そんな顔するなら
 そんな顔するぐらいなら

 俺の事なんていっそ殺せばいいのに

 そうしたら…
 お前も俺も幸せになれるだろ?















最後の告白【二】
















「っ……! コレ外せよ!」
「それは聞けませんね。いい格好ですよ? 名探偵」


 クスクスとキッドは笑う。
 冷たい眼を新一に向けたまま。

 その視線を避けるように、新一は顔を背ける。
 抱き締められ、新一が戸惑っている間にその手はキッドがどこからか出してきた手錠で片手ずつ屋上のフェンスへと繋がれてしまった。
 その余りの素早さに、その余りの気遣いの無さに、新一は悔しさに眼を伏せる。
 それでも、それもキッドの笑みを誘うだけ。


「直ぐにお相手出来なくて申し訳ありませんが、少しそのまま待っていて下さいね? 私もこれから仕事なもので」
「探偵の俺を前にして『仕事』なんて言うな…!」
「ああ、そうでしたね。余りにも娼夫の様に誘うのがお上手でしたので、忘れていましたよ。そう言えば貴方も探偵なんでしたね」
「っ――!」


 クスクスと笑いながら、キッドは新一に言葉を紡ぐ。
 その言葉に新一は次の言葉を紡げなかった。

 『名探偵』

 そう彼が呼んでくれる事だけが救いだったのに…。


「ああ、そうだ。淫乱な貴方にはそのまま待っていろというのは少々酷ですね…」


 クスクスと相変わらずな笑みを浮かべたままキッドは新一のワイシャツの合わせ部分を両手で掴むと、ボタンを躊躇い無く引きちぎった。
 シャツの前が肌蹴られ、新一の白い肌がまだ少し肌寒い風に触れる。


「なっ…何すっ…」
「仕事の前に、少し…遊んで行こうかと思いまして…」


 脅えた声を上げた新一を楽しそうに見詰め、キッドは首筋に唇を寄せる。


「や、やだっ…」
「嫌な筈がないでしょう? そういう身体に私がしたのですから」


 ちゅっと首筋を吸い上げて赤い痕をつける。
 咄嗟に上がった新一の甘い声に満足そうにキッドは微笑む。

 昔の様な優しい微笑みではなく、獲物を目の前にした悪魔の様な笑みで。


「も、やっ……」
「そうやって煽ってらっしゃるんですか? それなら狙い通り、ですよ」


 いやいやをする様に力なく首を振る新一の泣き出しそうな瞳をキッドは残酷な笑みで見詰めると、そのまま首筋から鎖骨まで唇を落として、其処にも赤い痕を付け、満足そうにその痕を指でなぞる。
 反対の鎖骨の同じ位置にも同じ痕を落としてから新一の頬を手袋に包まれたままの白い手で包み込んで、新一の瞳をじっと見詰める。


「そのまま大人しくしていて下さいね? 仕事が終わって帰って来たら、貴方の事をたっぷりと可愛がってあげますよ…」


 ここでね。

 そう一言付け加えるとキッドは新一から手を離し、どこから取り出したのか安全ピンなんて物体を出して引きちぎったボタンの代わりに軽くワイシャツの前を合わせて止めてやる。
 それから目的地へと旅立つ為の白い翼を広げ新一に背を向け飛び立とうとする。

 そんなキッドの背に新一は思いっきり叫んだ。


「待てよ!」
「何ですか? 貴方のせいで大分予定が狂ってしまったので私としては急いで行きたいのですが?」


 不機嫌そうに背を向けたまま言われた言葉に新一は一度言葉を飲み込んだが、意を決した様に口を開いた。





「待ってる、から…迎えに来いよ……。お前になら……何されてもいいから」





 キッドが息を飲んだのが新一にも伝わった。
 けれど、それ以上白い背中は何も言わず白い鳥は無言でビルの屋上から飛び去った。




「あの馬鹿…」


 新一には分かっていた。
 どれだけ酷い事を彼が言おうとしたって、どれだけ無感動な瞳をしようとしたって。
 声の奥底の響きに、瞳の奥の奥に、辛そうに悲しそうに揺れるモノがある事を。

