ああ、彼は

 自分とは一緒に居たくないのだと思った












携帯とメールと電話の絶妙な関係













 昨今の科学技術の進歩は目を見張るものがある。
 その中でも若者が一番恩恵を受けているのはきっと携帯電話だろう。

 けれど、便利な筈のその機械すら時として疎ましくなる。








『新一今日忙しい?』


 何時もの様にメールを打つ。
 放課後を待たずして、日々繰り返される行動。

 けれどこのメールに返事が来た事はない。


「はぁ…」


 こなしたくも無い授業をこなし、話したくも無いクラスメイトと表面上だけの会話をして。
 何度も、何度も携帯を開き確認する。


『黒羽君明日忙しい? もし暇だったら…』


 届いていたのは一通のメール。
 差出人は特に仲の良い訳でもないクラスの女子。
 最後まで読むことすらせず携帯を閉じズボンのポケットへ仕舞う。

 欲しいのはこんなものじゃない。
 本当に欲しいものだけが足りない。


 何時もメールを送るのは自分から。


 携帯電話が普及しまくっている昨今。
 もちろんかの有名な名探偵も携帯を持っている。

 アドレスも交換した。
 電話番号も互いに登録済み。

 けれどそれを彼が使う事は無い。


「俺に連絡すらしたくないのかなぁ…」


 そんなものに愛情など試されたくないのに。
 唯の電子機器なのに。

 それでも、常にその唯の電子機器に精神をかき乱される。


「いっその事…」


 解約してしまおうかとか。
 家に放置してきてしまおうかとか。

 色々考えるけれど、それは出来ない事。

 普通の高校生を演じる上で、そんな不自然な事は出来ない。
 明るくて、人付き合いが良くて、ノリが良いのが『黒羽快斗』。
 携帯はそれには欠かせない道具ツール


「はぁ……」


 もう一度長い溜息を吐いて、携帯を取り出した。
 メモリーから『工藤新一』を検索して、通話ボタンを押す。
 が、コール音すらせずに何の抑揚も無い音声に切り替わる。


『お客様がおかけになった電話は電波の届かない場所にあるか……』


 その声に深く深く溜息を吐いて、電話を切る。
 何時もそうだ。
 彼に電話が通じた事など一度も無い。

 メールも。
 電話も。

 避けられているのではないかと思うぐらい繋がらない。
 もしかしたら本当に避けられているのかもしれないと嫌な考えが頭を過ぎる。

 自分は怪盗で。
 彼は探偵で。

 『恋人』なんて甘い関係になったところでその事実は変わる事無く。
 『恋人』なんて世間一般で言われている様な甘い時間さえ殆どなく。

 勿論彼の家に行けば、快く迎えてくれる。
 勿論彼の学校の正門前で待ち伏せていれば照れながらも一緒に帰ってくれる。

 でもそれが何だというのだろう。

 自分ばかりな気がした。
 自分ばかり彼の事を考えている様な気が。

 彼が自分の事を考えてくれる時間は日にどれ位あるのだろう。
 自分は毎日毎日、それこそ朝起きてから夜眠るまで頭の中は彼で一杯だというのに。

 それを考えると理不尽な感情が浮かんでくる。

 どうして彼は連絡をくれないのだろう、とか。
 どうして彼は彼の方から会いたがってくれないのだろう、とか。


 そこまで考えてふと思う。
 もしかしたら―――。










 ―――彼は自分に会いたくないのではないのだろうか。










 考えてみれば簡単な事だった。

 連絡すら付かない。
 その弁解すらない。
 そして…彼からは決して自分に会いたがる事をしない。


「ああ、なんだ……」






 彼は自分に会いたくなかったのか…。






 急速に心が冷えていくのを感じた。




















「ん?」


 冷静になって早いものでもう1週間。
 下校しようと昇降口を潜ったところで、裏門前に人だかりが出来ているのに気付く。


「何かあったのか?」


 流石に気にならない筈もなく、どうせ通り道だからとそちらに向かって数歩歩いた所でその姿を確認して。
 気付いた時には物凄いスピードでその姿に向かって走っていた。


「新一!」
「快斗…」


 人を押しのける様にして、見付けたのは彼。
 どうしてこんな所に居るのかは予想がついたけれど、それが自惚れでないと言い切れる自信はなかった。


「何でこんな所に?」
「………」
「もしかして…俺の事待っててくれたの?」
「………」


 無言で小さく俯いた彼。
 その様子を周りの人間が興味深そうに傍観している。

 これだから他人は嫌いだと思う。
 放って置いて欲しい事もあるというのに、余計な首を突っ込んでくる。
 野次馬根性丸出しなのが恥ずかしいとは思わないのか。


「ここじゃ何だからもし良かったら家来る?」
「………」


 そんな周りの視線から彼を遠ざけたくて言った言葉に、彼は無言で、けれどもう一度小さく頷いた。


「じゃ、行こうか」


 周りの視線から彼を隠す様に、庇う様に彼の腕を取り横を歩く。
 少し歩調が早くなったのも彼の為だ。


 5分程度歩いた所で漸く野次馬連中から彼を引き離す事が出来た。
 けれど、そこで気付くのは余りに重い沈黙。


 この1週間会いに行く事はおろか、連絡すらしなかった。
 この1週間本当に一秒も顔を会わせる事がなかった。

 こんな事は初めて。


 互いに口を開く事無く、黒羽邸までの道のりを歩く。
 唯一の救いは、新一を庇う為に快斗が取った新一の手だった。

 何も言えずとも温もりだけがその沈黙を救っていた。















「どうぞ」
「お邪魔します」


 育ちの良さがそんな所にも出るのか、さっきまで一言も喋らなかったのにそう言って靴を揃え家に上がる新一に少しだけ笑みを漏らす。
 リビングへ彼を招き入れ、ソファーを勧める。


