ああ何て皮肉なんだろう
こんな悲劇があるなんて
最初から知っていたなら
こんな事にはならなかったかもしれない
けれど、もし知っていても
心惹かれたかもしれない
――運命はなんて残酷なのだろう…
運命という名の悲劇
「わりぃ、出かけてくる」
「また事件?」
「ああ」
パタンと携帯を閉じて、横に座る快斗にそう声をかけ新一はソファーから立ち上がる。
と、次の瞬間身体がほんわりと温まる。
自分の身体を見て、コートと、それからマフラーが巻かれている事に気付く。
相変わらずの手際の良さだ。
「寒くなってきたからね。風邪ひかないようにv」
「さんきゅー」
素直にそう言って、携帯をコートのポケットにしまう。
すると、いつの間にか傍らに立っていた快斗にぎゅーっと抱きしめられた。
「快斗」
「ごめん。ちょっとだけ」
「…ったく、しゃーねえなぁ…」
きっと直ぐに迎えが来るだろう。
それでも、それまではまあいいか…なんて少し甘いことを思いながら、新一は快斗の肩口に顔を埋める。
「新一。今日帰り遅い?」
「分かる訳ねえだろ」
「それもそうか」
「ああ。事件次第だからな」
「そっか…」
小さく頼りなさ気に紡がれる言葉にズキッと胸が痛む。
快斗がその次に何を言うか、もう分かっている。
「今日ちょっと、家行って来るからもしかしたら遅くなるかも」
「偶にはそのまま泊まって来たらどうだ? その方がゆっくり出来ていいんじゃねえか?」
「ううん。帰って…来るよ」
ぎゅっと抱き締める腕に力が籠る。
その理由を新一は知っている。
知っていて――敢えて知らない振りをする。
「まあ、お前の好きな様にすればいいさ」
「うん…」
「………あ、……」
「来たみたいだね」
玄関のチャイムが鳴った音に顔を上げれば、少し躊躇いがちに腕が離れていく。
その温もりが寂しいなんて、言える訳がなかったから、新一も素直に身体を離した。
「じゃあ、行って来る」
「気を付けてね」
「ああ」
ちゅっと頬に落とされた唇に少しだけ赤くなった頬をマフラーをずり上げる事で隠して、リビングを出る。
そのままスリッパをペタペタといわせて、玄関まで見送りに来た快斗に苦笑する。
「じゃあ、行って来る」
「ホントに気を付けてね」
「ん…」
靴を履き快斗を振り返れば、ちゅっと額に唇が落とされた。
恥ずかしさに小さく返事をして、新一は玄関を出た。
そして―――扉の前で、小さく息を吐く。
本当は知っている。
快斗が何を苦しんでいるかなんて。
言ってやればいいのかもしれない。
自分は知っていると。
けれどそれは―――きっとこの関係を壊してしまうから。
言えない。
彼が苦しんでいると知っていても。
「工藤君」
「すみません。直ぐ…行きます」
門の外から声をかけられて、新一は慌てて門の前で待っていた高木刑事の声に応じた。
「……新一……」
新一が出て行った玄関の扉を見詰め、快斗は小さく新一の名を呼ぶ。
そして、小さく息を吐いた。
一番大切な人を騙している。
一番愛している人に偽っている。
本当の事を言ってしまったら、彼は一体どんな顔をするのだろうか。
騙されていた事に怒るだろうか。
憐れむ様な目で自分を見詰めるだろうか。
それとも今までの事を後悔し、嘆くだろうか。
どれも全て違う気がする。
希望的観測ではなく、現実として彼に愛されていると思う。
そっけなくて、素直じゃなくて、意地っ張りだから、素直に言葉にしてくれる事は少ないけれど、それでも分かる。
赤くなった頬や。
抱きしめた時に躊躇いがちに背に回される腕や。
照れた様に俯く姿や。
一つ一つは小さく、それでも確かに快斗に彼の愛情を伝えてくれる。
堪らなく愛しくて、堪らなく切ない。
「愛してる…」
小さく呟いた言葉は、本当の筈なのに、酷く白々しく玄関に響いた。
「…快、斗……?」
事件の調査の途中、路地裏で快斗に似た姿を見かけた。
追いかけてはいけないと分かっていても、足は自然とそっちへ向いていた。
予告時間まではあと3時間25分。
腕時計に視線を落とし、確認する。
予告状の暗号は、昨日のうちに警視庁で確認済みだ。
空はもう暗くなって来ていて、暗い路地裏では気を抜けば見失ってしまいそうで。
それでも早まりそうになる足を何とか押し留め、ばれない様に気をつけながら彼の姿を探す。
角を曲がろうとした所でその先に人の姿を見つけ慌てて壁に身を隠し、壁越しにそっと様子を窺う。
「っ……」
漸く見付けた快斗の傍らには―――綺麗な女性が居た。
営業スマイルだと分かっていても、それがポーカーフェイスの上に張り付けられた笑顔だと分かってはいても、快斗が女性に向ける笑顔に胸が詰まる。
絡められた腕に、息が出来なくなる。
コレが普通の状況だったら、まず浮気だと思うのだろう。
けれど違う。
分かっている。
コレはきっと『仕事』に必要な事なのだろう。
彼女と一緒に美術館に入って不自然ではない様にする気かもしれない。
彼女をどこかで眠らせて顔と名前を借りる気かもしれない。
頭では分かっていても、心は悲鳴を上げる。
見たくなかった。
こんな所、見たくなんかなかった。
「快斗……」
胸元をぎゅっと掴んで、縋る様に快斗の名前を呼ぶ。
