「明けない夜は無いんだよ」


 記憶の中にハッキリと焼きついてる言葉


 あれを言ったのは一体誰だったのか

 あれを聞いたのは一体いつだったのか












明けない夜
            〜 prologue 〜
 












「っ…」


 美術館の屋上での奇襲。
 いつもならばさらりとかわして今頃は帰宅している頃。

 けれど、今日は自分が気付けない程遠くの距離から狙撃された。
 情けない事に避けられなかったソレは見事に左腕を直撃し、左手は……使い物にならなくなった。

 組織も随分と極上の人材を自分に向けてくるようになったものだと、内心感心してしまう。
 そんな場合ではないというのに。

 もはや体についているだけになった左手を庇いながら、それでもなんとか追っ手を振り切って自分の通った道の痕跡を消し、追っ手が来ないうちにハンググライダーの準備を整える。
 片手で乗るのはいささか不安だったが、残念ながら今はそんな事を言っていられる状況ではない。


「…早く帰らないとまた心配なさいますからね」


 そう呟きながら夜空を飛行するキッドの顔は怪我のせいで青白かったが、酷く穏やかなものだった。




















『宮野、博士を連れてすぐ来てくれ…』


 それだけ言って隣人からの電話は切れた。

 冷静を装っていたけれど聞きなれたその声は酷く震えていた。
 常の彼からは考えられない程に。

 あの彼が?
 どんな現場でも、どんな最低の状況でも、彼のあんな声は聞いた事がなかった。

 志保は最悪の事態を考えながら工藤邸へと向かった。




















 工藤邸に入ってまず感じたのは噎せ返る様な血の匂い。
 その発生源は居間のソファーに横たわっていた。


「宮野…」
「工藤君。お願いだから離れて頂戴。治療の邪魔よ」


 横たわっていたキッドに覆い被さるようにして新一はキッドを抱きしめていた。
 自身の服が、手が、血に染まるのも厭わずに。

 そんな新一を何とかキッドから引き剥がし、志保はキッドの様子を診察する。

 左腕からの出血が酷い。
 おそらく止血もせずに夜空を飛んで帰ってきたのだろう。

 愛する名探偵の為に一秒でも早く、と。


「左腕からの出血が酷いわ。今すぐ手術しないと…」


 そう言った途端新一の顔色が更に青くなった。
 本当なら、もう少し言葉を選んで伝えたかったところだが、残念ながらそんな余裕は無かった。  時間が無さ過ぎる。

「頼む……」


 新一の声は震えていたが、決して取り乱した様子はなくその言葉だけを紡ぎ出す。
 それに少しだけ志保は安心した。
 まだ彼に理性は残っている。


「分かったわ…。博士、悪いけれど彼を運んでもらえるかしら?」
「ああ。志保君の研究室でいいんじゃな?」
「ええ…」


 志保としても本当なら病院に連れて行ってやりたかった。
 けれど、それは出来ぬ事。

 この事態はいつか起きると分かっていた。
 そう、想定してあった事態。
 だから志保の研究室はいつしか実験器材よりも医療器材の方が多くなってしまっていた…。






















 博士に快斗を運び込んでもらって。
 麻酔を施して。
 志保は目の前の現実に愕然とした。

 恐らく助かる確立の方が少ない事は事実。
 こればっかりは幾ら自分が頑張った所でどうこうなる問題ではない。

 けれど、彼を泣かせたくは無いから、自分にできる限りの事はする。
 後はこの目の前の患者の体力次第だ。


「まったく…私は貴方に言った筈よ? 工藤君を泣かせたら許さないって…」


 これは回復したら実験台になってもらうしかないわね、そう呟きながら志保は快斗の手術を始めるべく準備にかかった。




















「快斗…」


 志保に外で待つ様に言われた新一は、リビングのソファーへ腰掛けるとただじっと床を見詰めていた。

 今は何も考えたくない。
 今は何も思い出したくない。

 けれど、人間の意識とは残酷な物で、思い出したくないと思えば思う程、新一はキッドが帰って来た時のことを思い返していた。




















『新一、ただいま…』


 そう微笑みながらいつもの様に居間の窓から帰ってきた自分の恋人。
 ただいつもと違う青白過ぎるその顔に不安を覚え、帰ってきた彼に駆け寄れば彼は自分の腕の中に落ちてきた。


『快斗………?』


 その瞬間、新一の腕を生暖かい物体が濡らした。
 それは見慣れている筈の血だった。

 殺人現場で見る時と余りに違うそれに新一は戸惑い、志保に電話をする事しかできなかった。















「終わったわ…」


 座ったままどれくらいそうしていたのか、床を見詰め思い返していた新一は志保がそう声を掛けるまで彼女が目の前に居る事に気付かなかった。


「宮野…快斗は…」
「手術は成功したわ」
「そうか…良かった…」


 その瞬間、緊張の糸が切れたのか新一の頬を透明な雫が流れ落ちた。
 そんな新一を見詰めていた志保は、綺麗な弧を描く眉の間に皺を寄せ言い辛そうに切り出した。


「でもね工藤君……貴方に言わなければならないことがあるの」
「何だ?」
「…落ち着いて聞いて頂戴。彼の左手は………もう二度と動かないわ」
「………そうか………」


 快斗が帰ってきたとき、もしかしたらと思った。
 銃弾が貫いていたのは彼の左腕だったから。















 あいつの手から紡ぎ出される魔法が好きだった…。

 あいつが俺に触れてくれる手が好きだった…。

 暖かい、優しいあの手が好きだった…。


 けれどあの手はもう動かない…。















「なあ、宮野…」
「何?」
「ひとつ頼みがあるんだ…」








to be continue….





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