二つに一つだとして

 どちらか一つしか選べないとして


 貴方ならどちらを選びますか?








 究極の選択








「ねえねえ、新一ってばー」
「んー」
「こんなにお天気も良いんだから外に遊びに行こうよ〜」
「んー」
「新一ってばー! 聞いてる?」
「んー」
「全然聞いてないし…;」


 本を読んでいる新一に話しかけた俺もいけない。
 なんたって今新一が夢中なのは、新一がお気に入りの推理小説作家の新刊。
 先日発売されたばかりのそれを嬉々として新一が手に取った時点で、もう快斗の負けは確定だった。


「俺ってホント、新一に愛されてるのかねぇ…」


 そう呟いてみても、残念ながら返答は返ってこない。
 本の虫に会話なんて求めてはいけないらしい。


「もう俺推理小説嫌いになりそ…」


 はぁっと一つ溜息を吐いて、快斗は手持無沙汰に室内を見渡した。
 視線の先に見つけたのは女性雑誌。
 この間お隣の女史が忘れて行ったその雑誌を手にとって、仕方がないので、それをパラパラとめくっていると、


「ん?」


 『究極の選択』なんて安直なタイトルが目に入った。


「ホント、こういうの好きだよね。女の子って…」


 例えるなら『仕事と私どっちが大事?』とかいうアレだ。

 いやいや、両方大事だろう。
 と、個人的にはまずそう思ってしまうが、残念な事に両方は選べないらしい。


 『彼女』と答えるのが正解か。はたまた『仕事』と答えるのが正解か。


 『彼女』と答えた男は男で心配だと思う。
 だって、仕事はどうする?
 仕事にやり甲斐誇りが持てない男にはなりたくないし、仕事をしなければ、まず食べていけない。

 だからと言って、即答で『仕事』と答える男も男で心配だ。
 何かあれば『仕事で忙しい』を理由に全部済ませてしまうかもしれない。
 きっと世間一般の女の子は『仕事ばかりで全然私のことを構ってくれない』というのだろう。
 それもそれで問題だと思う。


「ま、自分って言って欲しいのが人間なんだろうけどねぇ…」


 そんな風に呟いて、ふと隣で推理小説に読みふけっている恋人を見つめてみる。
 今の状態は差し詰め『俺と推理小説どっちが大事?』という感じだろうか?


「それは聞くまい…。勝ち負けは見え過ぎる程見えてるから…;」

 あー…もう、俺は本当に恋人なのかねえ…全く。


 考えれば考える程嫌になってくる。
 どうせ考えたって状況が変わる訳もない。
 考えるのが面倒で、再び雑誌に視線を戻し、ぺらっと次のページをめくってみる。




 『貴方と恋人は海難事故によって海に投げ出されました。
  持ち合わせた救命用具は一つ。
  貴方は恋人を見捨て自分でそれを使いますか? それとも死ぬのを覚悟で恋人にそれを渡し、恋人を助けますか?』




「ありがちと言えばありがちなんだけど…」


 突然の海難事故で、救命用具を一つ持ち合わせだけでも中々凄いと思う。
 何だか物凄い設定だよなぁ…と苦笑してしまう。

 これで自分が助かると答えたら、恋人には愛がないと思われるのだろうか?
 そんな風に思いながら、また隣の恋人を見つめる。

 陶磁器の様に白い肌。
 黒雲母の様に黒い髪。
 鮮血かの様な赤い唇。

 どこかのおとぎ話のお姫様かと思うほど、美しい自分の恋人。

 もしこんな状況になったら、自分はどうするだろう。
 自分が助かるか? 彼を助けるか?

