最後だと思った
 本当にこれが最期だと

 あれだけ逢っていたのに
 あれだけ見詰めていたのに

 何も告げる事が出来なかった

 でも、それで良かった
 でも、それが良かった


 だけど―――


 ―――最期に君の声が聞きたいと思ったんだ










 【・・・−−−・・・










 RRR……RRR………



「んっ……」


 鳴り響いた音に沈んでいた意識が強制的に浮上させられる。
 それは決して良い類のモノではなく、寧ろ不快。

 それでも、新一が電話を無視するなんて事はない。

 自分は『探偵』
 事件は時も場所も時間すら選んでなどくれない。


 『探偵』としての自分が携帯に手を伸ばす。
 相手も確認しないまま、いつもの様に半分無意識で、それでも相手に寝ていたとは悟らせない声を発していた。


「もしもし」


 極めて冷静に。
 極めて平静に。

 きっと、新一が寝ていたことが見抜けるのは、両親と幼馴染、そしてお隣の小さな科学者ぐらい。


「あ、ごめん。起こしちゃったね」


 ………訂正。
 ここにもう一人居た。


「何だよ、こんな時間に」


 事件ではなかった事に気が抜ける。
 起こそうとした身体を再びベッドに埋め、新一は面倒臭そうに電話越しの相手に冷たく言い放った。

 携帯を取る時にちらりと見えた目覚まし時計の針は夜中の二時過ぎを示していた。
 相手の迷惑を考えるなら、電話などするべきではない時間だ。


「悪い。何か寂しくなっちゃってさー」
「ばーろ。お前なら寂しい時に電話かける相手なんて幾らでも居るだろうが」


 全く、そんな事かと溜息が出る。
 電話の主は、世間一般で言う所のモテる男だ。

 顔良し、性格良し、口先も上手い。
 おまけにマジックの腕はプロ級。
 愛想も良ければ、フットワークも軽い。

 そんな奴が、何が悲しくて夜中に男の処なんかに電話をかけてくるのか。


「冷たいなー。工藤の声が聞きたかったのに」
「はいはい。別に俺にそんな事言ったって何も出ねえぞ」
「えー…出ないのー?」
「当たり前だろうが。つーか、こんな夜中に電話なんかしてきて……寧ろお前が何か出せ」
「んー…薔薇が良い? 鳩が良い?」
「いや、そういう出せじゃねえし…」


 確かにお前の場合はある意味何でも出せる(…)んだろうけど、なんて呟いて。
 新一はベッドの上で面倒そうに一つ伸びをする。


「んー…」
「工藤が伸びしてるとこって、何か猫みたいだよね」
「は?」


 声一つで、新一が何をしているかなんて相手にはお見通し。
 それが少し癪ではあったが、それでも更に続いた言葉の方がもっと微妙だった。

 この工藤新一を捕まえて猫扱いとは。


「いや、別に悪い意味じゃないって!」


 新一の言葉一音で機嫌が下降した事を知った相手が電話の向こうでワタワタとしているのが想像に難くなくて、新一の口元が僅かに上がる。
 けれど、新一の口から紡がれるのはやっぱりどこか突き離した様な言葉。


「良い意味には聞こえねーだろ」
「俺的には褒め言葉なんだよ?」
「どこがどう褒めてんだよ」
「いや、何かこう…シャムみたいで綺麗で可愛いなーってvv」


 シャム。
 ああ、シャム猫の事か。

 そんなに動物好きと言える程でもない新一は咄嗟に意味を悟ることが出来ず、ワンテンポ遅れて理解した。
 まあ、野良猫とか言われるよりは褒めているつもりなのかもしれないが、本人としては猫に例えられても正直嬉しくも何ともない。

