辛かったんだ…
思い通りにならない身体も
思い通りにならない心も
そしてお前等の優しさが一番…
〜幸せのかたち〜
黒の組織を潰して、APTX4869のデータ―を手に入れて…
灰原は薬のデーターを元に解毒剤を作り…実験に実験を重ねて俺に投薬をしてくれた。
元の身体に戻れるなら多少のリスクは覚悟していた。
もし戻れずに死ぬ事になっても、このまま『江戸川コナン』で居るよりは…そう思ったから。
そう言ったら快斗は悲しそうな顔をしたけれど、最後には頷いてくれて。
俺は三ヶ月前『工藤新一』へと戻った…。
「ふぅ…」
もう溜め息しか出てこない。
天井を見詰め続けるのにも飽きて、窓のある右側に少しだけ身体を傾ける。
元に戻った俺の身体には異常は無かった。
けれどそれはあくまで検査結果だけの話し。
実際は、慢性的な頭痛、吐き気、眩暈。
歩く事すらままならず、上半身を起こしているだけでも辛い。
本でも読めるならまだ救いはあったのだろうが、文字を見ているだけで気持ちが悪くなる始末。
灰原は検査に検査を重ねたけれど、やはり身体に異常は無くて。
要するに『原因不明』。
俺はどうする事も出来ずにただベットに横になっている日々が続いていた。
「ただいま。新一気分どう?」
帰ってくると同時に言われる台詞。
これもここ三ヶ月ずっと変わらないもの。
「別に」
そして、それに対する俺の返事もここ三ヶ月変わっていない。
「そっか…。あ、これね今日発売だったの♪」
そう言って快斗が取り出したのは一枚のCD。
「お前また買ってきたのかよ…」
「だって、音楽なら大丈夫でしょ?」
新一がこの状態になってから快斗は毎日の様に新しいCDを買ってくる。
それはクラシックであったり、ヒーリングCDであったり、邦楽であったり、洋楽であったり…ジャンルは多種多様に渡る。
曰く、「自分の居ない時に新一が寂しくないように。」だそうだが。
「あれ? 哀ちゃんは?」
「ああ。少年探偵団の奴等と出かけたよ」
「え!? 哀ちゃんが?」
ここ三ヶ月殆ど新一の側を離れる事なんて無かったのに…。
「俺が行けって言ったんだよ」
「新一…」
「あいつにだってあいつの生活があるだろ?」
そう、あいつにだってあいつの生活がある。
何時までも俺の為だけにここに居るのは間違っている、そう思ったから。
『一人になりたい』そう言って追い出した。
そうでも言わなければ彼女は俺の側から離れ様としなかったから。
「でも…」
「いいんだよ。あいつにはあいつの人生をちゃんと生きて欲しいんだ」
『宮野志保』としてのあいつはもう充分過ぎる程苦しんだ。
だからこそ『灰原哀』としてのあいつには幸せな人生を歩んで欲しい。
そう思うのは俺のエゴだろうか?
「でもね新一。哀ちゃんは新一が幸せじゃなきゃ幸せになんかなれないよ?」
「………」
「だから…」
「煩い」
「新一…」
「お前に何が解る? 俺の気持ちも、あいつの気持ちもお前にはわからないだろ!」
苛立っていたのかもしれない。
思い通りにならない身体。
疲れ切っているのにそれを必死で隠して俺の世話をしてくれる灰原の様子。
そして、そんな俺や灰原を温かく見守ってくれていた快斗。
その優しさが…今の俺には辛過ぎた。
「………」
「お前は俺と灰原の話しを聞いて、状態を見て俺達の事を解ったつもりになっているに過ぎない」
「新一俺は…」
「迷惑なんだよ。そのいかにも『心配してます』っていうのがな」
「……そっか」
自分でも言い過ぎた、そう思った。
けれどそれを止めるには自分自身が疲れ過ぎていた。
身体も心も。
だからあいつを思いやってやる余裕など無くて…。
傷ついた瞳をした快斗に慰めの言葉よりも、追い討ちをかける方が自分自身が楽だったから。
「解ったら出てけよ。一人になりたいんだ」
「………解った」
それだけ言うと、快斗は静かに俺を残して部屋から出て行った。
快斗が出て行ったのを確認した途端、俺の瞳からは涙が溢れてきた。
あいつを傷つけたのは自分なのに…。
辛いのはあいつの方なのに…。
それでも瞳から零れる涙を止める事は出来なかった…。
工藤邸から約三ヶ月ぶりに自分の家へと帰る道のり。
足取りは重く、中々歩が進まない。
「解ったつもりになっているに過ぎない…か」
言われた言葉が抜けない棘の様に胸に突き刺さる。
確かに彼の言う通りかもしれない。
自分はただ解ったつもりになっていただけなのかもしれない。
彼の辛さも、彼女の辛さも、同じ運命を共有した当人達以外には本当の意味で理解する事は不可能だ。
「でも俺は…それでも…」
それでも、理解したいと…側に居たいと思うのは罪なのだろうか?