 多分世間一般でいうなら、普通はこう答えるだろう。



『勿論相手を助けます』と。



 それはごくごく一般的な正解だと思う。
 相手のことが好きで、相手のことが大切で。
 だとしたら、自分を犠牲にしてでも彼を助けたいと思うのは至極当然の心理だ。

 けれど思う。
 それでその後相手は幸せになれるだろうか、と。


 俺は父を失った時に知った。
 残されるという事の辛さを。
 自分の場合は父に庇われて残された訳ではない。
 それでも、大切だった人に残されるという苦しみは、他の何にも匹敵することのな悲しみだ。
 それでもそうなのだから、もしも万が一、大切な人に庇われてその人を失ったとしたら……想像するだけで、気が狂いそうだ。

 護りたいと思う。
 大切にしてやりたいと思う。
 当然に、彼を庇って自分が犠牲になりたいと思う。

 でも、彼がそれを望んでいなかったら?
 それは単なる俺のエゴの押し付けになってしまうのではないだろうか?

 自分は彼を守って死ねたことに満足して、ある意味幸せなまま死んでいけるだろう。
 けれど、残された彼は?

 自分を責め、自分を呪うかもしれない。
 自分だけ生きている事に絶望するかもしれない。

 他の誰がどうかは全くわからないけれど、もし俺が新一に庇われて生き残ったとしたら、まず自分を責めるだろう。
 彼を死なせてしまった自分を、それでも生き残った自分を呪い、きっと一生許すことなどできないだろう。
 それでも、彼が繋げてくれた命を粗末にすることなんて出来ないから、後を追うことすら出来ない。
 ただ、彼の亡霊を追い求めて、自分を呪い、責め、彼の許へ行ける日を渇望し続ける人生を過ごすだろう。


 彼を助けるのも。
 自分が助かるのも。

 どちらも正解ではない気がする。
 その時――自分は……。



「どうしたんだ? 難しい顔して」
「!?」



 どのくらい自分の時間に入ってしまっていたのだろう。
 声をかけられて、ハッとして横を向けば、さっきまで彼が読んでいた筈の本は閉じられ、本に落とされていた視線は自分顔を捉えていた。


「あ、あれ…? 新一、本は…」
「読み終わった。それよりどうしたんだ?」


 よっぽど難しい顔をして考え込んでしまっていたらしい。
 珍しく心配そうにそう尋ねられて、誤魔化す様に苦笑することしか思いつかなかった。


「いや、別に大した事じゃないんだよ」
「大した事じゃない顔はしてなかった」
「そう? 本当に大した事じゃないんだけど…」


 話している間に、思考に沈んでいた自分を現実へと引き摺り上げてくる。
 そうして体制を整え直そうと思っていたのだが、それも名探偵には通用しないらしい。


「大した事じゃない顔はしていなかった」


 再度そう強く言われ、じっと真剣に瞳を見詰められたおしまいだ。
 ここまできたら、彼に嘘偽りなど通じない事は、今までで嫌と言う程分かっている。

 仕方なく白旗を上げる代わりに、彼に自分が見ていた雑誌を渡した。


「コレをね、見てたんだよ」
「究極の選択…?」
「そ。それのね、ここを見てたんだ」


 自分が助かるか。
 相手を助けるか。

 その問いを指さしてから、顔を上げ彼を見詰めると、新一はいつもの様に顎に手を当てて真剣な表情を浮かべていた。


(いつもだったら、「こんなもんどっちだっていいだろ」とか言うんだけどね…。やっぱり気にさせちゃってるのかな)


 そう内心で思って、何だか申し訳ない気分になる。
 聡い新一だから、自分の表情から何か感じとったのだろう。
 だから、普段なら聞き流してしまうような事なのに、今こうやって真剣に考えてくれている。


(ホント、新一君は優しいね…)


 他の人間の痛みも、自分のモノにしてしまう。
 優しすぎるのだ。
 探偵としては、確実に、優しすぎる。


「で、お前はどっちを選んだんだよ?」


 思考の淵に沈んでいた新一の意識が漸く浮上したらしく、視線がやっと雑誌から快斗へと移された開口一番、こう聞かれて快斗は苦笑をする。


「俺にはどっちも選べないよ」
「それじゃ究極の選択にならない」


 真っ直ぐに自分を見詰めたまま、至極当然のことを言って下さる恋人に、快斗は再度苦笑を浮かべる事しかできない。


「それはそうなんだけどね…でも、俺はどっちも選べなかった」
「………」


 正直にそう告げれば、新一は快斗を真っ直ぐに見据えたまま、ふむっと考える様に顎に手をあてる。
 視線が快斗から逸れたことから見れば、また思考は違うところへ行っているのだろう。
 そんな新一も可愛いなぁ…なんてのほほん、と眺めていれば、不意に新一が首を傾げた。


