人を疑う事は酷く易しい
 人を信じる事は酷く難しい


 『好き』
 『大好き』

 『愛してる』


 そんな綺麗な言葉達を

 ただ盲目的に信じられる程子供ではなく
 ただ閉鎖的に否定しきれる程大人ではなく

 それはまるで
 呪詛の様に俺の心に絡みついた










綺麗な疑惑











 日々降り積もる言葉。


 好き。
 大好き。

 愛してる。


 言葉にすれば長くて多寡だか五文字。
 短いのならたったの二文字。

 そのたった二から五文字が、ここまで異常な程に力を持つものだなんて彼と出会うまで自分は知らなかった。

 それを知って確かに幸せだと思った。
 それを知って確かに幸福だと思った。

 けれどそれは同時に、その幸せと表裏一体にある疑惑を生む。

 光があれば影が出来る様に。
 それは自然過ぎる形でその幸せに寄り添った。






























「新一v」
「…何だ?」

「大好きvv」


 ぎゅーっと抱きついてきたかと思えばそんな言葉を快斗は満面の笑みで紡ぐ。
 それに新一は一瞬微笑んで、そして次の瞬間には難しい顔を浮かべる。

 その変化の理由を快斗は知っているのだけれど。


「まだ信じられない?」


 そう言って、快斗は少しだけ寂し気に新一に笑いかける。

 快斗にしてみればそんな新一の表情は少しだけ寂しいから。
 まるで、自分の愛情がまだ足りない、そう言われている様に感じるから。

 そんな風に寂し気に笑って見せた快斗に新一は顔を曇らせて、それでも懸命に首を横に振った。


「違う…そうじゃないんだ…」
「じゃあ…何?」
「信じられない訳じゃない。ただ…」
「ただ…?」
「…信じきれないだけだ……」


 曇らせた顔で、それでも懸命に快斗の方を向いていた新一も、最後に自分の言った言葉に堪えきれず俯いた。

 新一としても、酷く失礼な事を言っている自覚はある。
 酷く、残酷な事を言っているのだという自覚も。


「…そんなに俺の事信用出来ない?」
「違う。そういう意味じゃ…」
「俺にはそう聞こえるよ」


 突き放した言い方に聞こえはしなかっただろうかと、快斗は言ってから我に返った。
 けれど、これは快斗の本音だ。

 どれだけ『好き』だと言っても。
 どれだけ『大好き』だと言っても。

 どれだけ――『愛してる』――と言っても。

 新一は納得しない。
 新一は信用しない。

 それが快斗には酷く辛く悲しい事に感じられた。


「…違うんだ。俺はお前の事を信用していない訳じゃない」
「信じきれないのは信用していないって事じゃないの?」


 苦しそうに紡ぎ出された新一の言葉にすら、快斗は冷淡に言葉を返した。

 いつまでもうやむやにはしておけない。
 だって、これはもうきっとこのままにしておいてはいけない問題だから。

 新一の為にも。
 そして、自分の為にも。


「…信用してない訳じゃないんだ。ただ…これは俺の内の問題だから…」
「そうやってまた自分だけの胸に押し込むんだね。
 それは俺にとっては『お前程度の人間には話せない』って言われてる様にしか聞こえないよ」
「そうじゃない! 俺はお前のこと…」
「信用出来もしない俺のことをまさか『好き』だなんて言う気じゃないよね?」
「っ…!」


 図星だったのだろう。
 顔を上げた新一の目尻に涙が溜まって居るのに快斗は気付いたけれど、敢えて見ない振りを決め込んだ。

 本当ならそんな辛そうな顔なんてさせたくない。
 本当ならずっとずっと笑顔でいて欲しい。

 けれど、今それをしてしまったら、何も解決しない。
 ただ新一が自分の内に全てを溜め込んで…それで終わりだ。

 それは二人のこれからの為にもならないし、新一の為になんて絶対にならない。

 だから、快斗は新一を苦しめると知っていて尚、新一の心を抉る事に決めた。


「俺には何も言えない。でも俺の事は好き?
 ねえ、新一。一体新一は俺の何が好きだって言うつもり?」
「………」
「俺はね、新一のこと好きだって、愛してるって胸を張って言えるよ。
 新一の為ならいつだって死ねる。新一の為なら本当に何だって出来る」
「そんなの……」
「そう。新一はそう言うんだよ。
 『そんなの唯の言葉に過ぎない。信用なんて出来ない』 違う?」
「……俺は別にそこまで言ってない」
「そうだね。言ってない。そう、言わないだけなんだよ。
 でも思ってるんだろ? だからそんな顔するんだろうし、何も言わずに黙るんだよ。
 思っても、新一は優しいから言わないんだ。その言葉が俺を傷付けると知っているから」


 真っ直ぐにぶつけるように快斗から投げつけられた視線を、新一はまともに受け止める事が出来ずに目を伏せた。
 それが快斗の言った言葉を肯定してしまうのは分かっていたけれど、快斗のそんな視線を受け止める事は今の新一には出来なかった。