彼を幸せにしたい。
彼に幸せになって欲しい。
そう思うのすら罪なのだろうか?
「俺はどうすればいい?」
彼の重荷にしかなれないのだろうか…?
彼を救う事は出来ないのだろうか?
「俺はどうしたらいい…?」
呟いた言葉に答えが返ってくることは無かった。
「ただいま。工藤君、具合は?」
灰原も帰ってくるなりそう聞いてくる。
まるであいつと同じ様に。
「別に」
そしてそれに対する俺の答えも同じ。
「そう……。あら? …黒羽君は?」
「帰った」
「帰ったって…」
学校と仕事以外で貴方の側を離れた事なんてこの三ヶ月間殆ど無かったのに…。
「俺が出てけって言ったんだよ…」
「工藤君…」
「あいつにもあいつの生活があるだろ?」
快斗に言った事と同じ事を口にする。
そう…灰原にも快斗にもそれぞれの生活がある…。
四六時中俺に付いている義務なんか無い。
「それでも彼は…」
「灰原」
彼女の言いたい事は痛い程解っていた。
けれど、それを聞く気力も体力も今の俺には残っていなくて。
「ごめんなさい…」
それを理解したのか、ただ静かに哀は謝って来る。
「いや、いいんだ…」
彼女が悪い訳ではない…。
それは確かだから。
「夕食にしましょうか」
「そうだな」
いつもより一人少ない夕食は、ただ静かに…機械的に終る。
新一のそれは食事と言うよりも、ただの栄養摂取にしか見えない。
それでもまだ口から食物を取っているだけましなのだが。
新一がこの状態になってから、食事が出来ず点滴によってしか栄養を得る事が出来ない日も多い。
それから考えれば、今日は体調が良い方なのだ。
「灰原」
「何かしら?」
「お前も家に帰れ」
「え…」
告げられた言葉の冷たさに、哀は瞬時にその意味を理解出来ないでいた。
「聞こえなかったのか? 帰れって言ってるんだ」
「でも、工藤君…」
黒羽君がいるならまだしも貴方一人の時に何かあったら…。
「一人になりたいんだ」
何かあったら電話ぐらい出来るから。
「頼むから一人にしてくれ…」
「………解ったわ」
血を吐くように苦しげに紡がれた言葉に、哀は反論など出来なかった。
こんな身体にしてしまったのは自分…。
彼をこんなに苦しめているのも自分…。
彼を救いたい…その一心なのに…。
逆にそれが彼を苦しめているのも解っているから。
「何かあったら直ぐに呼んで頂戴」
直ぐに飛んで来るから。
「ああ、解ってる」
新一が了承の意を表したのを確認すると静かに哀は部屋を出て行った。
「悪いな…灰原」
その後ろ姿にそう呟く。
彼女が悪い訳ではない。
彼女は自分の為に出来る限りの…いや、それ以上の事をしてくれた。
リスクを承知で戻りたいと思ったのは自分で。
それでも…この状況を直ぐに受け入れられるほど…思っていた程自分は強くなくて…。
「悪いな…」
今はそれしか言えないけれど…。
いつかきっと、笑えるようになるから。
いつかきっと…。
「どうしてなのかしらね…」
哀は戻ってきた一人地下室で呟く。
もう何回目を通した解らない書類に目を通しながら。
そこに書かれているのは組織を潰した時に手に入れた、APTX4869の詳細なデーター。
これから導き出される解毒剤はあの1種類しかなかった…。
そして彼は元の身体に戻り、検査結果に異常は見られない。
けれど…彼の身体が元に戻ったというのはあくまで検査結果上に過ぎない。
「何が足りないの…?」
一体何が足りないというのか。
これ以上は出来ない物を作った筈なのに…。
「期間が長過ぎたの?」
彼が『江戸川コナン』になっていた期間が長すぎたのか…それとも…。
「それとも…例外だったから…?」
元は毒薬として作られた薬。
それがどう作用してか解らないけれど、彼と自分は子供へと戻ってしまった。
それは有り得ない筈の薬の効果。
「だとしたら…」
完璧な解毒剤など存在しない?
