全ては彼の為
全ては彼の幸せの為
でもそんなモノ
唯の建て前にしか過ぎなかったの…
―― 秘密 (side A) ――
深刻な顔をしてやって来た彼に何事かと思った。
折りしも今日はクリスマスイブ。
一人者ならいざ知らず、彼には可愛い可愛いあの彼女が居て。
どうしてこんなに深刻な表情で今此処に居るのか不思議でしょうがなかった。
「どう思う…?」
「………」
告げられて頭が真っ白になった。
彼が怪盗に人並みならぬ思いを持っているのは知っていた。
けれどそれが今こんな形になっているなんて…。
「俺は…俺は確かに間違ったかもしれない」
「………」
「でも、そうなる事を望んだのも確かなんだ」
「………」
其処まで言われて、今度は目の前が真っ暗になるのを感じた。
『怪盗』とは言っても彼は犯罪者で。
『探偵』である彼とそんな関係になることなど決してないと高を括っていた。
「俺は…あの時確かにそれを望んだんだ……」
けれど、それが甘かったのだ。
彼は彼を着実に侵食していた。
これは…これではいけない。
「なら貴方はその一瞬の衝動の為だけに全てを捨てる気なのかしら?」
「………」
「貴方には彼女が居る。貴方をずっとずっと待っていてくれた優しい優しい彼女が。
その彼女を捨てて、貴方はありもしない彼との未来に期待しようって言うの?」
「………」
気付けば口を開いていた。
気付けば言葉が溢れていた。
本当の気持ちは全て包み隠して、奇麗事を並べた。
だって仕方ない。
自分では彼を引き止められない事は自分が一番良く分かっていた。
「蘭には申し訳ないと思ってる。でも…」
「貴方が好きなのは彼。そう言いたいんでしょ?」
「………」
ほらやっぱり、彼女の名前を紡ぐ時貴方の表情は曇る。
私にはこんな相談をしてくるのに――本当に残酷な人。
だから諦めた。
彼女には勝てないと分かっていたから。
あの真っ白な天使には真っ黒に汚れてしまった自分では決して勝てない。
なのに何故汚れている筈のあの人に貴方は心惹かれるの?
自分よりも綺麗だから諦めた。
自分よりも彼に相応しいと思ったから諦められた。
それなのに何故今――。
「でも、貴方が居なくなったら彼女…蘭さんはどうするかしら?」
「それは…」
「貴方にあれだけ依存しているんだもの。自殺ぐらい平気でするでしょうね」
「――!?」
そこまでするかなんて分からなかった。
そこまでする確証なんてなかった。
それでも彼を此処に縛り付ける為にはそうするしかないから。
「貴方はそれでも彼女を見捨てて彼と共に行けるの?」
「………」
紡ぎ続けるのは卑怯で残酷な言葉。
「貴方をずっとずっと待ち続けていてくれた彼女を貴方は本当に見捨てられるの?」
「………」
捨てられる筈などない事は分かっていた。
彼は彼女を一番大切にしている。
幼馴染で。
恋人で。
ずっとずっと幼い頃から一緒で。
一緒に居るのがきっと当然の様になっていたに違いない。
それが羨ましいと。
それが嫉ましいのだと。
自分が最初からその位置に居られたなら…何度そう思ったか知れない。
けれどそれは叶う事のない夢。
「ねえ工藤君。私は貴方が苦しむのを見たくないの」
「………」
「今貴方があの人と行けば貴方は一生罪悪感に苛まれながら生きて行く事になるわ」
「………」
「だから…酷だとは思うけれど、あの人の事は忘れなさい」
「っ……」
全ては彼女の為。
全ては彼の為。
そう言い聞かせる。
本当は全て自分の為なのに。
だって此処で貴方を離してしまったら、きっと一生私は貴方にもう二度と会えなくなってしまう。
けれど、貴方が彼女と一緒に居るのなら私は貴方に会う事が出来る。
本当に貴方に此処に居て欲しいのは――私。
「忘れなさい。今は辛くても、それが一番貴方が幸せになれる道よ」
そう、忘れて。
全て忘れて此処に居て?
「もう直ぐ七時よ。蘭さんとの待ち合わせ8時じゃなかったの?」
左手首に付けていた時計に視線を落とした新一に哀は心の中で願い続けた。
オネガイダカラカノジョヲエランデ
オネガイダカラココニイテ
オネガイダカラワタシヲヒトリニシナイデ
「ああ。そろそろ行くよ」
椅子から腰を上げた新一に哀は心の中だけで安堵の溜息を吐いた。
「気をつけて」
「さんきゅ…」
最後の言葉を告げた彼の瞳は曇ってはいたけれど、きっと彼は彼女の所に向かった。
それだけは分かった。
ああ、これで彼を失わずに済むのだと思ったら心が歓喜に震えて仕方なかった。
ねえ、貴方が私の真実を知ったら貴方は私をどう思うのかしら。
ねえ、本当は私にも分かっていたとしたら、貴方が如何すれば幸せになれるのか知っていたとしたら貴方はどう思うのかしら。
貴方の幸せを摘み取ってしまっても。
貴方の未来を摘み取ってしまったとしても。
それでも私は貴方を――貴方を失いたくなかったの。
END.
実は一番切ないのはこの方かもしれません。
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