 しかも、男相手に綺麗で可愛いとか言う相手も正直どうかとも思う。


「……だから、そういうのは女の子に言ってやれ」


 はあ、っと溜息交じりにそう言えば、予測済みだったのか、苦笑する声が返ってきた。


「工藤ならそう言うと思った」
「分ってんなら言うな」
「分っててもさ、工藤にそうやって冷たくされるのも……悪くないと思って」


 どこのドMだ、なんて思ってもみるけれど、新一はその快斗の言葉に嫌な違和感を覚える。

 快斗への接し方なんていつもこんな物。
 でも、快斗がそれについてこんな風に言った事は聞いたことがない。

 いつだって笑って『工藤ってば冷たいなー』なんて言っているだけ。
 こんな風に言うことなんて―――。


「まあ、工藤はそれがいいとこ……あ、ごめんちょっと待って」


 自分からかけてきた癖にそんな事を言って、慌てた様子で一瞬向こうの音が途切れる。
 きっとマイク部分をふさいだのだろう。

 それでもその前の一瞬で新一の耳にはその音が届いていた。



 ――――聞き慣れた、サイレンの音。



「悪い悪い、ちょっと友達に捕ま…」
「黒羽。お前今どこに居る?」
「ん? 何処って…今軽く飲んだ帰り……」
「――っ! ふざけんな! この馬鹿!!」


 気付けば眠気なんて吹っ飛んでいた。
 ここのところ徹夜続きで、身体もボロボロで、本当は早く電話を切って休みたい気持ちで一杯だったというのに、そんなものその音を聞いた瞬間に全部吹っ飛んだ。

 叫んだのと同時に、新一は慌てて身体を起こすと電話片手に器用に服を着替える。
 そして、財布と車のキーをズボンのポケットに突っ込みながら、相手の馬鹿さ加減と…そして今まで気付かなかった自分の馬鹿さ加減に頭が痛くなる思いだった。


「ちょ、ちょっと待てよ、工藤。何でそんな怒って…」
「ばれないとでも思ったのか、このバ怪盗! お前は―――助けてくれも言えねえのかよ!!」


 そうだ。
 事件にかまけてすっかり忘れていたけれど、確か今日は怪盗の予告日。

 怪盗の予告日に。
 新一にわざわざ電話なんかかけてきて。
 あまつさえ、警察のパトカーが未だ周りをうろついている状況で電話をしてくるなんて―――。


 ―――そんなの、よっぽどの事態に決まっている。


「工藤、お前何言って…」
「るせー。探偵の俺に迷惑かけられない、なんて思ってたら承知しねーからな!」
「………」


 押し黙った相手に、自分が図星をついたのだと確信する。

 勝手に人のテリトリーにいつの間にか入り込んでおいて。
 新一の周りを勝手にちょろちょろするようになって。

 勝手に気にさせて。
 勝手に会わないと落ち着かない様にさせて。
 その癖、どれだけ気を許してもそれ以上は決して踏み込んでこない。

 何を気にしているかなんて一目瞭然。
 きっと本当に本当につまらない事を気にしてるのなんて分り切っていた。


「あのな、俺は探偵である前に、一人の人間でお前の友人だ。お前は俺に友人を見捨てさせるのか?」


 卑怯だとは分っていた。
 狡いのは百も承知だ。

 それでも―――余裕なんてきっとない。

 逃げられる状態なら、電話などせずさっさと逃げたろう。
 隠れられる状態なら、連絡などせず綺麗に隠れて落ち着くまで待ったろう。

 つまりは―――そんな事すら出来ない状態なのだろう。今現在は。




「お前は俺に―――人を見殺しにしろって言うのかよ」




 怪盗だとか、犯罪者だとか。
 きっとそんな事をアイツは気にしているんだろう。

 だけど――そんな事、今は言ってられる様な状況じゃない筈だ。


 言いながら、鼻の奥がツンとして、慌てて上を向いた。
 こんな時に泣いている場合じゃない。
 泣いている余裕なんてない筈だから。

 無理に堪えた涙も声も、それでも快斗にはきっと伝わってしまったのだろう。
 ふぅ…と一つ小さな溜息を吐きだした後、快斗は諦めた様に新一に告げた。




「………ごめん、工藤。俺の負けだ」








































「それが馴れ初め?」
「そう。これが俺と新一の馴れ初めv」


 工藤邸の中庭。
 良く晴れた空の下、お庭で優雅にティータイムを楽しんでいた哀は、お茶請けにと快斗が話し始めた、探偵と怪盗の馴れ初め話に眉をひそめた。
 まあ、馴れ初めと言うのはあくまでも怪盗の自称であって、きっと探偵はそんな気はさらさらないのだろうが。
 そんな噂の名探偵殿は今日も今日とて事件でお出かけだから、快斗は哀にこんな話が出来るのだけれど。