頭を過る可能性を否定する様に哀は首を振り、何度目を通したか解らない書類をもう一度始めから読み直す。
何処かに、彼を助けるヒントがあると信じて…。
「ここもハズレ……。あと三箇所ですか…。」
KIDはかつて潰した黒の組織のある一つの支部があったビルの中に居た。
彼が追っている組織と、自分が追われている組織が同じだと判明し手を結んだのが一年前。
組織を潰すのにかかったのが半年。
そして、解毒剤が完成するまでにかかった時間が三ヶ月。
それから三ヶ月…。
KIDはまだこの衣装を纏い続けている。
組織との攻防は終っても、パンドラは未だ発見できていないから。
けれど、今日この衣装を纏っているのは別の理由で…。
「あと三箇所…」
その中に目指すものがあれば良いが…。
「彼の為に私が出来るのはこれぐらいですからね…」
彼女の様に解毒剤を作る事は出来ないから。
そのヒントを探すしかない。
そのヒントを探し続ける事しか出来ない。
「貴方の為にはそれしか…」
側に居る事が許されないのなら、せめてそれだけは許して欲しい…。
貴方に幸せになって欲しいと、そう思う気持ちだけは否定しないで…?
「今日も来ていないの?」
「ああ」
工藤邸から快斗が帰ってもう3日が過ぎた。
彼が居ない静けさに落ちつく一方で、堪らない寂しさを感じているのを彼女には悟られてしまっているから。
「貴方はそれでいいの?」
彼を追い出して、一人で自分の殻に閉じこもって…それで満足?
この3日間傍観していた哀はついに痺れを切らし確信をついてきた。
それは新一自身も一番思っていた事。
「良いとは思ってない。でも…あいつにはあいつの…」
「生活がある、そう言いたいのでしょ?」
繰り返してきたものね、その身体に…私がしてしまってからずっと。
彼にも私にも『それぞれの生活』があるのだろうと言い続けて来た。
「ああ」
短く…けれど、深く頷かれ哀は溜め息をつく。
「どうして解らないの? 私の生活にも、彼の生活にも貴方が必要なのよ」
「………」
「『工藤新一』がいなければ、私も彼も生きては行けないの」
どうしてそれを解ってくれないの?
その哀の言葉に、静かに新一は口を開いた。
「俺はお前等の力になってやれないし…迷惑かけるばかりだし…」
ぽつり、ぽつりと今まで語られる事の無かった新一の本音が吐露される。
「元の身体に戻れば、助けてやれると思ったんだ。力になってやれると思ってた…」
「工藤君…」
「でも現実は俺がお前等に迷惑をかける一方で…結局何もしてやれなくて…」
苦しげに吐き出される言葉と共に、一筋の涙が新一の頬を伝い落ちてシーツに染みを作る。
それはあとから後から零れてきて、止まる事は無かった。
「工藤君。私達は迷惑だなんて思った事は一度だって無いのよ?」
それどころか、貴方の側に居られて幸せなの。
私も、彼も、貴方に出会ってその光に救われたのだから。
「幸せ…?」
「ええ。これ以上は無い程幸せなのよ」
毎日貴方の顔が見れて。
毎日貴方と話しが出来て。
毎日貴方が生きていてくれて…。
「本当に幸せなの。彼も私も」
貴方さえこの世に生きていてくれるなら。
「あいつも…?」
「ええ」
彼もきっと私と同じ…いえそれ以上の筈よ。
「……そう…なのか…?」
「ええ。それは断言出来るわ」
「俺はあいつにとって重荷にはならないか?」
「ならないわ」
きっぱりと告げる哀の言葉に、新一はほっとした表情を見せる。
それはきっと彼が一番気にしていた事だったのだろう。
自分と新一は組織を潰し、残党は残っているとはいえ一応はその闇から今は開放されることが出来た。
けれど『怪盗KID』として彼は未だあの純白の衣装を身に纏い夜の闇を駆けている。
それは未だ見つからないパンドラを探すため。
そして、その災いの種を砕く為。
彼はまだあの純白の衣装を脱ぐことが出来ないでいるから。
その彼の重荷になりたくないという新一の気持ちは痛い程解るから…。
「大丈夫よ。貴方は彼にとって『重荷』ではなく『支え』なのよ」
「…支え?」
「そう、彼にとって貴方は何にも代え難い心の支えよ。工藤君、貴方と同じようにね」
「俺と同じ様に……」
「そうよ。貴方も彼無しではもう生きては行けないでしょ?」
「…そうかもしれないな」
最初の…あの刹那の邂逅から魅せられていた。
あの純白の衣装をつけ冷涼な気配を身に纏い一人孤独に戦い続けていたあの怪盗に。
そして、その素顔を…夜のあの気配とは全く正反対と言える太陽の様な気配を持った快斗に会った時から…。
ずっと魅せられていたから…。
「彼も貴方と一緒なのよ」
きっとどちらも相手無しでは生きては行けないから。
そう…まるで比翼の鳥の様に…。
一人では飛び続けられないから…。
「だから、安心なさい」
「…灰原…ありがとう」
そう言って久々に微笑んだ新一の笑顔は、今までの表情からは想像出来ない程輝いていて。
哀は澄んだ水面の様な瞳に、少しずつ光が戻って行くのをただ静かに見守っていた。
「なあ…灰原悪いんだけど…」
「解ってるわよ」
黒羽君、呼んで欲しいんでしょ?
