苦しめばいい

 もっともっと傷付いて
 もっともっと苦しんで

 泣いて泣いて泣き疲れたら
 俺がそっと抱き締めてあげるから


 だからもっと、傷付いて?















仕組まれた崩壊【序章】
















「はぁっ……」
「工藤、どうしたんだよ? そんな浮かない顔して」


 その日新一は朝から何度目になるか分からない溜息を吐いていた。
 そんな新一の事を心配して、クラスメイトが声を掛けてくれる。

 けれど、そんな優しさも今は重いだけだった。


「別に。何でもねえよ」
「でも…」
「ただちょっと、こないだの事件の事考えてただけだから…」
「そっか…」


 本当に、自分の職業――まあ、社会的本業は学生だから副業というべきなのだろうか――は言い訳をする時に便利だと思う。

 他の用事がある時でも「事件で忙しい」と言える。
 他の事を考えている時でも「事件の事で考え事をしていた」と言える。

 それは蘭との関係と、快斗との関係をこうして今も続けていられる事が証明していた。

 良い意味でも。
 悪い意味でも。


「まあ、あんまり考えすぎるなよ? 禿げるぜ?」
「るせーよ」


 クスクスと、それでも元気付けようとそう言ってくれたクラスメイト。
 少しだけ、本当に一瞬だけ気分が浮上した様な気がした。






























「ねえ、新一」
「ん?」


 学校からの帰り道。
 当然の様に蘭と一緒に帰宅する。

 同級生で。
 クラスメイトで。
 恋人で。

 普通の高校生カップルらし過ぎるソレ。


「明後日の日曜日って空いてる?」
「明後日?」
「そう。買い物に付き合って欲しいんだけど…」


 いいかな?とちょっと下から見上げる様な角度で言われる。
 こういう時に思う。
 ああ、コイツも女なんだって。


「日曜は…」
「何か用事あるの?」


 日曜日は快斗が確か何処かのバーか何かでマジックを披露するのだと言っていた。
 事件さえ入らなければ行くとは言っておいたけれど、正直昨日のやり取りで快斗とこのままなのも気が引けた。

 何より、この目の前の彼女に対するどうしようもない罪悪感を一瞬でも消し去りたかった。


「いや、大丈夫だ」
「それなら一緒に行ってくれる?」
「ああ。事件さえ入らなきゃな」
「それなら、お父さんが居るから大丈夫よ!」
「………あ、ああ…そう、だな……」


 苦笑を浮かべ、それでも彼女の話を楽しそうに聞きながら帰宅する。
 その約束が後日どういう形で新一の未来を変えて行くかなんて事を知る由もなく―――。






























「おかえり」
「………来てたのかよ」


 帰宅すれば、当然の様にリビングのソファーで横になって寛いでいた快斗。
 それに新一は少しだけ面倒臭そうな声を出した。


「何だよ。折角早く帰って来て恋人の帰りを大人しく待ってたんだからもうちょっと嬉しそうにしてくれたっていいだろ?」
「……お前、ソレ止めろよ」
「ん?」


 てっきり横になっていたのがいけなかったのかと、身体を起こした快斗に新一は額辺りに手を当てて溜息を吐く。


「そういう意味じゃない」
「じゃあ何? 新一の事待ってちゃいけないわけ?」
「……そうじゃなくて……」
「?」
「その『恋人』っていうの止めろって言ってるんだよ」


 快斗に『恋人』と呼ばれる度、罪悪感で気分が悪くなる。
 それは彼女に対する後ろめたい気持ちがそうさせるのだろう。

 そんな新一の言葉に、快斗は顔を顰める。


「恋人を恋人って呼んで何が悪いんだよ」
「違うだろ! 俺達の関係はそんなんじゃ…」
「そんなんじゃないって?」


 苛立った様に快斗は思いっきり新一の腕を引っ張った。
 バランスを崩して、倒れ込むようにソファーへと身体を沈めた新一にそのまま覆い被さる。


「へえ…じゃあ新一は『恋人』でもない人間とキスしたり……寝たりする訳だ」
「それは…」
「名探偵君は誰とでも寝るって訳?」
「んな訳ねえだろ! 別に俺は…」
「じゃあ、何? 俺に『恋人』扱いされるのは嫌なのに俺と寝るんだろ? 心と身体は別だとでも言いたいの?」
「違う! 俺はそんな事…」
「それはそう言ってるのと同じだよ」