 結局その後、傷が治るまで工藤邸に居るのをいい事に新一を大好きな暗号や謎で懐柔(…)して。
 怪我が治ってもう工藤邸に居る意味を持たない筈の快斗をそのまま置いてくれた事に快斗は狂喜乱舞した。

 けれど、きっと新一は気付いていないだろう。
 快斗の寄せる本当の想いには。

 それでも―――快斗は毎日幸せだ。


「貴方、随分馬鹿だったのね」
「酷いなあ…。哀ちゃんまで」


 その後迎えに来てくれた新一にも散々言われた言葉だ。
 手当てをしてくれている間中ずっと『馬鹿』だの『バ怪盗』だの言われていた気がする。

 それを思い出して快斗は苦笑するしかない。


「だってそうでしょう? 最期だと思ったのに……工藤君に電話をかけるなんて」


 誰よりも『真実』を見出す探偵。
 その探偵に、あろうことか電話をするなんて。

 それはもう――――。



「そうだね。俺は馬鹿だったし、きっと―――助けて欲しかったんだ」



 情けないけどね、と快斗は笑う。
 けれどそれは、今となってはいい思い出。
 幸せの一ページだ。


 あの時、本当に最期だと思った。
 だから、最期の最後に新一の声を聞きたいと思った。

 綺麗で、強くて、でも本当は少し寂しがり屋な彼の綺麗な綺麗な蒼い瞳を思い浮かべて。
 そうしたらもう堪らなく彼の声が聞きたくて。

 半ば無意識に彼に電話をかけていた。

 何を話したら良いかなんて全然分らなくて。
 それでも彼の声を聞いたら、腕に空いた穴も、足から大量に零れていた赤も全然痛くも気にもならなくなって。

 ただ、幸せだった。
 ただ、幸福だった。

 ああこれで―――今死ねるならきっと幸せかもしれない。

 なんて思ったりもした。



 けれど、新一が自分を見つけてくれて。
 あの蒼い瞳に心配そうにジッと見つめられて。

 その瞬間に気付いた。

 どんなにみっともなくても、どんなに格好悪くても。
 どれだけ足掻いて足掻いて、情けないと後ろ指を差されたとしても。

 ―――――自分はまだこの瞳を見詰め続けて居たいのだと。





「本当に、馬鹿ね」
「知ってるよ」


 再度繰り返された言葉に快斗が笑いながらそう返せば、意外にも哀の瞳は酷く真剣な物で。
 快斗は訳が分らず首を傾げる。


「哀、ちゃん…?」
「……私が言いたいのは、貴方も彼も同じ穴の狢で馬鹿だって事」
「??」


 ハテナマークを顔中に張り付けた様に不思議そうな顔をする快斗に、哀は魔術師の腕が惜しげもなく使われた香りの良い珈琲に一口くちを付けて、静かにカップをソーサーへと戻した。
 未だ半分ぐらいの量を残したままの黒い液体を見詰めて一つ溜息を零す。


「貴方も工藤君も、相手の事はこれ以上ない程大切にする癖に、自分の事は大切にしない大馬鹿者って事よ」
「哀ちゃん…」


 苦しげに吐き出された言葉の意味に気付かない程、快斗は鈍感ではない。
 少し伏せられた哀の長い睫毛が目元に落とす影を見詰めながら、柔らかく笑った。


「ありがとう」
「私は何もお礼を言われる事なんてしてないわ」
「ううん。哀ちゃんがね、いつも俺達を心配してくれるって分ってるから」


 自分も彼も。
 きっと、自分を大切にする事は一生出来ないだろう。

 彼は『探偵』として『真実』を見付けるために。
 俺は『怪盗』として『愚かな女』を見付けるために。

 それは自分の身体とか、それこそ命とか。
 その場になってしまえば、きっと快斗も新一も忘れてしまう。
 自分など、見えるものの前では霞んで見えなくなってしまう。


 昔は、そのまま見えなくなってしまっても良いと思っていた。
 けれど、今は――こうやって心配してくれる人が居る事を知っている。

 だから―――。



「大丈夫。俺も新一も―――――ちゃんとここに帰ってくるよ」


























※題名の【・・・−−−・・・】はモールス信号でSOSの意味です。




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