「…ああ」
「まったく…調子が戻ったら直ぐこれなんだから…」
そう呟いた哀の横顔は酷く穏やかなものだった。
――コンコン
控えめにノックされるドア。
「入れよ」
それが誰によるものであるか、新一には既に解っていたから。
「久しぶり…」
「ああ」
静かに入ってきて躊躇いがちに開口一番そう言う快斗に苦笑する。
まあ、今まで毎日会っていたのだから3日会っていなかっただけで充分久しぶりにはなるのだが。
「身体…大丈夫?」
「ああ、今日はそこそこだな」
そう言う新一の顔色は良く、本当に調子が良いことが解り快斗はほっと胸を撫で下ろした。
この3日間、頭は彼のことで一杯だったから。
きちんと食事はとれているのか。
ちゃんと睡眠はとっているのか。
一人で辛い思いはしていないだろうか…と。
「それなら良かった」
そう言って微笑んだ快斗を新一は真っ直ぐ見詰める。
その眼差しは、かつて…彼がこの状態になる前の物で…快斗は新一の中で何かが変わった事を悟った。
「快斗」
「何?」
「お前の幸せは何だ?」
「新一の側に居る事だよ。」
突然の…何の脈絡も考える余裕すらなかった筈の突然の問いに、快斗は即座にそう答えた。
それは新一が一番聞きたかった答え。
そして快斗が一番聞きたかった答え。
「俺はお前にとって重荷にならないのか?」
もしかしたらずっと…いや、これ以上に悪化するかもしれないこんな身体を抱えた俺はお前の重荷にならないのか?
「なる筈ないでしょ?」
重荷になんてなる訳がない…。
新一は…俺がこの世で見つけたただ1つの光なんだから。
「新一が居たから俺は今まで生きてこられた。そして、新一が居るから俺はこれかも生きていける」
貴方が居たから今まで生きてこられた。
貴方が居たから闇の中にも引きずられる事無く過ごして来れた。
貴方が居たからこれからも生きようと思った。
「なら快斗…約束してくれ」
「何を?」
「俺がもし…もし仮に意識すらなくなったら…」
もし…脳死状態になるようなことになったら…。
お前の手で殺してくれないか?
「!?」
「死ぬなら…お前の腕の中がいい…」
こんな冷たいベットの上じゃなくて、お前のその温かい腕の中で死にたいんだ…。
「………俺に新一を殺せって?」
余りの新一の言葉に自分が反芻して言った言葉が震えているのを感じた。
喉が乾ききって、張り付いてくるような感覚すら覚える。
「ああ」
そんな快斗に、顔色一つ変えずに新一はただ頷いた。
「そんな事…」
「出来ないのなら俺から離れろ」
真っ直ぐ瞳を見詰められたままただ静かに告げられる。
自分を看取る覚悟が無いのなら…その覚悟が出来ないようなら自分の側に居るなと。
新一の瞳が痛い程そう告げていたから。
「…………解った、約束する」
快斗は覚悟を決め…静かに頷いた。
「その代わり…その後俺が新一の事追うのは自由でしょ?」
新一を失って俺が生きて行けると思う?
「………それはお前に任せるさ」
快斗の言葉に新一は複雑な表情を浮かべながら苦笑した。
本音を言えばお前には生きて欲しい。
けれど…お前を一人残して逝くのは…。
だからお前が俺を失って辛いと言うのなら、俺はそれを止める事は出来ない。
自分を殺して欲しいと言った俺にお前を止める事は出来ない。
「なら、いいよ」
逝く時は一緒に行こう?
そう微笑んだ快斗の表情は今まで見たどの顔よりも穏やかで…。
「ああ」
それに応じた新一の表情もまた酷く穏やかな物だった。
それから数週間後KIDが組織の残りの支部で隠されていた薬の更に詳細なデーターを見つけ、哀の手によって新たな解毒剤が作られた。
その薬が、新一の体調を改善させる事になる事はこの時点ではまだ誰も知らない事実…。
end.
何時かは書きたかったんです副作用(?)ネタ。
あれだけ長い時間子供で居たんだから、すんなり元に戻ってめでたしめでたしとはならないだろうと…。
でも……中途半端だ!(逃)
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