「コーヒーでいい?」
「………」


 またも無言で頷いた彼に笑顔を返して。
 そのままキッチンへと引っ込んだ。

 冷静な振りをした。
 けれど心臓はさっきから煩いぐらいに脈を刻んでいた。


 彼は自分に会いたくないと思っていた。
 だから連絡しなかった。

 彼は自分に会いたくないと思っていた。
 だから会いに行く事をやめた。


 そうすればきっと…自分達の関係は自然消滅という形で終わるのだろうと思っていたから。


 けれど彼は今此処に居て。
 極力目立つ事を避ける彼が、態々あんな目立つ場所で自分を待っていてくれた。
 自惚れでなければ、彼は自分に会いに来てくれたのだ。

 それが嬉しいと言ったら罪だろうか。
 それが幸せだと言ったら慈悲深い神にすら見放されるだろうか。


 それでも…コーヒーの湯気を見詰めながら快斗は幸せを噛み締めていた。















「はい」
「さんきゅ…」


 差し出されたコーヒーを両手で受取った新一の横に快斗も腰掛ける。


「………」
「………」


 重い重い沈黙が空間を支配する中、先に口を開いたのは意外にも新一の方だった。


「迷惑…だったか?」
「え…?」


 俯き加減で、カップの中の真っ黒い液体を見詰めたまま呟かれた意外な言葉に快斗は間の抜けた返事しか返す事が出来なかった。


「俺が会いに来たの迷惑だったかと思って…」


 小さく小さく呟かれた言葉。
 俯いたままの新一の目元が少しだけ潤んでいて。

 気付けば、彼の手からコーヒーの入った邪魔なカップを奪い取ってテーブルに置き捨てて。
 彼をぎゅっと抱き締めていた。


「か…いと…?」


 訳が解らないと言った様子で自分の名を呼ぶ彼を強く強く抱き締めて。


「ごめん…」


 唯一言だけそう告げる。


 そんな風に彼に思わせてしまっていたなんて。
 そんな風に彼を悲しませてしまっていたなんて。

 自分は何て大馬鹿者なのだろう。


「かい…」
「ほんと…ごめん」


 それだけ言うのが精一杯で。
 想いを籠められるのは彼を抱き締めた腕にだけで。

 伝わらない想いがもどかしくて。
 伝えられない想いがもどかしくて。


「ごめんね…新一…」


 気付けば腕の中の彼と一緒に泣いてしまっていた。















「でも、どうして迷惑だ何て思ったの?」


 ひとしきり泣いて。
 お互いに落ち着いて。
 互いから身体を離して。
 互いに滅多に見せない泣き顔を見られた恥ずかしさを打ち消す為に口を開いたのは快斗の方。


「だって…電話しても繋がらなかったし…」
「ちょ、ちょっと待った!」


 また俯き加減になって呟いた新一の言葉に、快斗はビックリして静止を掛けた。


「俺電話なんて貰ってないよ?」


 あの日、新一への自分の行動がきっと迷惑なのだと思った日から快斗は新一への連絡を止めた。
 新一に会いに行く事も、学校前で待ち伏せする事も止めた。

 けれど、もしかしたら新一の方から会いたがってくれるかもしれないという淡い期待を胸に、携帯の電源は24時間――それこそKIDをしている間すら――入れてあった。

 だから新一からの連絡に快斗が気付かない筈が無い。

けれど、万が一を考えてポケットから携帯を取り出し確認してみるが、やっぱり結果は同じ。


「やっぱり着歴ないんだけど…」
「でも俺は掛けた!」
「………」


 顔を上げ、じっと瞳を見詰められて。
 彼が嘘を吐いている訳ではない事が解る。

 けれど、自分も嘘を吐いている訳ではなくて――。



「あっ…もしかして…」



 ――それ以外の可能性を考えるなら…。



「ねえ、新一。悪いんだけど、携帯のメモリー見せてくれない?」
「え?」


 もしかするともしかするのかもしれない。
 だから、その可能性を確認する為にその台詞を言ったのに、


「俺今携帯持ってないんだけど?」


 返って来たのはそんな台詞。


「え?」
「言ってなかったか? 俺大分前に携帯水没させたって…」
「!?」


 まったくもって聞いていない。
 しかも大分前って…。