 噛み付くように快斗は新一に口付ける。
 いつもの様に慈しむ様な口付けではなくて、歯が当たっても構わないという様な乱暴なモノ。


「やっ…止めろっ! 離せよ!」


 何とか快斗の身体を引き離そうと、新一は必死に快斗の身体を押し返す。
 けれど体制的に不利な事と、快斗には力では勝てないのは新一も分かっていた。

 そして―――。


「嫌じゃない、だろ?」


 ―――――この男に耳元で甘く囁かれれば、自分はそれに抗えないという事も。






























「で、結局新一は俺の事何だと思ってる訳?」


 結局リビングでも、その後に連れて来られた新一の寝室でも、散々快斗にいい様にされて。
 身体はだるいし、喉は声を上げ過ぎてひり付いてもう動くのすらだるい新一の横で、快斗は上半身だけを起こすと煙草に火を付けた。

 途端に上がった煙に新一は快斗の質問を無視して、不機嫌そうな声を上げる。


「ココで吸うなって言ってるだろ?」
「別にいいだろ」
「良くない。匂いが移る」
「探偵なんて立派なご職業で警察にお知り合いがいっぱいいる良い子ちゃんは辛いねー」


 快斗は笑いながらこちらを睨みつけてくる新一の顔めがけて、ふーっと煙を吐き出してやった。
 げほげほと煙に咽る新一を見てケラケラと笑う。
 そんな快斗を煙で涙目になって大して怖くもない瞳で新一は睨む。


「……お前何すんだよ!」
「伏流煙の方が身体に悪いんだよね」
「分かってるなら俺の前で吸うな!」
「俺の前で、ね。ホント新一って『身体に悪いから吸うな』とか可愛い事は言ってくれないよね」


 新一が快斗の喫煙を止めさせようとした事は一度もなかった。
 その事に快斗は正直最初は驚いた。
 いい子ちゃんの典型だろうと思っていたから、てっきり「未成年なんだから吸うな!」ぐら言われると思っていたのだが…。


「別に。態々金払って自分の身体壊す様な真似してる奴の心配なんかするかよ」
「ひでーなぁ…」
「ま、悔しかったら禁煙でもして健全な身体でも取り戻すんだな」


 仕返しとばかりにニヤリと笑った新一に、快斗は煙草を消すと再び覆い被さった。


「おい、快斗…!」
「俺が健全な肉体の持ち主なのは新一が一番良く知ってるじゃんv」
「お前何言って…」
「健全な高校男子だからね、アレじゃ足りない」
「ふざけっ…俺の身体がもたねーよ!」
「明日は土曜日でお休み。問題なし♪」
「問題なしじゃねえ!!」


 結局そのまま何ラウンドか付き合わされて。
 気付けば新一の意識は眠りへと誘われていった。






























「おはよう♪」
「……すっきりした顔してんじゃねえよ」


 結局目を覚ましたのは夜の十一時過ぎ。
 学校から帰って来たのが六時過ぎだったのを考えると大して眠ってはいなかった様だ。

 いつの間に入れられたのか。
 気付かない程自分は眠りに落ちていたのか。
 シャワーでも浴びさせてもらった様で、身体はさっぱりしていたし、いつの間にかパジャマに着替えさせられているのに気付いてその手際の良さにまた溜息が出る。


