貴方の為なら何を捨てても惜しくない
例えそれが
自分の誇りだったとしても
〜選択(side K)〜
――ぎゅ。
進もうとして、進めなくなって。
後ろを振り返れば泣き出しそうな新一の顔。
其の手に握られているのは己のマント。
ああ、進めなかったのはこういうことか。
「どうしたんですか?」
どうしてそんなに泣きそうな顔をなさってるんです?
「………何でもない」
相変わらずぎゅっとマントを握ったまま、泣き出しそうな顔のまま、それでも素直に言葉にしない彼に苦笑する。
彼らしい答えだと。
「何でもないならどうしてそんな顔をなさってるんですか?」
「………」
新一は見詰められるのを嫌うかのように顔を背け、黙りこくってしまう。
其の様子に苦笑しつつ快斗は困ったなあ、と内心で思う。
予告時間まではあと30分しかない。
此処から本日の舞台までは20分。
10分でこの状態の新一を落とすのは至難の業だ。
もちろん快斗としては新一を優先するのに異論はない。
寧ろ嬉々として優先する。
例えそれがKIDの仕事とて同じ。
けれどそれではこの状態から新一が脱した時に、きっと自分のせいだと沈んでしまうのは必死。
かといってこんな新一を放って仕事に行くなんて言語道断だ。
一番の解決策はやはりこの10分で出来る限りの事をする事か。
「言って下さらなければ解りませんよ?」
今来た数歩を戻って、己のマントをぎゅっと握り締めている其の手の上から自分の手を重ねる。
「………何でもない」
けれど返ってくるのは先程と同じ答え。
強いて言えばそう言って俯いてしまったから更に悪化していると言えるのだろう。
予想していた事だが、困ってしまう。
「名探偵」
優しく優しく名前を呼んで、俯いてしまった新一の顔を覗き込んで頬にもう片方の手を添える。
少しでも彼に近付きたから。
「……か…いと…」
途端にぽろぽろと涙を零し始めた新一に快斗は気配を本来の自分のものへと戻す。
今必要とされているのは『私』ではなく『俺』らしいから。
「新一」
「……い……くな……」
「新…一…」
今まで一度も言われた事のない言葉を、泣きながら言われて。
流石の快斗も動揺を隠せない。
「いく…な……」
ぎゅうっと強くマントを握り締めている手が震えていて、綺麗な綺麗な瞳はぎゅっと閉ざされた瞼の奥に隠されて。
快斗は頬に添えていた手も其の手に添えて両手で優しく包み込む。
「新一が行くなって言うなら行かないよ」
KIDも。
パンドラも。
新一を泣かせてまで求めるものじゃない。
親父には少し申し訳ないと思うけど、それが快斗の真実。
「新一が行って欲しくないなら俺は行かない」
新一が望むなら今すぐにでもこの世から怪盗KIDは消え去る。
残るのは唯の黒羽快斗だけ。
「………」
そう言えばゆっくりと瞼を開き、黙ったままこくんと頷いた新一を自分の胸へと抱き寄せて。
未だ泣いたままの彼を安心させるように背中を優しく撫でてやる。
「行かないから大丈夫だよ」
彼を抱き締めたまま内心で思う。
今日がKIDの引退日かもしれないなあ、なんて。
寂しいような嬉しいような複雑な心境で。
この世界の誰かが『永遠』を手に入れる事も、新一を泣かせる事に比べたら小さな事に感じる。
守るのは、求めるのは腕の中の彼だけでいい。
「傍に居るから」
「かいと…」
「何処にも行かないよ」
大切なのは『永遠』でもそれを阻止する事でもなくて、ただ腕の中にいる彼だけだから。
だから彼が望むのなら何処にも行かない。
「愛してる」
君の為なら何を捨てても惜しくないから。
例えそれがKIDであったとしても。
「俺も…」
だから行くな、と小さく小さく呟かれて。
その言葉に快斗はゆっくりと頷く。
そして屈託のない笑顔でにっこりと微笑む。
「俺はたった今から唯の『黒羽快斗』だよ」
貴方だけの為に生きる唯の普通の高校生。
それも悪くない。
選び取ったのは極々普通の人生。
それは彼の為であると同時に自分の為の選択。
END.
………遂に自分なりの禁じ手…使ってしまいましたι
「新一は心配しつつも快斗の仕事には何も言わない」ってのが僕の中での勝手な決め事みたいなもんだったんです。
多分今回のみの使用になる筈…。
でも一回使っちゃったら今後もずるずるやりそうで怖いなι
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