後ろめたいと思う
どうして自分はこうなのだろうと
大切にしたいモノがある
護りたいモノがある
必要としているモノも
譲れないモノも
何であるか分かっていたつもりだったのに
迷いを断ち切れない自分を憎いと思った
過去と現実と未来
「俺はお前のことが好きだけど、蘭のことも好きなんだと思う…」
俺が放った言葉をただ静かに聴いて、そして彼は笑った。
「知ってるよ。そんなの知ってる」
予想済みだったのかと、少しだけ苦い気持ちになって顔が歪んだ。
それでも、彼は笑う。
「それに、俺は蘭ちゃんを忘れろなんて一言も頼んだつもりはないけど?」
言われれば確かにそうだ。
『好きだ』とは言われたけれど、『蘭の事を忘れてくれ』とは一言も言われていない。
けれど、それは唯の事実に過ぎない。
敢えて言わなかっただけ。
「それは勿論そうだけど、お前はそれでいいのかよ」
「何が?」
「俺が他の誰かを好きだと想う気持ちを持っていて、それでもお前の腕に抱かれる事が、だよ」
彼への好きと同列だとは言わない。
それでも、彼女が『好き』な事に変わりはない。
唯、彼への『好き』の割合が、彼女に勝っているだけかもしれない。今は。
「別にいいよ。俺だって新一と大して代わらない」
「代わらないのか?」
「ああ。俺だって、今まで他の人間を愛した事が無い訳じゃない」
事も無げに言われた言葉に、勝手な事だとは思うけれどチクリと胸が痛む。
どんな風に誰を想って。
どんな風に誰に口付けて。
どんな風に誰を抱いたのだろう。
考えると、見た事もないその相手に対するどす黒い感情が溢れてくる。
ほら、普通はこうだ。
なのに何故彼は事も無げにさっきの様な言葉を放てるのだろう。
「今は俺の事が好きなんだろ?」
言葉を選べずにいた新一に投げかけられた、その自信たっぷりな声に新一は一瞬躊躇って、それでも頷く。
分かっているのは彼が一番好きな事。そして、二番目に好きなのはきっと彼女だという事。
「だったらそれでいいじゃないか」
「でも…」
「誰か一人しか愛しちゃいけないなんて俺は言うつもりはないさ。
天秤にかけて、比べればいい。
俺の方が重いうちは俺の傍に居ればいいだけ。もしも、彼女の方が重くなればそっちに行けばいいだけ。違うか?」
確かに彼の言う通りだ。
比べれば今は彼の事が好き。それは事実。
でも…それでも…。
「でも…俺はそんな自分が許せないんだ」
ただ一人だけを愛したいと思う。
それが夢物語だという事は当の昔に知っている。
サンタクロースが居ないと知ったのと同じ様に。
それでも、そんな夢物語を信じたくて、叶えたくて、それに縋り付いている自分が居る。
「俺一人のことだけを想えない自分を許せないって?」
「…ああ」
「それはつまり、俺のさっきの発言も許せないって事かな?」
クスッと彼が笑う。何処か冷めた印象さえ残す様な笑い方で。
「かもな…」
「難しい注文をするんだな。それはつまり新一以外見るなって事だろ?」
言われて、恥ずかしさでかあっと頭に血が上る。
他の誰かを見てしまう自分を許せないという事は、それを相手にも許したくないという事で。
心の何処かでそれを期待し、それを望んでいるという事で。
何処までも、愛されている事に驕り高ぶっている自分に嫌気が差した。
「随分自分自身に自信があるんだな」
「別に自信がある訳じゃ…」
「俺にはこう聞こえるよ。『お前は俺のこと以外好きな筈ないだろ』って」
「違っ…!」
違う、と言葉は叫んでいた。
でも、心はソレを認めていた。
彼は自分を『好き』だと言ってくれた。
彼は自分を『愛している』と言ってくれた。
優しく髪を撫で、優しく俺を包み込んでくれた。
だから忘れていた。
完全に信用しきっていた。
愛されている事に完全に浸りきっていた。
だからこそ、さっき言われた言葉は冷や水となって、沸騰してしまっていた頭を冷やして冷静にしてくれた。
彼が他の誰かを好きになる可能性は十二分にある。
彼が自分と同じ様に、誰かと自分を天秤にかけている可能性は幾らだってある。
自分だけ特別だとでも思っていたのかと、吐き気がした。
「違わない。それはお前が一番良く分かってるだろ?」
「………」
「そんな所も好きだけどね。恋愛に傲慢で愚鈍な新一も悪くない」
「っ…」
言われた言葉に唇を噛み締めても、それが事実だから否定は出来ない。
他の事に対して同じ様な事を言われたら、きっと怒りが溢れてくるだろう。
けれど、こと恋愛に関しては彼の言う通り、自分は愚鈍な癖に傲慢なのだろう。
「安心しなよ。今は新一と誰かを比べてるなんて事はないからさ」
言われた言葉に安堵よりも、絶望が深くなる。
『今は』
それが酷く重く感じる。
「まあ、今と言わず…俺は将来までずっとずっと新一のこと好きでいる自信があるけどね」
付け足す様に言われた言葉は何のフォローにもなっていないと思った。
寧ろ、自分の心の上を上滑りしていく様だった。
先の事なんて何も分からない。
今『好き』だと言ってくれていても、明日には『嫌い』になっているかもしれない。
忘れていた。
彼と付き合って、甘やかされて、すっかり危機感を持つ事を忘れてしまっていた。
そんな自分を思いっきり叩きのめしてやりたい気分だ。
「今は、だろ?」
「そういう細かい所ばっかり気にするんだから」
クスッと笑った快斗に、新一は少しだけ笑う。
「でも、それでいいのかもな」
「俺との将来は考えられないって?」
「別にそういう訳じゃねえよ」
「じゃあ、どういう訳?」
少しだけ、拗ねた様に響いたその声に、新一は少しだけ真面目な顔になった。
「将来なんて考えてもしょうがねえだろ」
「やっぱり、俺との将来は考えられないって言われてる様に聞こえるけど?」
「ちげーよ。ただ…」
「ただ?」
「……明日はどうなるか『お互いに』分からないって事だろ?」
自分だけ、明日はどうなるか分からないと思っていた。
でも、彼だって同じだと今漸く気付いた。
明日彼に好きな人が出来て振られるかもしれない。
明日彼に好きな人が出来ても、天秤にかけてみたら自分の方が少しだけ重くて、彼は自分の傍に居てくれるかもしれない。
自分だけじゃない。
彼だって同じだ。
そう思ったら、少しだけ楽になって、そして切なくなった。
そんな切なさで彼を責める程、もう子供ではないから、少しだけ楽になったその部分だけを掬い上げる事にした。
そうすれば、自分の気も少しは晴れる。
「随分な言い分だね。俺は『変わらない』って誓えるけど?」
「今は、な」
「…ったく、余計な事言うんじゃなかったかな」
それでも言葉とは裏腹に笑った快斗に、新一も漸く普通に笑い返せる。
「ホント、余計な事言ってくれたお陰で助かったよ」
「助かった? 一体何が?」
「お前のこと、信じ過ぎてた事に気付いた」
「…じゃあ今は信じてないって事なのかな?」
ジッと見詰める濃藍の瞳を見詰め返して、新一笑う。一際嬉しそうに。
「ああ。勿論だろ?」
「……だと思ってました」
降参だとばかりに両手を上げた快斗に満足して、新一は呟いた。
「それでも、俺はお前の傍に居るよ。今は、な」
end.