「私はもう貴方に興味等ありませんよ」
「っ…!」

 それだけ言って踵を返し空へと飛び立ったKIDの表情を見ていたのは静かに闇夜を照らしていた月のみ。
 その表情は、微かにではあったが確かに―――――笑っていた。












――嘘×嘘――













「……んな事言われなくたって解ってるよ…」

 一人取り残された屋上で新一はぼそっと呟く。
 その表情は苦渋に満ちた物。

「解ってんだよ…」

 何時だってそうだった。
 何時だってあの不敵な笑みを浮かべたまま、対峙して来た彼が見ていたのは『名探偵』の自分。
 だからこそ解る。
 アイツが興味があるのは俺ではなくあくまで『名探偵』の『工藤新一』。
 だから……今の俺はアイツの興味の対象ではない。

 それが辛いのか悲しいのかなんて解らなかった。
 ただ解ったのは――――ほんの少しの寂しさだけ。















「工藤」
「何だよ」

 ここ数日間毎日毎日繰り返されている会話を今日もまた始めるのかと新一は内心で溜息を吐いた。
 けれどそれに付き合う辺り、自分自身も負い目を感じているのかもしれない。

「ほんまにそれでええんか?」
「いいって言ってんだろ。何回同じ事言わせる気だよ」

 やはり繰り返されるのは同じ内容、同じ会話、同じ言葉。
 これ以外の結論はありえないと自分の中ではもうとっくの昔に決まっていて。
 けれど周りを納得させるのはもしかしたら自分の心を、感情を納得させる事よりも難しいのかもしれない。

「俺はもう『探偵』には戻れない。それは何があっても誰に何を言われても変わらない」

 そう、結論はもう覆る事は無い。
 だって俺にはもう『探偵』を名乗る資格なんかありはしないから。

「せやけど…」
「何だよ」
「工藤が探偵やのうなったら困る人間が沢山いるやろ?」

 未解決の事件が、それに苦しむ被害者が沢山出るのだとそう告げる服部に新一は一つの溜息を吐き出す。

「俺はもう『探偵』じゃない」

 誰が苦しもうと、未解決の事件が増えようと、俺はもう探偵にはなれない。
 それだけは明らかな事実。

「工藤…お前はほんとにそれでええんか?」

 見詰められた瞳の中の問いかけは明らかに被害者の痛みだとか、苦しみだとか、ましてや未解決の事件が増える事を聞いているのではなく。
 『探偵』としての己と、自分の中にあった筈の『真実』を見詰める瞳に対する問いかけ。

「良いんだよ。それで」

 だからこそこう返せる。
 もう俺は『真実』を見詰め続ける資格も、ましてや『探偵』と名乗る資格もないから。

「そうか…」

 最後に返された言葉は諦めや落胆にも似た納得。
 それは同時に『探偵』である彼が俺を『探偵』ではないと認めた瞬間。


 そしてそれは『名探偵』としての『工藤新一』が居なくなった瞬間。


「工藤がそこまで言うんやったら、俺はもう何も言う事はないわ」
「………」

 それ以上何も言う事無くただ静かに部屋を出て行った服部を新一はただ黙って見送った。
 いや、何も言わなかったのではなく、何も言えなかったのだ。
 未だ『探偵』である彼は『探偵』でなくなった自分には眩し過ぎて…。

「………俺はもう…『探偵』には戻れねえんだよ……」

 新一の悲痛な声を聞いたものは誰一人としていなかった。




















 『探偵』でなくなったのは至って単純な理由。
 『探偵』であった筈の俺が、『探偵』としてしてはならない事をしてしまったから。

 それは………『真実』の隠蔽。

 屈託のない笑顔を持っていた筈の幼馴染を歪めたのは自分だから。
 歪んでしまった彼女を、それでも守りたかったから。
 だから彼女が彼を手にかけた時、それを解っていたにも関わらず真実を捻じ曲げ、そして――。


 ―――無実の人間を冷たい監獄の中へと送り込んだ。


 それは余りにも簡単な事だった。
 何時もの様に推理を披露すれば、警察の面々はおろか、世間さえそれを信用した。
 余りにも簡単過ぎて逆に気が抜けた。
 世の中はこんなものなのかと落胆さえした。

