「明けない夜はないんだよ」


 記憶の中にハッキリと焼きついている言葉


 その言葉の問いを意識したのはいったいいつだったのか

 その言葉を問いから意識を逸らしたのはいったい誰だったのか












明けない夜
            〜決断の月夜〜
 












「…っ………」
「焦らずにゆっくり馴らす事も必要ですよ、黒羽君」
「るせー。余計なお世話だ」


 世話になる事数日。
 与えられた痛み止めと、お坊ちゃんのコネを最大限に生かした最高峰の医師達――それも技術以上に口の堅そうな面子――のリハビリのお陰で、それはそれは思いの外快斗の体調は良くなっていた。
 厳密に言えば、体調が良くなった、というよりは少しはマシに身体を動かせる様になった、と言った方が正確かもしれないが。

 それでも、この短期間に完全に元通りなんて御伽噺の様な事がある筈もなく、要所要所で不慣れな手が快斗にそれが現実なのだと教えてくる。
 今も手にしたトランプを上手くきる事すら出来ずに取りこぼす、なんてあり得ない事に唇を噛みしめたばかりだ。


「はいはい。余計なお世話なのは良く分かっていますが、誰のお陰で今此処に居られるのか君はもう少し自覚すべきだと思いますがね」
「………」
「図星を刺されると人間無言になるか怒るかのどちらかですね」
「白馬」
「分かりました。少し嫌味が過ぎましたね」


 肩を竦め、零れ落ちたトランプを拾い集め、白馬はそれを快斗へと差し出した。


「君はまだ若い。充分に取り戻す時間は有りますよ」
「それを俺と同い年のお前に言われたくねえよ」
「知ってます」


 クスッと笑って、トランプの無くなった手を引っ込めて。
 白馬はくるっと快斗へ背中を向けた。


「白馬?」
「練習に僕はお邪魔でしょうから」
「………」


 彼なりの気遣いだと快斗にも分かっていた。
 いつもそうだ。
 肝心な所でこうやっていつも―――。


「精々早くここから出て行ける様に頑張って下さいね」
「わあってるよ」


 かけられる言葉も。
 かける言葉も。

 お互い皮肉交じりではあっても――分かっている。


「何かあったら呼んで下さい」


 出て行く間際にかけられた言葉に快斗は小さく笑う。
 ほらお前は―――やっぱり優しい。






























「…工藤君」
「………」
「少しぐらい食べないと身体に毒よ」
「…分かってる」


 目の前のスープ皿を見詰めながら、それでも一向に動きそうもない新一の手に哀はもう何度目になるか分からない溜息を吐いた。


「黒羽君が心配なのも分かるわ。でも、貴方が倒れてしまっては元も子もないでしょう?」
「…ああ、そうだな」
「工藤く…」
「悪い、灰原。頭では分かってるんだ」
「………」


 冷静に紡がれた言葉に哀は何も返せなかった。

 新一も分かっている。
 こんな風に食事を取らなければ彼を待つ事すら叶わないと。
 それでも、心は理性を裏切る。

 最初は無理でも押し込めた。
 次にはそれを吐き出した。
 そして、最終的には無理をしても身体が動かなくなった。

 理性で何もかも制御できると思っていた。
 けれど、感情の方が理性よりも時に強いのだと、その瞬間新一は悟った。


「珈琲でも淹れてくるわ」


 こんな状態の胃にソレが良くないのは哀とて分かっていた。
 それでも、今はそれよりも酷い。
 何か水分でも良いから新一の胃に入れてやりたかった。


「悪い…」


 力なく笑う新一の顔を見ながら、哀は―――――どうやってあの馬鹿を殺してやろうかと考えていた。






























「…くそっ……!」


 独りになって数時間。
 相変わらずぱらぱらと手元から零れ落ちて行くカードに快斗はイライラと悪態付く。
 マジック用にもともと滑りやすく作ってあるソレは、器用に扱えばより滑らかに動いてくれるが、逆であれば唯々扱い憎いだけだ。

 この十数年間養ってきた何もかもが零れていくトランプと同じ様に両手から滑り落ちていく様で、歯をギリッと噛み締める。

 分かってはいる。
 冷静に考えれば幾らでも分かる事だ。

 不慣れなこの手で直ぐに何もかもが元通りに上手くいく筈がない事も。
 この不格好な手では今はもう何もかも護れない事も。

 分かり過ぎる程分かっているというのに、心は理性を裏切る。


「……こんなんじゃ、駄目なんだ……」


 噛み締めた奥歯が軋んだ音を立てる。
 頭を抱えても何も進展などしないと分かっていても、どうしようもなくてトランプを放り出し、両手で…厳密に言えば片手と鉄の塊で頭を抱えた。

 嘗て手にしていた物はもうこんなにも遠い。
 それはもう二度と手に入らないのではないかと思う程に。

 苦しみながらもがきながらでも、元に戻れると思っていた。
 けれど、そんな根拠は何処にもない。


 ―――片手が義手の魔法使いなんて、出来の悪い御伽噺だ。


 魔術師でも。
 魔法使いでも。
 そして、怪盗でもなくなってしまえば――――彼の隣に居る資格などない。










「………俺の事なんてもう、…忘れてるかな………」










 彼と離れている数日が、何週間にも何ヶ月にも感じられる。
 元より事件が一番の人だ。
 こんなちっぽけな人間の事などとうに忘れているかもしれない。

 嘗て彼がキラキラと目を輝かせて見詰めた魔法は最早この手では紡げない。
 嘗て彼がキラキラとした目で追いかけて来た怪盗は最早この世には存在しない。










 ―――彼にとって意義のある自分など最早存在していない。















「ああそうか………」















 ―――君にとって俺はもう………きっと必要のない存在なのだ。




















「っ………」


 自覚すれば涙が溢れた。
 みっともないと分かっていても、後から後から溢れ出すソレを止める事など出来なかった。

 好きだと言った。
 愛していると告げた。

 彼も自分を好きだと言ってくれた。
 愛していると言ってくれた。










 けれどそれは――――『怪盗』ありきの【黒羽快斗】だったからだ。










 今の自分は唯の【黒羽快斗】でしかない。

 マジシャンでもなく。
 怪盗でもなく。
 魔法使いでもない。

 唯の出来損ないのペテン師だ。

 痛切に自覚した。
 君にとって俺はもう過去の遺物でしかなく、これから先を共に歩む相手ではないのだと漸く悟った。

 自覚すればする程、悲しみよりも冷静な自分に驚くと同時に何処か納得する。

 そうだ。
 自分はきっと初めから知っていたのだ。
 いつかこんな日が来る事を。










「ああそうか。俺はもう……ちゃんとけりを付けないといけないんだな」










 サヨナラを告げなければならない。
 律儀な彼の事だから、そうしなければ忘れ去ったとしても心の片隅にしこりとして残してしまうだろう。

 だからこそ、きちんとサヨナラをしなければならない。

 それならせめて――――。










 ――――最後に最高の舞台で君に『サヨナラ』と告げよう。












to be continue….







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