「ご飯食べる? 用意してあるよ?」
「……動くのがだるい」
「じゃあ俺がお姫様抱っこして連れて行ってあげるv」
「………」


 遠慮したかったが、正直動ける自信はなかったし、お腹が空いているのもあったので仕方なくされるまま快斗に身を委ねた。


「いつもこれぐらい素直だと嬉しいんだけどね…」
「るせーよ。さっさと運べ」
「はいはい。お姫様v」


 無駄にルンルンしている快斗に不本意ながらも連れて行って貰って。
 ダイニングテーブルの椅子に下ろされた。


「ちょっと待っててね。直ぐ容易するから」
「んっ…」


 ふんふ〜ん♪なんて呑気に鼻歌を歌いながら料理を盛り付けている快斗の背を見詰め新一はもう一度溜息を吐いた。

 快斗が嫌いではない。
 嫌いな筈がない。

 寧ろ―――。

 けれど自分には彼女がいて。
 自分をずっとずっと待ってくれていた彼女を裏切れる訳もないし、正直な所彼女の事も好きなのだ。

 ただ、余りにも比較対照のベクトルが違い過ぎる。

 どちらを切るとか。
 どちらを繋ぎ止めるとか。

 そんな事は正直今は考えられないし、考えたくもなかった。

 ずるいのは分かっている。
 快斗は蘭の存在を知っているが、蘭は快斗の存在を知らない。
 快斗の事はただの友人だと思っている。

 フェアじゃないと思う。
 本当にこのままもしも関係を続けたいのなら、きっとあり得ないとは思うけれど、こんな駄目な自分でも傍に居てくれるというのなら。
 蘭には言うべきなのだ。
 全てをありのままに。
 自分の気持ちと共に。

 けれど―――そんな事口が裂けたって言える訳がない。

 もう一人好きな奴が居て、それがあろう事か男だなんて…。


「はぁ……」


 溜息を吐いても吐いても消える事のない心の中の黒い塊。
 意識しないと直ぐにでもまた溜息が出てきてしまう。


「新一…何考えてるの?」


 ぽやぽやと、快斗の存在をすっかり忘れて考え込んでしまっていた。
 だから、快斗の不機嫌なオーラに感付くのが遅れてしまった。


「いや、別に…」
「どうせ新一の事だから、昨日言った事また蒸し返して考えてるんだろ?」
「それは…」
「新一、いい加減にしろよ。いい加減腹括ってもらわないとこっちも楽しくない」


 むすっとそう言い放った快斗に新一もむっとした顔を向ける。


「腹括るって何だよ」
「新一だって『このままがいい』って言ったじゃねえか。それだったらこの状況を楽しめよ」
「楽しめる訳ねえだろうが!!」


 ドン!と両手をテーブルに叩きつけて。
 新一は叫んだ。


「こんなおかしい状態楽しんでられる訳ねえだろ! お前には罪悪感ってもんがねえのかよ!」
「……じゃあ、お綺麗な新一君は俺と別れられる訳?」
「それは…」
「無理だよな? もう女抱くだけじゃ満足できねえだろ?」
「っ……」


 快斗の言葉に新一は唇を噛み締めた。
 その様子すら快斗は至って冷静に観察し、何が新一を一番傷つけるのか計算して言葉を紡ぐ。


「もう男に抱かれるのに慣れちまっただろ? ソレ無しじゃ満足出来ない程にさ」
「そんな事…」
「そんな事ないって言うの? さっきまで俺の下でイイ声あげてたのに?」
「煩い!」
「そうやって怒るのは図星だからだろ? いい加減認めろよ。新一は同じ男に抱かれて感じる淫乱なんだって事にさ」
「煩いって言ってるだろ!」


 叫び過ぎて、自分の声で頭がキンキンする。
 それでも止められなかった。


「俺は、お前みたいに平気な顔でこの状況を楽しんでいられる程、人でなしにはなれねえんだよ!」
「ふーん…じゃあ俺ばっかり悪い訳? 今の状況にしたのは誰だよ」
「………」
「都合が悪くなるとそうやって黙るんだね。ねえ、新一。いい加減良い人間ごっこは止めろよ」
「ごっこって…」
「ごっこだろ? 新一はさ、もうお綺麗な人間じゃないんだから」
「っ……」
「もう裏切ってるんだよ。どれだけ蘭ちゃんの事傷つけたくないって口で言ったって、俺とこういう関係になってる時点でもう蘭ちゃんの事裏切ってるし、傷つけてるんだ。
 それならそれで隠し通してやるのも優しさだろ? 新一がそんなんじゃ蘭ちゃんにばれる日もそう遠くないよ?」
「………」


 黙って俯いた新一を快斗は冷ややかに見詰めると一つ溜息を吐いて、持っていた料理の乗った皿をテーブルへと乗せていく。
 冷蔵庫から缶ビールも取り出して、グラスへと注いでやる。


「とりあえず食おうぜ? 腹が減ってたらまともに話しも出来ねえよ」
「んっ……」


 快斗の言葉に小さく頷いた新一。

 少しだけ涙目になっているのも。
 その手が赤くなっているのも。

 快斗はその時だけは見なかった事にした。















 なあ、新一。

 そろそろゲームも終わりかな?


























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