信じない
信じたくない
こんなのはナシだ
どうしようもなく動揺して
気付けば隣家に駆け込んでいた
現実は小説よりも奇なり【後編】
「灰原!!」
「……何よ。煩いわね」
バタバタと地下室へと続く階段を降りながら新一は目当ての人物の名を叫んでいた。
その元気そうな様子に、哀は面倒そうに読んでいた本から顔を上げた。
「一体何の用なの?」
「お前、魔女って信じるか!?」
「……貴方、よっぽど黒羽君の事がショックだったのね………」
はあっと溜息を吐いて。
何だかよく分からないけれど、元気そうだからいいかと哀は視線を本に戻した。
あの後の彼等の事は良く分からないけれど、新一の元気な様子からするともしかしたら元にでも戻ったのかもしれない。
それなら別に態々バカップルに自らあてられにいく必要もない。
「ちょっ…違う! 快斗はどうでもいいんだ!!」
けれど、新一が次の瞬間に発した言葉は何処か悲しそうな音を含んでいて。
哀は仕方なく本を置くと、漸くきちんと新一と視線を合わせた。
「一体どうしたの? 少しは落ち着いて…」
「飛んだんだ!」
「…飛んだ?」
「そう、飛んだんだよ!」
「……あの白い怪盗さんならいつも飛んで…」
「違うんだ! キッドじゃない。魔女なんだ!!」
「………工藤君、貴方本当に大丈夫?」
酷く興奮気味に。
まるでタネの分からないマジックを見た後の子供の様に喋る新一に、哀は溜息を吐きながら小さなその手を新一の額へと当てた。
「熱は無いみたいね」
「灰原!」
「やっぱり精神的なショックかしら…」
「お前、ちゃんと人の話聞けよ!!」
はしっと両手を掴まれて、流石の哀も眼を丸くして新一を見詰める。
「一体どうしたの…?」
「箒に乗って、一人の人間がうちのベランダから街上空を飛び去って行ったんだ」
「貴方…夢でも見て…」
「違う。アレは現実だ。俺は今、さっきソレを見てここに慌てて来たんだよ!」
真っ直ぐにじっと哀を見詰め、真面目な顔でそう告げる新一。
それに哀はどう返事をしていいものか考えてしまう。
自分は魔女とかそういう物は基本的に信じない類いの人間で。
目の前の彼もそうだと思っていた。
けれど、その彼が「魔女を見た」のだと言う。
一体どうしたものだろうか…。
「ソレ、黒羽君の知り合いじゃないの?」
「そうなんだよ!」
「だったら彼が…」
「俺もそう思った。最初に部屋の中を箒で飛んでもらった時はそう思ったんだ。快斗が仕組んだんだろうって。
だけど…違う。彼女はベランダから飛び去って行ったんだよ! 何もない所を、だ。
快斗が昔空中を歩いて見せたのとは違う。今は昼間だ。何かを隠す様な場所も、何かに吊るされる事も出来ない…」
徐々に、新一の目が興奮からより真剣な物になっていく。
そこまで言われれば哀としては、反論する事も出来なければ、反論する気もなくなってしまう。
「それなら、黒羽君に直接聞いてみたらいいじゃない」
快斗の知り合いならきっと快斗が完結に説明してくれるだろう。
それで良いのではないかと哀がそう言えば、途端に新一は泣きそうな顔をして俯いてしまった。
「聞けないんだ…」
「どうして?」
「快斗に……嘘を吐くなって…俺を馬鹿にするなって……俺、言ったんだ…」
「工藤君…」
内容から察するに、快斗から彼女――多分魔女と言うぐらいだから女性だと思うのだけれど―――の事を先に聞かされたのだろう。
魔女なんて物をこの彼がいきなり信じる事が出来る筈もなく、新一は嘘を吐くなと、馬鹿にするなと快斗に言ってしまったらしい。
どこをどうしたのか分からないけれど、その後で魔女に会って、その存在を信じるに値する証拠を目の当たりにして。
それで沈んでいる、というところなのだろうか…。
「俺…快斗に酷い事言って……アイツ俺の事心配して来てくれたのに……俺は……」
俯いたままぽろぽろと涙を流す新一を見ていられなくて。
哀は新一に一度手を外させると、ポケットからすっとハンカチを出して新一に差し出した。
「顔拭きなさい」
「灰、原……」
「黒羽君、貴方の事心配して来てくれたのね?」
「んっ…」