 けれど、その事実に気付いた者が3人居た。
 一人は自分を知り過ぎる程知っているお隣の科学者。
 一人は自分と同じ『探偵』の服部。
 そしてもう一人は――。


 ―――己を己よりも良く知っていたあの白い魔術師。




















 誰も居なくなった部屋でどれぐらいの時が過ぎたのか。
 気付けば陽は落ち、部屋は闇で満ちていた。
 けれど新一は明かりをつける気にすらなれず、その闇の中ソファーに凭れ掛かったままただその真っ暗な闇を見詰めていた。


   この暗い闇はまるで自分の心の様。

   この暗い黒はまるで自分の罪の色の様。


 心に染みて来る様なその闇の暗さに、たった一筋、差し込んでいる光。
 それは微かな月明かり。
 けれど余りにも暗すぎる闇には、真っ暗な心にはその微かな光さえ眩しい。

 それ以上その僅かでも輝く光に耐え切れず、新一は席を立った。
 そして窓辺へと行き着くと、その光を遮る為カーテンへと手を伸ばしたその時…。



「月明かりさえ今の貴方には眩し過ぎますか?」

「!?」



 背後からかけられた声に後ろを振り返る事すら出来ずに新一は固まった。
 そんな新一を嘲笑うかの様に、その相手は一歩一歩新一へと近づいてくる。



――コツ。


――コツ。


――コツ。



 一歩、また一歩と相手が進む度に靴がなる。
 それは相手が意図的に鳴らしている音。



――コツ。


――コツ。


――コツ……。





「―――来るな!!」





 その足音に耐え切れず叫んだ新一の声に、相手の足音が止まった。
 次いで聞こえたのはクスッという微かな笑い声。

「私が怖いんですか?『名探偵』?」
「っ……!」

 事実だった。
 今一番新一が恐れ、怖がっているのは、今後ろを振り向けば紛れも無く姿を見つける事の出来る相手。


   青白い月と同じ気配を、光を放つ『月下の魔術師』。


「図星…といった所ですか」

 事実を皮肉を籠めて確認し、魔術師は最後の一歩を詰め、新一をそっと後ろから抱きしめた。

「触るな!」

 魔術師の腕を振り払おうと新一がもがけばもがく程、身体に回された腕の力は強くなる。
 それはまるで蟻地獄に嵌ってしまった蟻の様に、ある種滑稽な印象さえ抱かせるもがき方。

「諦めたら如何ですか?今の貴方の力では私の腕から逃れる事など出来ませんよ?」
「くっ…」

 神経を逆撫でする様な言葉に新一は唇を噛む。
 言われなくてもそんな事は解っていた。
 けれどこのまま大人しく彼の腕の中に居られる筈が無かった。


 モウキズツキタクナイ

 コレイジョウミジメナジブンヲミラレタクナイ


 心の中を占めるそんな感情が、彼を拒絶し、自分の世界から排除する事を求めていた。
 それは本能的な自己防衛。

 けれどそれは今の新一では叶わない事だった。


「ねえ名探偵。どうして私から逃げるのですか?」

 貴方の仕事は私を捕まえる事ではなかったんですか?

「……るさい…!」


 何も聞きたくなかった。
 それ以上言葉を紡がれれば狂ってしまいそうだった。

 一番知られたくない人間に、一番汚い部分を曝け出さなければならないのだから。


「おやおや。名探偵はすっかりご機嫌斜めの様ですね」
「解ってるなら…さっさと帰れ」

 余裕綽々な彼に対し、自分の反応はどうだろう。
 無様なのは解っていた。
 けれどそれだけ言うのが精一杯で、新一は目の前の窓ガラスに映った魔術師を見るのすら嫌う様にぎゅっと目を瞑る。

「名探偵。それは逆効果なだけですよ?」

 クスッと耳元で囁かれた言葉は、新一の頭を心を深く抉っていく。
 確かに彼の言う通り、視覚を閉ざした事は逆効果にしかならなかった。
 視覚を閉ざして彼の姿を僅かでも見えなくした分、何時も以上に聴覚が敏感になってしまったのに気付いた時はもう遅かった。

「ねえ、名探偵。一つお聞きしても宜しいですか?」


 ――無実の人間を監獄に送った気分というのは一体どういう物なんです?