「新一は優しいんだよ。それは俺にも…そして、新一自身にもね」
「俺が…俺自身に優しい?」
「そう。新一は優しいんだよ。自分にもね」


 そう言って、快斗は皮肉気な笑みを浮かべて見せた。


「俺を傷付けたくないからその言葉を言わない。でも、そう思うのは…自分を守りたいからだよ」
「…俺は別に……」
「『信じられない』
 俺はある意味これは魔法の呪文だと思うよ。
 誰のことも本気で信じなければ、本気で傷付くこともない。そうやって新一は自分を守ってるんだよ」
「………」


 口を開きかけて、それでも何かを言うことを躊躇ってもう一度口を噤んだ新一を見詰めながら、快斗は冷徹に言い放つ。


「ねえ、新一。確かにそれで自分の心は守れるかもしれない。
 『あんな奴最初から信じてなかった』
 そう言えば何があったって平気だよね? 少しは辛いかもしれないけど、何かあった時もそれで逃げ道になる。
 でも……それは同時に、幸せにも浸りきれないってことだよ? それは新一だって分かってるだろ?」
「それは……」
「相手のことを信じられなければ、必然的に疑惑が生まれる。それはずっとずっと消えないで新一の内に残り続ける。
 だからどれだけ俺が『好き』だって言ったって『愛してる』って言ったって、新一が『本当かどうか分からない』そう思ったら終わりなんだ。
 その言葉に何の効力も無くなる。ただの上辺だけの言葉にしか聞こえない。新一の内には届かないんだ」
「………」


 口を開くことすら出来ずに唇を噛み締めて俯いてしまった新一に快斗は顔を顰めた。

 新一を傷付けたい訳じゃない。
 ただ分かって欲しい。

 自分がどれだけ新一のことを大切に思っているのかを。


「新一。ねえ、顔上げて?」
「………」


 ふるふると、首を横に振られてしまって、快斗は困った顔を浮かべた。


「お願いだよ、新一。顔上げて?」
「………」


 もう一度やっぱりふるふると横に首を振られてしまった。


「ごめんね。意地悪したい訳じゃないんだよ」


 何も言わず顔を伏せたままの新一を快斗はぎゅっと抱き締める。

 新一を傷付けたい訳じゃない。
 寧ろ、傷付けたいなんて思う筈がない。

 大切に大切にして慈しんであげたい。
 大切に大切にして幸せにしてあげたい。

 大切で大切で堪らない彼を傷付けるモノが彼の行く道にあるのなら、先を歩いてその全てを取り除いてやりたいと思ってしまう程に。

 けれど、今ここで彼を傷付けなければ、きっと彼は一生傷付き続けてその傷を完治させないままに自分で掻き壊してしまう事も分かっているから。
 だからこそ、今此処で彼の傷を敢えてぱっくりと開いて、そして綺麗に縫合してやらなければならない。

 いつまでもその傷を気にしなくて済む様に。
 いつまでもその傷に悩み苦しむ事の無い様に。


「大好きだよ。新一。だからこそ俺は新一に信用して欲しいんだ」
「……出来ない」


 数秒の間を置いて小さな声で返って来た返事に、快斗は予想通りだとばかりに小さく苦笑してみせた。
 そんな事端から分かりきっているとばかりに。


「知ってるよ。知ってるからこそ言ってるんだ。俺のことを信用してくれってね」
「……出来ないのが分かってるのに言うのかよ」
「分かってるから言うんだよ」
「…訳分かんねえよ」


 小さく拗ねた様に響く声には少しだけ苛立ちが込められている。

 それは快斗に向けられたものなのか。
 それとも新一自身に向けられたものなのか。

 きっと両方を内包しているのだろう。


「新一は逃げ道を作りたいから、傷付きたくないから信じ切れないんだろ?
 だけど、そんな新一を傷付けるのを承知で俺は言ってるんだ。俺を信じて欲しい、ってね」
「…だから……」
「知ってるよ。それでも信じきれないって言うんだろ?」
「………」
「今直ぐに俺の全てを信じろなんて、そんな余りにも無謀な事を言いたい訳じゃないんだよ。
 少しずつでいい。本当にゆっくり…少しずつでいいから。  いつか遠い先の未来で構わないから、俺の事を『信じてる』って言える努力をしてくれるつもりはないかな、って期待してるだけ」


 淡い期待でもいい。
 叶わないと分かっている願いでも構わない。

 ただほんの少し。
 少しだけでいいから願いが叶うのなら…。

 『全て信じきれる』なんてそんな言葉は望まないから。
 せめて…『全て信じてみたい』と言わせてみたい。

 それは余りにも無謀で、人一倍恋愛に関しては自己防衛本能の強い彼にはきっと難しい注文だと分かっているのだけれど。
 それでも、そう思ってくれるのなら……。



「ねえ、新一。
 もしも新一がそう思ってくれるなら―――。
 俺は今まで無いぐらいに、この世界に他に比較出来る物が無いぐらいに―――新一のことを幸せにしてあげるよ」




































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