きっとお姫様は

 差し出された林檎が毒林檎だと知っていたんじゃないかしら?








―― poisonous apple ――









 小学生の授業なんてつまらなくて。
 それでも宿題はこなさなければならなくて。

 苦にもならない作業だけれど、それでも時間が勿体無いと思うのは確か。


「読書感想文ね…」


 一冊好きな本を選んで感想を書いて来いと言われた。
 いっその事、アインシュタインかマッハでも読んで書いて行こうかしらなんて詰まらない考えが浮かぶ。

 けれど、小学生がそんなモノを読める訳が無いし、読めてはいけない。
 分かっている。私は本来こうして生きていてはいけない存在。


「お隣がいいかしら…」


 きっと隣なら推理小説以外にも本はある筈。
 少なくとも自分の蔵書よりはマシな筈だ。

 そう思い立って、隣家へと足を運んだ。















「読書感想文?」
「ええ」
「それって学校の宿題だよね?」
「そうよ」


 出迎えてくれたのは隣家の今の主の恋人。
 『怪盗』なんて副業をこなしている癖に、何時まで経っても穢れる事のない人。


「んー…ちょっと待ってて」


 そう言って、書斎へ向かった快斗を見送る。

 リビングのソファーに腰掛けて、部屋の中を見詰めて。
 綺麗に掃除されたその部屋に何故か居心地悪さを覚える。


 彼らは私を大切に扱ってくれる。
 それは彼らの周りの人達も同じ。
 でも私にはそれを受ける資格なんて本当はないというのに。


「あーいちゃん♪いいの見つけたよ♪」


 ぼおっとそんな事を考えていれば、何時もの様に足音も立てず気配もさせず自分の前に快斗が立っていて。
 それに気付かなかった事に心の中だけで唇を噛んだ。
 当初ならそんな事されても気付いた筈なのに。
 段々身体が、心が、平和ボケをしていく気がする。

 本当はそんなことではいけないと思うのに。


「白雪姫…?」


 差し出されたのはご大層な装丁の、けれどそんなに分厚くはない本。
 『Schneewittchen』と書かれたその表紙が少しだけ小学生に渡す本ではない気がした。


「そ。これだったら小学校の読書感想文にはいいかなぁ、と」


 女の子だしね♪と言って快斗はにこやかにその本を哀へと渡す。


「それにこれならお話しは知ってるから書き易いでしょ?」
「………」
「哀ちゃん?」


 言葉が紡げなかった。
 本当は…読んだ事がないだなんて言えない。

 知識としてなら知っていた。
 流れというか、触りぐらいなら。

 ある所に白雪姫というお姫様が居て。
 その美しさ故に継母に命を狙われて。
 けれど最後には王子様がお姫様を助けてくれて、めでたしめでたし、という御伽噺らしい御伽噺だ。

 知ってはいるけれど読んだ事はない。
 幼い頃から組織に居た自分にはそんな物読む暇なんてなかった。


「これ、借りてくわ」


 そう。これは唯の気紛れ。
 寂しいだなんて思った訳じゃない。
 悲しいだなんて思った訳じゃない。

 唯の気紛れ。


 それだけ言って哀は踵を返すとリビングから玄関へと続く廊下へと歩いていった。
 だから知らない。
 その後ろで快斗が少しだけ寂しそうな笑みを浮かべていた事を。















 快斗から借りた本を手に持って、もう片方の手にはコーヒーが入ったマグカップを持って、地下室へと降りた。


「白雪姫ね…」


 御伽噺などに興味はないけれど、本自体は嫌いではない。
 ぱらぱらと捲っていって、一つの単語に目がいった。


「poisonous apple…」


 女王に白雪姫を殺せと命じられた猟師。
 でも、その猟師は白雪姫を可愛そうに思い殺す事が出来なかった。
 そして逃げ延びた白雪姫は森で7人の小人達と出会い、平和な日々を送る。

 けれどそれを知った女王は毒林檎を作って白雪姫を殺そうとする。


「本当は知っていたんじゃないかしら…」


 その場面を読んで、ふとそんな事を思った。

 何も知らない振りをして、誰だか解らない振りをして。
 本当は全て解った上で白雪姫はあの林檎を食べたんじゃないかしら。

 毎日毎日継母に命を狙われて。
 それまで大切に大切に育てられてきたお姫様は何を思ったのだろう。

 記述に殆ど出てこない王様はきっと女王様の言いなり。
 それを見て一人ぼっちのお姫様は何を思ったのだろう。


「全てから逃げたかったのかしら…」


 救いのない世の中に絶望して。
 温室育ちのお姫様はきっと一番楽な方法を思いついたのだ。


 ―――この世から消えてしまうという選択肢を。


 きっと同じだったのだ。
 あの薬を飲んだ時の自分と。


「王子様…ね」


 其処で一つクスッと小さく笑った。
 出会ったのは白馬に乗った王子様と、願いを叶えてくれる魔法使い。

 ああ、まるで自分も御伽噺の中に居るようだと。


 何時までこの幸せが続くのかなんてきっと未知数で。
 何時までこの温かい光の中に居られるのかなんて分からなくて。

 けれど、毒林檎を毒林檎だと分かっていて食べたにしてはいい出来だと思うから。


「私も…貴方みたいになれるのかしら」


 最後はめでたしめでたしの御伽噺の主人公に――。






 ――きっとそれはそう遠くない未来のお話。










END.

やってしまいました…。まったくもって快新に絡みの無いブツを…ι
好きなんです。一人暗く考える哀ちゃんが…。←歪んだ愛情(苦笑)


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