「一般的にだ、この手の質問は『相手を助ける』と言って、双方の絆を深めようとする意図があるんじゃないのか?」
「それはね、仰る通りだと思うよ…ホント;」


 新一にしては珍しく(…)世間様とずれていない回答が返って来て、快斗は何だか逆に不自然な気すらしてしまう。
 いつもの新一だったらこの手の問題にはもう少しとっぴな見解を示すというのに。


「だったら、どうしてお前は悩んでるんだ?」


 新一にそう訊ねられ、快斗は回答に悩んでしまう。
 本当の事を言うべきなのだろうが、それはそれでどうなんだろう、と。

 新一には父の事を話しているし、どういう経緯で亡くなって、だからこそ自分がキッドを継いだ事も話してある。
 だからと言って、それを出すのもどうかと思うのが正直な所だった。


「いや、それはね……」
「建前の回答は要らないからな」
「…!」


 言い淀んで、何とか言葉を繋ごうとした快斗へピシャリと浴びせられた一言。
 その一言に、快斗は一瞬ビクッとし、そして、一つ溜息を吐いた。


「全く…新一君には敵わないな…」


 本当に、目の前の名探偵殿は本物の慧眼の持ち主だと思う。
 彼にかかっては、きっと自分は一生嘘などつけそうもない、という気持ちにされてしまう。


「敵うと思ってたのか?」


 ニヤリという笑みと共に紡がれた言葉に、快斗は本当にどうしようもなく、彼には敵わないのだと思い知らされる。
 全く…この人は……。


「思ってません」
「だったら、潔く素直に話せよ」
「うん……。俺さ、思うんだ。相手を救ったとして、それで相手は幸せになれるのかな、って……」
「そんなもん、幸せになんてなれないに決まってるだろ」


 きっぱりさっぱりと言って下さった新一に驚いて目を見開けば、さも当然、とした顔の新一と目が合う。


「他の人間がどうかなんて俺には分らないけれど、もしかしたら助けて貰って感謝とかするのかもしれないけど…。
 俺はお前がもし俺を救って死んだりなんかしたら、一生お前の事恨んで恨んで恨み続けてやるからな」
「新一…」
「俺はお前に救われるなんて絶対に御免だ」
「……新一らしいって言うか何て言うか……」


 余りにもきっぱりと言われた言葉に、快斗は苦笑しか出てこない。
 全く……この人は……。


「じゃあ、新一だったらどうするの?」
「ん?」
「この質問。新一だったらどうする?」


 相手を助けても相手が幸せになれないというのなら。
 新一は一体どうするというのか。

 その質問に、新一は何を分り切った事を、という風に答える。



「二人で助かる方法を考えるに決まってる」


「新一君…それじゃ究極の選択にならない」
「ばーろ。俺が解決策を見いだせない訳ないだろ?」


 にやっと笑って新一は言う。
 自信満々、余裕綽々で。




「だって俺は――お前が言う所の『名探偵』なんだから」




 言われて、目を見開いて、そして快斗は瞳を和らげた。

 ああきっと。
 この人には一生、何があったって敵いそうにないと思った。






























(おまけ)


「でもさ…新一くん…」

「ん?」

「さっきどっちも選べないって言った俺には『それじゃ究極の選択にならない』って言ったよね?」

「…そうだな」

「新一君のそれも究極の選択にならないと思うんだけど…」

「………」

「それに…」

「…?」

「その回答で良いなら、どっちかっていうと、それは俺の得意分野なんだけど?」

「…得意、分野…??」


「そう。だって俺は―――『魔法使い』だからねv」






















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