「っ……」

 言葉を頭が理解するよりも、心が先に悲鳴を上げた。
 辛いというよりも、ただ痛くて痛くて…気付けば頬を何かが伝っていた。

 けれどそんな事では彼は自分を許してはくれない。

「貴方が監獄に送った方は、貴方が今流した物をどれだけ流されたんでしょうね」
「………」

 感情等無いかの様に無機質な音で紡がれる言葉。
 それは明らかな軽蔑。

「ねえ、名探偵。答えては頂けませんか?」

 再度尋ねられた問いを紡いだ彼の言葉は微かな笑みで震えていた。
 それは明らかな嘲笑。



「………それを…お前が答えろというのか?」



 嘗ては『怪盗』と『探偵』として対峙した仲。
 お互いを無二のライバルと認めた二人。
 その彼が求めるのは『探偵』であった自分が『探偵』として生きて行けなくなった自分の闇の部分。



「私以外誰が貴方にそれを尋ねられるんです?」



 お隣の科学者は嘗て黒の組織に属し、彼を苦しめた負い目を持つ人間。
 もう一人の『迷探偵』は『名探偵』であった探偵が小さくなった時すらその彼に救いを求めた様な人間。


 どちらも対等に新一と渡り合える人間ではない。


「………」
「私以外いないでしょう?貴方にこうして尋ねられるのは」

 辛過ぎる事実を、新一の罪を真正面から突きつけられるのは同等の力を持つ人間でしかない。
 嘗て『名探偵』と対峙した『怪盗KID』以外に…そんな人間は存在しない。


「………最低だよ」


 それしか言えなかった。
 そんな陳腐な言葉しか出てこなかった。
 自分がしでかした事はそんな言葉で等片付くものではなかったのに。

「でしょうね」

 返って来た言葉は簡潔そのもの。
 けれどその声は―――。



「………KID?」



 ―――先程とは余りにも掛け離れた酷く優しく、労わりを纏ったモノ。
 その変化に戸惑った新一は、目をゆっくりと開き窓に映っているKIDを見詰める。

 そこに映し出されていたのは穏やかな色を称えた『藍』。


「辛かったのでしょう?」


 何時だって常に『探偵』である事を自分に課していた彼。
 それは『江戸川コナン』になった時ですら変わることなく。
 自分と初めて対峙した時すらかれは『探偵』と名乗った。

 その彼が自分自身で『探偵』を、そして常に追い求め続けていた『真実』を捻じ曲げなければならないのはどれだけ辛かっただろう。
 だってそれは今まで築いてきた自分自身を全て否定した様なものなのだから。


「っ―――!」
「辛くて辛くて仕方が無かったのでしょう?」


 誰かに頼る事なんて出来なくて。
 壊れそうになる自分自身を抱えて。
 それでも泣く事すら出来なくて。


 ―――いっそ壊れてしまいたいと望んだのでしょう?


「………」

 返って来たのは無言の肯定。
 新一をそっと抱きしめていたKIDの手が新一の左手へと伸びる。
 手首をそっとなぞれば、引っかかるのは浅い傷跡が瘡蓋へと変化したもの。