「それを、貴方は嘘を吐いてると、からかいに来たと思って追い返してしまったのね?」
「……ん……」
「……それなら、謝りに行きなさい」
哀の質問に二度こくっと小さく頷いた新一に、哀ははっきりとした口調でそう言ってやる。
「悪いと思ってるから今貴方は泣いてるんでしょ?」
「……んっ……」
「それなら、ちゃんと黒羽君に会って、『ごめんなさい』って謝ってらっしゃい」
全く、自分は彼の母親かと。
言いながら苦笑してしまう。
いつだってしっかりとしていて。
いつだって現実を真っ直ぐに直視して。
誰にも頼らず。
周りの人間を守ろうと。
戦い続けていた小さな彼が浮かんだ。
その彼がこんなに子供の様に泣くなんて。
大きくなったのに、子供に逆戻りしてしまった様だと。
「ほら、早く行かないとその魔女さんに黒羽君を取られてしまうかもしれないわよ?」
「!?」
「だって…魔女っていうぐらいだから……結構な美人だったんじゃないの?」
見る見るうちに青くなっていく新一の顔色に哀は自分の言った事があながちハズレではなかった事を悟る。
そして、立ち上がって何も言わずに慌てて飛び出して行った新一を見送ってクスクスと笑ってしまう。
「全く…世話の焼ける人達ね…」
『そうね。本当だわ…』
「!?」
と、突然頭の中に響いた声に哀は驚愕し周りを見渡した。
当然の事ながら、周りには誰も居ない。
それを確認しても、何度も何度も確める様に部屋中を見渡す。
『ごめんなさいね。驚かせて』
クスッと笑みを含んだ音をさせながらまた声が頭に響く。
耳ではなく、自分の頭に、脳に、直接語りかけられる感覚。
それにゾクッと嫌な気もしたが、哀は異常な程に冷静だった。
「貴方が工藤君の言っていた魔女なのかしら?」
『ええ。そうよ』
「…黒羽君の知り合いなのよね?」
『ええ』
「それなら…貴方は私と同じ様な立場、という事かしら?」
苦笑を浮かべながら哀は姿無き声に尋ねる。
黒羽君と知り合いなのだという新一曰く、魔女。
その彼女が態々新一の前に、意図的に姿を現す理由なんてたかが知れている。
しかも、この時期に。
そしてその予想が外れていないだろう事も哀には分かっていた。
『流石ね。その冷静さは尊敬に値するわ』
「ありがとう。でも、姿が見えない人相手に会話をするのは少し嫌なのだけれど?
このままじゃ彼らの話をお茶請けに、一緒にティータイムを楽しむ事も出来ないわ」
クスッと笑って哀がそう言うと、同じ笑みを浮かべた女性が一人哀の目の前に姿を現した。
「驚かないのね」
「ええ。私は其処まで傲慢じゃないわ」
「傲慢…?」
「無知の知よ。私は全ての現象を今の科学で説明出来ると思って驕っていられる程傲慢ではないもの」
楽しげにそう言った哀に魔女は満足そうな笑みを浮かべた。
「くそっ…」
女性二人が楽しげにお茶の準備をしているなんて微塵も考えていない新一は、繋がらない携帯に焦りを覚えていた。
哀の所を出て、その足で快斗の実家へと向かった。
けれど、其処にもう快斗は居なかった。
快斗の母親に聞いても引越し先は分からなかった。
仕方が無いので携帯に電話をしてみれば、
『お客様がお掛けになった番号は現在使われておりません…』
と、無機質な声が流れるばかり。
勿論メールをしてもエラーで返ってくるだけ。
それにどうしようもない苛立ちと、そして自分の浅はかさを思い知る。
彼は今朝心配して自分の家まで来てくれた。
昨日あんな事を言った後だ。
彼だって来辛かったに、会い辛かったに決まっているのに。
それでも彼は心配して自分の家まで来てくれた。
それをちゃんと話も聞かずに酷い事を言って追い出したのは自分だ。
そして―――もう二度と顔を見たくない、そう言ったのも自分だ。
だからきっと彼はもう二度と会わない様にしたのだろう。
電話も。
メールも。
住んでいる場所も。
新一には何も伝えず、消えてしまったのだ。
そう、正に新一が言った通り―――もう二度と顔を合わせなくて済む様に。
「快、斗……」
苦しげに呼ばれた名前に応えてくれる彼は今ここにはもう存在していなかった…。