もう分らないんだ
何をどうしたら
お前が笑ってくれるのか
何をどうしたら
お前が幸せになれるのか
なあ、教えてくれよ
俺はどうしたらお前を笑わせてやれる?
最後の告白【三】
「居る筈、ないですよね……」
クスッと小さく自嘲気味にキッドは笑ってみる。
きっと今日の中森警部を含めた警察の方々は怪盗キッドの余りに乱暴な仕事に戸惑った事だろう。
彼が言ったあの言葉に縋って。
もしかしたら、と思って。
一分一秒でも早く仕事を終わらせたいと思って、酷い仕事の仕方をしたと自分でも思う。
怪盗紳士なんて名は返上しなくてはいけないかもしれない。
そんな事を思いながら、キッドは彼を捉えていた二個の手錠がアスファルトの上に落ち月の光を受けて輝いているのをじっと見詰めていた。
彼に最後に触れた時、こっそりフェンス側の輪に細工をした。
彼が少しでもひっぱれば直ぐに外せる様に。
そして彼のポケットにさり気無く鍵を入れた。
きっと彼なら気付くだろうと思って。
自分で全て仕組んだ。
自分で全てそう仕向けた。
彼に嫌われる様に。
彼が嫌ってくれる様に。
もう二度と―――――彼の瞳を見詰める事が叶わない様に。
「っ……」
自分で仕向けた事に自分で泣いてどうするのかと思った。
それでも、彼の言葉が耳にこびり付いて離れない。
『待ってる、から…迎えに来いよ……。お前になら……何されてもいいから』
分っている。
そう仕向けたのは自分だから、悲しむのなんて理不尽だって分っている。
それでも言葉は、想いは…口を突いて溢れた。
「嘘吐くなよ…。待ってなんていないじゃないか……」
あんな事をして、あんな風に彼を扱って。
そんな風に言うのは理不尽だって分かっていた。
それでも、一言口にすればもう歯止めが利かなかった。
「待ってるなんて…何されてもいいなんて……どうせ口だけじゃないか…。
俺だって…新一が心配で……心配で堪らなくて………行き辛いの堪えて、会い辛いの堪えて、あの日だって行ったのに…。
少しぐらい俺の話だっ、て…聞いてくれたって良かったじゃねえか…」
ぼろぼろと涙が零れていくのも、『キッド』の衣装のまま『快斗』の気持ちを吐露するのも。
本当は絶対に嫌だったのに。
もう止める事も、どうする事も出来なかった。
「いつもいつも俺ばっかりで…俺だって、新一に必要とされたかったのに…。
あの日だって、新一は何も覚えててくれてなくて……。俺だけ覚えてて馬鹿みたいだ………」
ぎゅっと胸元を押さえる。
ソコに入っているのはあの日新一から返されたモノ。
この指輪だって、新一にして貰える様に限りなくシンプルなモノを選んだ。
恥ずかしがり屋な彼が左の薬指に指輪などしてくれる訳がないのも分っていたし、彼女の事もあったから不自然に見えない様に、右手の中指に嵌められる様にサイズだってちゃんと調べて買ってきた。
本当は文字だって刻んで渡したかったけど、どうしても彼に付けて欲しかったからそんな真似もしなかった。
それでも―――彼がコレをつけてくれた事は一度も無い。
自分はずっとずっと彼から貰ったあのネックレスを、それこそキッドの時でさえ付けていたというのに…。
「……俺だけかよ…こんなに好きだったのは……」
ぐっと手に力が籠もる。
こんなもの捨ててしまえばいいのに。
こんなもの直ぐに捨ててしまえるのに。
そう出来ない自分が悔しくてしかたなかった。
彼は自分の事なんてきっとそこまで想ってくれていないのに、自分ばかり――彼の事を好きなのが辛くて辛くて仕方なかった。
「もう……どうしたら、いいか分かんねえよ……」
「………言いたい事はそれで全部か?」
「!?」
不意に後ろから響いた声にキッドは慌てて後ろを振り向いた。
「な、何で…」
「……待ってる、って言ったろ?」
そこに居たのは、紛れも無く彼だった。
余りの衝撃に何も言えず、一歩一歩近付いて来る新一に身動きすら取れず、キッドは唯々新一を見詰め続ける。
「ごめんな…快斗」
ふわっと彼の細い腕に抱き締められるまで、その目の前の現実が信じられなかった。
「何で…何でここにいるの…?」
「だから、俺は『待ってる』って言っただろ…?」
「だって俺…新一にあんな…」
「俺は『お前になら何されてもいい』って言っただろ…?」
「でも…」
「ごめんな。忘れてて…」
「新一…」
「ごめん。お前、俺の事心配してあの日来てくれたのに…酷い事言った…」
「しんいちっ……」
「ごめんな。ずっとずっと…お前に我慢させてたんだな…」
よしよしと彼に撫でられて。
どうしようもなく涙が止まらなくて。
快斗はおもいっきり新一を抱き締めた。
「逢いた、かった…」
「快斗…」
「ずっとずっと逢いたかった…。
もう二度と逢えないって、逢いに行っちゃいけないって分かってたけど、逢いたくて逢いたくて仕方なかった……」
「……俺もだよ」
ぎゅっと背に回された彼の腕が嬉しくて。
泣いても泣いても枯れる事のない涙がまた溢れ出した。