「愛してる…」
暗い街の路地裏に、その言葉は酷く寒々しく響いた…。
「工藤君。お疲れ様」
「お疲れ様です」
「良かったらこれ…」
「あ、すみません…」
差し出された缶珈琲を受け取って、新一は高木に笑顔を向ける。
自分より年下の新一をこうやって気遣ってくれる彼は本当に優しい。
同じ銘柄の缶珈琲を手に高木が隣に腰を下ろそうか悩んでいる様子なのに新一は首を傾げる。
「高木さん?」
「工藤君、今日は…早く帰らなくていいのかな?」
「え…?」
言われた言葉の意味が分からず、ことんと首を傾げた新一に高木は苦笑する。
「いや、いつもは事件が解決すると…割と早く帰りたそうにしているから…」
「っ…///」
自分はいつもそんな風に見えていたのかと、少し恥ずかしくなる。
少しだけ赤くなった新一に高木は小さく笑って、誤魔化す様に付け足した。
「それに、あんまり帰すのが遅くなると黒羽君に怒られそうだしね」
「あ…いえ……」
言われた名前に、ズキッとまた胸が痛む。
少し俯いてしまった新一に何かを感じたのだろう。
漸く隣に腰を下ろした高木の気配に新一が顔を高木に向ければ、優しい笑みが向けられた。
「何かあった?」
「いえ…」
「そっか」
深くは聞かず、缶珈琲のプルタブに指をかけた高木を横から見詰め、ホッと息を吐く。
やっぱり彼は優しい。
その優しさに、思わず口が開いてしまった。
「……今日は、快斗が帰ってくるのが少し遅くなるかもしれないんです」
「帰って来るって…黒羽君、今日は何処かに出かけてるのかい?」
「ええ。実家に行ってくるって」
「そっか。じゃあ、今帰ってももしかしたら黒羽君は帰ってないかもしれないんだね」
「ええ」
予告時間はもう過ぎている。
警視庁内がもうばたばたしていない事を考えると、きっともう彼は無事に犯行を果たし、更には今日の獲物を無事に返したと思って間違いないだろう。
けれど、きっと後処理や諸々を考えると、まだ帰るのは早い気がする。
彼が家に帰って来て、それから自分が帰るのが一番理想的な形だと思う。
だからもう少し……。
「それなら、工藤君を送って行くのはもう少し遅い方がいいかな」
「え…?」
「だって、あんまり早く帰して、もし黒羽君が帰って来てなかったら工藤君は家に一人だよね?」
「え、ええ…」
高木が言おうとしている事の意味がいま一つ分からず、新一がことんと首を傾げれば、向けられるのはやはり柔らかい笑み。
「事件後の工藤君を一人にするのは黒羽君も心配だろうから、黒羽君が帰って来る頃に送って行くよ」
「高木さん…」
嘘を言っている事に少しだけ胸が痛む。
それでも、彼のその優しさがじんわりと痛む心に染み入ってくる。
「ありがとう…ございます……」
泣いてしまいそうなのを誤魔化す為に、新一も缶珈琲を開け口を付けた。
「ただいま」
「おかえりvv」
玄関を開け、帰宅を告げれば間髪入れずにぎゅーっと抱きしめられる。
その温もりにホッとする。
「遅くまでお疲れ様v」
「ああ。さんきゅ…」
あれから結局2時間余り高木を付き合わせてしまった。
快斗がもうきっと帰っているのは分かってはいたのだけれど、今日見てしまったものを自分の中で処理して帰るにはその位の時間が必要だった。
でなければ、きっと快斗に言ってしまっただろう。
自分が目撃した事を。
それを言ったら快斗はどう誤魔化すだろうか。
ふとそんな事を考える。
友達だと偽るだろうか。
裏の顔を守る為『浮気』を認めるだろうか。
それとも――『真実』を新一に言うのだろうか…。
快斗の温もりに包まれながら、そんな事を考えて、皮肉めいた笑みが口元に上る。
なんて皮肉だろう。
『俺』が『君』を愛するなんて―――。
「新一?」
そんな気配を感じたのか、不思議気に快斗に名前を呼ばれた新一は、苦笑を口元に張り付かせると顔を上げた。
「ったく、泊まって来ても良いって言ったのに」
「だって新一の傍に居たいもん」
「あのなぁ、一日ぐらい…」
「一日でも嫌だよ。一分だって、一秒だって…新一から離れたくなんかない……」
切なげに紡がれる言葉に胸が締め付けられる。
ホカノオンナトアンナニタノシソウニアルイテイタクセニ
オレヲズットズットアザムイテイルクセニ
言葉に出来ないどす黒い思いが心の奥底でドロドロと沈殿していく。
快斗の言葉が嬉しくない訳がないのに、それでも、そのドロドロとしたどす黒い感情は少しずつ彼を『好き』だと思う素直な気持ちさえ浸食し始める。
好き。
大好き。
愛してる。
それは間違いないのに、自分の醜い嫉妬や絶望がその温かい感情さえ傷つけていく。
「快斗」
「…?」
「俺も…離れたくないよ…」
「新、一……」
だから、紡ぎ出すのはそのドロドロした感情を押し隠したモノ。
それに捕らわれてしまったら、きっとこの感情さえ素直に持てなくなってしまうから―――。
「俺も、お前と一分だって一秒だって…離れていたくない……」
何も隠していないなんて言わない。
この醜い感情なんて見せる訳にはいかない。
本音の筈のその言葉が、自分の中では酷く言い訳めいて聞こえた。
なんて悲劇なんだろう。
『探偵』が『怪盗』を愛するなんて―――。