「新一! それって一体何時の話し?!」
「んー…2ヶ月ぐらい前か?」
「2ヶ月……」


 アドレスと電話番号を交換したのが確か約2ヶ月半ぐらい前で。
 最初の2、3週間は、『俺なんかが彼の傍に居ていいのか』なんてうだうだ考えていて、メールや電話なんかとてもじゃないけど出来なくて。
 最初にメールをしたのは…確か交換してから1ヶ月を過ぎた頃。


「どうりで返事こないわけだよ…;」
「?」


 詰まる所この目の前の名探偵はアドレスと電話番号を交換した直後に携帯を水没させていて。
 それを知らない俺は、その間繋がる筈の無い電話に振り回されていたと言う事か。

 漸く原因が解って、何だか泣きたい様な笑いたい様な衝動に襲われた。


「しんいちぃ…どうしてそういう事もっと早く言わないの?」
「いや、てっきり言ったつもりだったんだけど…」
「………はぁ………」


 溜息一つじゃ足りないと思う。
 まったく、何時だってマイペース過ぎるのだ。この目の前の恋人は。


「そんなに思いっきり溜息吐く事ないだろ!」
「そりゃ吐きたくもなるって…」


 この1ヶ月間は何だったのだと、しかも何にこの感情をぶつければいいのか解らなくて、もう一度大きく溜息を吐いた。
 けれど、此処にきて一つの疑問が浮かぶ。


「でも、それならどうやって俺に電話かけたの?」
「ああ。手帳に番号は控えてあったから」
「………」


 何だかとっても嫌な予感がする。


「新一。悪いんだけど、それ見せてくれない?」
「いいけど…」


 鞄から取り出された手帳を受取って、アドレス帳部分の一番上に記された『黒羽快斗』の欄を見る。



 ……………………………………………。



「やっぱり…;」


 電話番号を確認して、快斗はがっくりと肩を落とした。
 その様子に新一は首を傾げる。


「どうかしたのか?」
「新一…これ、電話番号間違ってる…」
「え!?」


 新一の手帳に記されていた番号は『XXX-XXXX-0043』。
 快斗の携帯の本当の番号は『XXX-XXXX-0034』。


「………」
「………」


 それを確認して、二人の間に暫しの沈黙が落ちる。


「ぷ……あははははは!!!」


 余りに古典的な間違いに笑いが込み上げてきた。


「もう…何で最後だけ間違えるかなぁ」
「しょうがねえだろ。ややこしいんだよ」


 笑いを含んだままそう言えば、間違えた本人は余りに恥ずかしかったのか頬をほんのりピンク色に染めていた。


「どーりで掛からない筈だよ」
「わるかったな…」


 ぷいっと視線を逸らす彼が可愛くて、ぎゅーっと抱き締める。
 久し振りに味わう彼の体温が心地良い。


「ううん。俺こそ悪かったよ」
「えっ…?」
「不安にさせた」


 自分で勝手に空回って。
 今まであれだけべたべたしていた自分が、いきなり居なくなったのだ。

 それで彼が不安にならない筈が無い。

 彼が素直じゃないのも。
 彼のプライドが高いのも。
 自分が一番知っていた筈なのに。

 詰まらないモノに振り回されて全て忘れてしまっていた。
 彼が――。





 ―――望んで自分の手を取ってくれたという一番大切な事を。





「ごめんね」


 伝わってくる温もりを目を閉じて、確かめる様に感じる。


「お前が謝る必要ない」
「うん。でもごめん」
「………もう謝るなよ」
「うん」


 おずおずと背中に回された手の温かさ。


「愛してるよ。新一」


 大切なモノは此処にある。
 それだけが全て。

 どんなに文明機器が発達しても。
 それによってどんなに距離を埋められても。

 きっとこの温もりには敵わないから。


「俺も…愛してる」


 呟かれた言葉を放置されたままの携帯電話だけが聞いていた。










END.

水没した云々は………実は実体験です;
まあ、此処まで酷くなかったですが…(苦笑)
宜しければ下の『その後』もお楽しみ下さいv



その後の座談会v



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