。
腰に巻き付けたような下着に裸で十字架に磔になりました。司祭達も民衆も
十字架を見上げています。ジャポネでもカヤパは下手から十字架を見つめていました。


最後に民衆が竹の棒を組み合わせておかしな顔のまま停止するのは、
民衆の愚かさや、醜さを表しているのでしょうか。
まばたきをしないように言われているのでしょう、長さんがとっても辛そうに
顔を動かしているのが、見ててドキドキするわ〜。



最後にジーザスが息絶えた時の背景は星がきらめく夜空。
死骸が置いておかれた時間の経過を表しているようで、寂しさが募ります。
呆然と膝をつく金マリア。
シモンやペテロは出てこず、ジーザスの「孤独な死」が連想されました。


客席も水を打ったように静まりかえる中、少しずつ、照明が落ちて行き・・・





カーテンコールは男性アンサンブル、女性アンサンブル、ソウルガール、
司祭4人、ペテロとシモン、ピラトとヘロデの順。
最後にマリア、ユダ、ジーザスがご挨拶。
エルサレムのような指をつなぐパフォーマンスはありませんでした。


ひと通り、ご挨拶が済んだら、その次は白子さんと車引きの俳優さんも一列に
並んでご挨拶がありました。
千秋楽では3回目から、客席もスタンディング。
たぶん合計で6回か7回のカーテンコールが続きました。
何度拝見しても、柳瀬さんのカーテンコールの笑顔は温かくて素敵☆
下村さん登場の時は、特に拍手が大きかったなあ。
ショーゲキ一杯、大満足の観劇になりました。





さて、今回のジーザス・クライスト=スーパースター ジャポネスクバージョン。
長いレポにおつきあい下さって、ありがとうございました。



振り返ってみれば、福岡ジーザスでエルサレム版を9回観劇したのですが、
音楽面はジャポネスクが、ビジュアル面ではエルサレムが個人的には
好みでしたね〜。でも、どちらにしても柳瀬ジーザスの透明感のある美しさと
真摯な姿勢が主軸になった舞台だったと思います。


大好きなファントム俳優さんの白塗りやら、坊主頭やら(笑)にも会えて
マニアックな楽しさも一杯でした。



ただひとつだけ心残りなのは、実はこの日、myオペラグラスを忘れてきて、
貴重な高井さんのおへそがアップで見れなかったこと☆




  次回、ジャポネスク再演の折には、どうぞ皆様、くれぐれもお忘れなきよう。


   合言葉は 「愛とオペラグラス」 ですわよ(笑)








           きみこむの観劇日記に戻る    銀色文字トップに戻る

ジーザス・クライスト=スーパースター観劇日記の続きです。

引き続き、お楽しみ下されば幸いです。

前編に戻りたい方はコチラ