「新一…」
「快斗、お前そんなに泣くなよ」
「だって…だって俺…」
「ごめんな。俺、お前に本当に酷い事言った」
「……いいんだ、だって俺………」
「魔女、本当に居たんだな…」
「……えっ…?」
ボソッと呟いた新一の言葉に快斗は俊敏に反応して。
抱き締めていた新一を一瞬離すと、その両肩をがしっと掴んで慌てて新一の顔を覗きこんだ。
「紅子に会ったのか!?」
「あ、紅子さんっていうのか…?」
「っ…アイツ名前も名乗ってねえのかよ!」
「まあ、そんな暇なか…」
「何かされなかった!? 藁人形持ってたり、何か変な魔方陣の上に乗せられたりしなかった!?」
「か…快……」
「いや、アイツの事だ…。もしかして……惚れ薬ぐらい飲まされてるかもしれない!」
「新一が紅子の事好きになったらどうしよう!」と、わたわたと百面相をする快斗に新一はとりあえず口を挟む事が出来ず、固まったまま。
それにしても、藁人形とか魔方陣とかって…。
いや、魔女だからそれぐらいあるのかもしれないけれど…あの日会った彼女はそんなに怖い感じはしなくて…寧ろ……。
「普通の人、だったぞ?」
「へっ……?」
「いや、だから…その、紅子さんって人? 別に悪い人じゃな…」
「新一! 駄目だよ! 騙されてるよ! ……もしかして……本当に惚れ薬盛られてるのっ…!?」
「……快斗」
「ねえ、新一…本当に何か変なとことか…」
「快斗!」
「!?」
余りの慌てふためき様に新一がおもいっきり快斗の名前を叫んだ。
それに快斗もビクッとして固まった。
「あのな、快斗」
「あ、う、うん……」
「俺は…その……」
「ん…?」
「…………俺が、……好きなのは………」
「……好きなのは?」
「…………」
勢いのまま叫んでしまって。
勢いのまま途中まで言葉を紡いでしまって。
でも、それでもこんな時まで恥ずかしいと思ってしまう気持ちは消せなくて。
新一は口をぎゅっと結んで俯いてしまう。
そんな新一の肩から快斗は手を離し、雰囲気を一気に冷たいものにして口を開くと冷たく言い捨てた。
「……とりあえず、俺以外なんだろ? それなら聞きたくないよ」
「な、何で…」
「だって俺には言えないんだろ?」
「違っ…」
「だって言ってくれないのは事実じゃないか」
「っ……」
快斗の言葉に新一はとっさに顔を上げ、快斗を涙目で見詰めても快斗の表情は冷たいまま。
それに涙が零れそうになる。
でも、確かに快斗の言う通りだった。
快斗の言う通り、自分は言葉を紡げない。
こんなにも心は快斗が好きだと叫んで仕方ないのに、言葉が出てきてくれない。
顔を顰め、また俯いてしまった新一に快斗は溜息を吐いた。
「もう、いいよ。それならそいつの所に行けばいい」
「っ…」
「俺も……青子のとこ帰るよ」
「―――!?」
紡がれた単語に新一の身体がビクッと反応する。
彼女の所に彼は行ってしまうと言った。
彼女の所に彼は帰る、のだと言った。
その言葉を聞いた瞬間、目の前が真っ暗になって。
その言葉を聞いた瞬間、また自分の前から快斗が居なくなってしまうのが怖くなって。
気付けば、踵を返そうとしていた快斗の腕を掴んでいた。
「新…」
「嫌だっ…」
「えっ…」
「嫌だっ!」
「………」
ぎゅっと快斗の手を掴んで、じっと涙目で見詰めてくる新一。
その必死の形相に快斗も何も言えないで新一を見詰めていた。
「好き…なんだ…」
「………」
「快斗の事、好き…なんだ……」
「新一…」
「快斗には彼女が居るって分ってる。俺と居るより、彼女と居た方が……きっと幸せになれるんだろうって…。
でも、でも……もう、嫌なんだ…。快斗が好きなんだ……お前と一緒に居たい…。置いて、行かないで………」
彼の頬に流れ落ちる涙が余りにも綺麗だった。
そう言ったら罰が当たるだろうか?
彼を泣かせて、それでもその涙が綺麗だと思うなんて。
神にすら見放されるだろうか?
余りにも幸せ過ぎる瞬間に、一瞬快斗はそんな事を頭の隅で考えて、そっと新一を引き寄せその額に唇を落とした。
「ごめんね…新一。言って欲しくて……新一からちゃんと『好き』って言って欲しくて、俺、意地悪言った」
「意地、悪……?」
「青子とは別れた」
「わ…別れたって…?」
「ごめん、新一の事俺はずっと騙してたんだ。新一が蘭ちゃんと別れる前に俺はもう青子とは別れてたんだ」
「!? ……なん、で……?」
「新一が……好きだったからだよ」
ぎゅっと強く抱き締めて。
それだけは新一の耳元で大切に言葉を紡いだ。
好きで好きで。
本当に大好きで。
だからもう、新一以外を大切になんて出来なかった。
「っ……」
ぎゅっと背に回されていた腕に力が籠められた。
見なくても分る。
彼が今どんな顔をして自分の腕の中で泣いているのか、なんて。
ずっとずっと見てきた。
彼の事だけを見てきたから。
「新一……愛してる」
漸く言えたその言葉を紡いだ時、何もかもから解放された気がした。