全てが予定通りだった
彼に取った冷たい態度も
彼と彼女に見せた一時の夢も
今夜の俺には何の誤算もなかった
仕組まれた崩壊【終章】
店を出て、快斗は足早に工藤邸への道を歩いた。
帰りにちらりと確認した限り、彼と彼女は真剣な顔で何かを話していて。
当分帰っては来ないと踏んだから今快斗はこうして工藤邸への道のりを歩いている。
それに彼は彼女を家まで送って帰る筈。
絶対に会う事は無い。
―――カチャッ。
小さな音を立てて玄関の扉を開けた。
勿論不法侵入ではなく、彼にもらった合鍵で。
知り合って。
本当に毎日通い詰めて。
新一が帰って来るまで家の前で待っているなんて事を何度も何度も繰り返していたら、呆れ果てた様な顔でこの鍵を渡された。
それは信頼の証の様で。
自分の様な犯罪者を受け入れてくれた彼が嬉しくて。
ずっとずっとあの日から肌身離さず持っていた。
それも今日で使い収めだけれど。
家の中に入り、快斗用にと新一が態々用意してくれた二階の客間へと向かった。
尤も、寝るのは殆ど新一の部屋で一緒に寝ていたから大しては使っていない。
ただ、快斗の私物は全部ここにあるからそれを引き取りに来ただけ。
結構前からちょこちょこと自分の私物は持ち帰っていたから、後持って帰るのは小さな鞄一つだけ。
きっと俺がそんな風に荷物整理をしていた事なんて新一はこれっぽっちも気付いていなかっただろうけど。
その鞄を肩にかけ、快斗は部屋を出る。
普段の癖で階段を音も立てずに降りきってリビングへと入った所で、ふと思い出す。
「そういや、止めろって言われたっけ…」
快斗がこの家に通い出して。
新一の部屋に初めて珈琲を持って行った時の事。
階段を音も立てずに上り、けれどちゃんとノックをして部屋に入ってきた快斗に新一が言った一言。
『あのな…お前、階段ぐらい音を立てて上って来てくれ。じゃないとお前が来たんだって俺は気付けないだろ』
その時はきょとんとしてしまって気付かなかったけれど、アレも彼の優しさだったのだろう。
装わなくていい。
自分と居る時は仕事の事を忘れていい。
そう言う代わりだった様な気が今ではする。
本当に…優しい人だから。
小さく一つクスッと笑って、快斗はポケットから合鍵を取り出し、ダイニングテーブルの上へと置いた。
そしてその横に一枚の栞を置く。
本当は生花で用意したかったのだけれど、この時期では流石にこの花は咲いていないから。
どうして夏に咲くこの花の栞を用意しておいてしまったのか。
どうして彼に一番贈りたくないと思っていたこの花であの時栞を作ってしまったのか。
きっとこうなる日を無意識に予測していたのだろう。
自分の用意周到さに笑えてくる。
「まあ、新一が覚えてる訳ないと思うけどね…」
この花の話をしたのなんて一度だけで。
彼がそこまで覚えているなんて事は絶対にないと思う。
だからこそいい。
きっとすぐには気付かないだろう。
何だかんだで事件以外は面倒臭がりな彼の事。
明日以降にでもこの花を調べて漸く気付くだろう。
自分はその間に実家から全部荷物を持ち出して隠れ家に移ってしまう事が出来る。
彼に―――もう二度と会わない様にしてしまえる。
まあ尤も、彼が自分を追いかけて来てくれるなんて微塵も期待していないけれど。
だって彼には彼女が居るのだ。
自分が消えればその彼女に罪悪感を覚える事も無く、幸せになれる。
きっと最初の一瞬こそ、寂しいとは思うだろうけれど直ぐに自分の事なんて忘れてくれるだろうから。
「さよならだよ…新一」
頬に何かが流れた様な気がしたけれど、快斗は気付かない振りをして工藤邸を後にした。
快斗が出て行って三十分程経った頃、新一は家に帰って来た。
勿論、快斗が来ていたなど知る筈もなく、家に入るとキッチンへ真っ先に向かい冷凍庫から保冷剤を取り出して手近にあったタオルを巻きつけるとそれを左頬に当てた。
「いってー…。流石アイツだよ……」
苦笑を浮かべつつ、それでも何処かすっきりとした思いが新一にはあった。
本当に申し訳ない事をしたという自覚はある。
それでもあれだけ本当に優しくて素敵な人だ。
自分よりもずっとずっと素敵な人に近いうちに出逢えるだろう。
聞かれたまた怒られそうだと思う事を考えながらふと視界に入ったモノ。
首を傾げてテーブルへ近付けば、そこにあったのは鍵。
「何で…」
これは快斗に渡した筈の家の合鍵だ。
どうしてここに置いてあるのか…。
店を出る前に快斗の事を尋ねたら今日はもう帰ったのだと言われた。
だからてっきり疲れて実家にでも帰ったのだと思ったのに…。
訳が分からず新一は頬に当てていた保冷剤をその場に放り出すと二階へと駆け上がった。
自分は鍵を開けて入ってきたのだ。
快斗の事だから閉めて出る事も可能だろうが、鍵が置いたままという事は部屋に居るのかもしれない。
ガチャッと快斗用の客間の扉を開け、中の光景に呆然とした。
綺麗にメイキングされたベット。
何も置かれていない机。
そして、貼ってあった写真も一枚も残っていなかった。
彼がここに来る前のそのままの形で部屋は唯残されていた。
「どうして…」
新一は力なくその場に座り込んだ。
どれぐらいの間そうしていたのだろう。
ただ呆然と彼の居ない部屋を眺めて、一体いつから荷物整理をしていたのかと思いを巡らす。
思い当たる節が多すぎて自分でも笑えて来た。
当然だ。
彼がここにもう来たくないと思うのは。
散々彼に甘えて。
散々彼に押し付けて。
まるで被害者ぶって彼の傍に居た。
自分は何も悪くない。
お前が望むから俺は傍に居るのだとでも言う様に。
本当は――――新一も彼の横に居る事を望んでいたというのに。
ずるずると力の入らない身体を起こして。
ゆっくりと階段を降り、リビングへ向かった。
テーブルの上置かれた合鍵。
さっきは余りにビックリして鍵にしか目がいかなかったが、そこで漸くその隣の小さな長細い紙の様な存在に気付く。
手にとって見ればそれは栞だった。
合鍵の傍らに置かれていたのは綺麗な緑の葉の中に小さな紫色の花が入っている一枚の栞。
その栞の花を見て新一は愕然とした。
それは去年の夏。
その枸杞の花が咲いているのを快斗と出かけた出先で見た時の事。
『アレ、小さくて可愛い花だな』
『枸杞の花か……アレだけは新一に贈りたくないなぁ…』
『何でだよ。お前花好きじゃねえか。俺にも散々薔薇だとか百合だとか似合わないような花贈るくせに。ああいう控えめな花のがいい…』
『駄目だよ。だってあの花の花言葉は―――』
「あの…馬鹿……」
そういう意味だったのかと漸く新一の中で全てが繋がった。
今日のショーの最後に紡がれた彼の言葉も。
最後の賭けと言った彼の言葉も。
全て全部繋がった気がした。
栞を持っている手に力が入らず、手から零れ落ちた栞がヒラヒラと床へ落ちた。
もう戻らない日々と。
彼との思い出を嘲笑う様に。
枸杞の花言葉。それは――――――『お互いに忘れましょう』
And that's all…?