「っ…」

 触れられた痛みに新一が顔を顰める。
 それでもKIDがその行為を止める気配はない。

「痛々しいですね」

 傷をなぞる手を止めぬままにKIDはそう呟く。

「そう思うなら離せよ…」

 なぞられる度、チリチリと微かな痛みが新一へと伝わる。
 それはまるで彼が自分を責めているようで、耐え切れず新一は再び目をぎゅっと瞑ってしまう。

「嫌だと言ったらどうするんです」
「………どうも出来ないだろうが」

 彼の腕の中から逃れようとしても逃れられない。
 その腕を振り払おうとしても振り解く事など出来ない。
 だとしたら彼にされるままになるしかない。

 悔しそうに唇を噛んだ新一にKIDは苦笑する。

「まったく、本当に痛々しいですよ貴方は」

 何時だってそう。
 この目の前の彼は何時だって痛々しい。

 それは『江戸川コナン』として過ごしていた時も。
 その後『工藤新一』に戻った後も変わる事はなかった。



 そして…『探偵』から解放された今も…。




「ねえ名探偵。貴方は一体何に縛られているんです?」


 『探偵』に縛られているから痛々しいのかと思った。
 けれどその『探偵』という柵を捨てさせても痛々しい。

   一体彼は何に縛られているのだろう。

「縛られてるってどういう事だよ」

 再び目を開きKIDの言葉の意味が解らないとほんの少し睨み気味に見詰めてきた新一をKIDも見詰め返す。

「まったく…。無自覚は時として罪ですよ…本当に」

 気付いてすらいなかった。この人は。
 自分がどれだけボロボロだったのか。
 自分がそれだけ壊れかけていたのか。

 それは無自覚という名の『罪』。

「………」

 ますます訳が解らない、といった様子で自分を見つめてくる新一にKIDは一つ溜息を吐いて。
 新一の手首から手を離すと両手でぎゅっと再び新一の身体を包み込んだ。



「名探偵」



 そして囁くのは……悪魔の囁き。



「一緒に来ませんか?」



 もう『探偵』には戻れない新一。
 この環境にはいられない『元探偵』。

 だとしたらこの環境を、今持っている全てを捨てて自分と共に。


「お前は俺に興味などない、そうこの間語った筈だが?」
「ええ、仰る通り私は貴方自身に興味などありませんよ。欲しいのは貴方のその頭脳だけです」

 紡ぐ言葉は嘘。
 欲しいのは彼の頭脳じゃない。
 彼自身。

「それは、怪盗の片棒を担げ…という意味か?」
「そう取って下さっても構いませんが?」

 寧ろそう取ってくれた方が好都合。
 そう心の中で怪盗は笑う。

 その方が…彼が此方側に来るのが早まる、と。

「『探偵』である事を放棄しても俺は犯罪に荷担する気はない」
「それは、もう荷担している貴方の台詞とは思えませんね」
「っ…」

 あと一歩。
 そう心の中で思う。

 そして出されるのは最後の切り札。

「まあ尤も、貴方は私に逆らう事など出来ない筈ですが?」
「……どういう意味だ?」
「私は貴方の罪を暴く事も出来るんですよ?」
「!?」

 見開かれる瞳。
 綺麗な綺麗な蒼が曇る。
 それはKIDが一番望んでいた瞬間。

「もしも私が西の迷探偵君にでも変装してあの事件を蒸し返したら…。結果はお解りですよね?」
「キッ…」
「お望みなら他の…そう、白馬探偵や高木刑事でも面白いかもしれませんね」
「……やめろ」
「ああ。毛利探偵という手もありますか」
「やめろって言ってるだろ!!」

 声を荒げた新一にKIDはクスッと意味ありげな笑みを浮かべる。

「そうなれば困るのは誰でしょうね」
「………」

 そんな事言わなくても互いに解っている。

 彼が一番守りたいのは彼女。
 事が露呈すれば一番困るのはその大切な彼女。

 だとすれば、今の新一にそれ以外の選択肢など用意されてはいない。



「…………一緒に行けばいいのか?」



 返って来たのはKIDの予想通りの言葉。
 そして曇った蒼い瞳。

 それは策を弄して手に入れた禁断の箱。

「ええ」
「お前の手伝いをすれば良い?」

 そうすれば全てを隠し通してくれるかと尋ねる新一にKIDは緩く首を振る。

「私は貴方の秘密を隠し通す。貴方は私の秘密を隠し通す」

 これはあくまでもgive-and-takeだと言い聞かせる。

「それで充分ですよ」
「……そうか」

 伏せられた長い睫毛と、そして身体に回されていたKIDの腕を新一が掴んだのが了承の合図。
 それは二人が『共犯者』になった瞬間。

「それでは参りましょうか」
「ああ」

 その声を最後に工藤邸のリビングから二つの影が消えた。
 ただ残ったのは闇の中に差し込む一筋の月明かりだけ。








 その日を境に『工藤新一』は姿を消した。
 そして……『共犯者』という鎖で縛り付けられた関係が時と共に変化し出すのは…。
 現時点では誰も知らない本当の真実。








END.


40000hit有り難う御座いますv
これもひとえにカウンターを回して下さっている皆様のお陰v
そして銀翼効果の賜物(笑)
え?そんなに明るくいけるノリじゃない?ご尤もですι
何故か最近hitもの作成時に浮かぶネタは暗め。
記念物なんだからもうちょい明るいネタを…と思うのですが浮かぶのは暗めばかり(爆)
しかも今回…side Kは蘭ちゃんファンにとってはかーなり酷いネタとなっております。
side Kを読まれる場合、そこをご了承の上でお読み下さい。読んでからの苦情は受け付けておりません。
ちなみに40000hitブツという事でこちらは通常通りフリーとさせて頂きますが…こんなブツを貰ってくれる寛大な方がいらっしゃるのか?(悩)
もしその様な激心の広い方がいらっしゃいましたら、BBSかメールにてご連絡頂けると管理人は涙を流して喜びます(ぇ)
あ、もちろんどちらか一つでも構いませんから(笑)←side Kのみだと激しく暗いが。

と言う訳(?)で、色々と難ありのサイト(…)ですが、これからもどうぞ宜しくお願い致します。



side K


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