 彼は自分に酷い事なんて出来ない。
 ここまでしたのだって、やった本人がきっと一番傷付いている筈。

 そこまで追い詰めたのは他ならぬ自分だ。


「早く…戻って来いよ」


 小さく小さく呟いた。
 幾ら五月とはいえ夜の風は冷たくて。
 何をされてもいいから、彼の温もりが欲しくて。

 本当ならあのまま触れて欲しかった。
 幾ら乱暴にされても何でもいい。
 どれだけ淫乱だと彼に思われても、言われても構わない。

 叶うなら―――あのまま彼に抱かれてしまいたかった。
 それぐらい…心も身体も彼を求めていた。

 何でもいい。
 何でも良いから――――彼が欲しかった。





「っ……」





 泣かないと決めていたのに、零れ落ちそうになる涙を零したくなくて上を向く。
 今夜は三日月。
 細い剣を描くその月が冷たく白く輝いていた。

 それに少しだけ心が温かくなる。
 月の光がそっと彼の代わりに自分を包み込んでくれているような気になれたから。

 それに安堵してクスッと小さく笑えば、上に無理矢理引っ張られ悲鳴を上げる様に痛んでいた左肩が急に楽になった。


「……?」


 訳が分からなくて、自分の左手を見れば手にこそ手錠は付いたままだったがそのもう一つの輪はフェンスから外れかかっていた。
 ぐいっと左手を引っ張ってみればそれはあっさりとフェンスから外れた。


「何で…」


 回らない頭で右手の手錠も見てみれば、左より外れてはいないが思いっきりひっぱれば外れない事もなさそうで。
 左手を右の手首下辺りに当て思いっきり引っ張ってみれば、それも意外にあっさりとフェンスから外れた。

 繋がる物を片方失い、最早手首にぶら下がるだけとなった両手の手錠を見詰め、新一は首を傾げる。

 キッドが本当に自分を捕まえておく為に用意したものならばこんなに簡単に外れるようにしておく訳が無い。
 それならば逃げられる様にわざと緩く止めておいたのか。

 どうしてそんな事を―――。


「アイツ…まさか……」


 そこまで考えて、また目の前が真っ暗になった。

 キッドがわざと緩く、新一が外せる程度にコレを止めて行ったとするならば――それは逃げていいという事。
 寧ろ、きっとあれだけの事をすれば新一が逃げると踏んでの事。




「迎えに来る気、ないって事か……?」




 つまりはそういう事なのかと、新一は手に繋がったままの手錠を見詰めた。
 そして、嫌な予感を覚えて自分のズボンのポケットを探ってみる。


「っ……」


 決定打に押さえていた涙が零れた。

 ポケットに入っていたのは小さな二つの鍵。
 確認などしなくても分かる。
 この手錠の鍵だ。

 コレを外して。
 今すぐここから逃げろという事か。




「馬鹿にすんじゃねえよっ…!」




 だからあの時彼は返事をしなかった。
 ただ無言で新一に背を向けて飛び立って行った。

 迎えに来るとも。
 迎えに来ないとも。

 新一に告げる事が出来なかったから?




「俺が…俺がどれだけの思いでここまで来たと思ってんだよっ……」




 ぐっとその鍵を握り締める。

 警察に届いた予告状から彼が狙っている物も、予告日時も、直ぐに分かって。
 それでも、彼の中継地点になりそうな場所なんて今回の現場ではそれこそ星の数程あって。
 どれだけ絞っても絞っても、新一でも最後の四箇所にしか絞りきれなくて。

 一つ目を探して彼は居なくて。
 二つ目を探しても彼は居なくて。

 間に合わないのではないかと。
 自分の考えは間違っているのではないかと。

 不安な気持ちを押し殺して、それでも無理矢理歩を進めて。
 漸く三つ目で真っ白な彼の姿を見つけた時の気持ちをどう表現したらいいのだろう。

 その白さに、冗談ではなく本当に眼が眩んだ。
 彼に駆け寄って、あの白いマントを思いっきり引っ張って、引き寄せてしまいたかった。

 けれど、探偵としての自分のプライドが。
 『工藤新一』としての自分のプライドが。

 ソレをする事を押し留めた。

 こんな時に思う。
 自分は何て愚かな人間なんだろう、と。




「もう……俺の想いなんてアイツには届かねえのかな……」




 途方に暮れて空を見上げる。
 相変わらず白く綺麗に彼の守護星は輝いている。


 それでもいいのかもしれない。


 ふと、そんな風に思った。

 彼には彼女が居る。
 何度か会っただけで分る程、素直で可愛い彼女が。

 彼に会いたくないと言ったのは自分だ。
 彼にもう二度と会いたくないと言ったのは紛れも無く自分だ。

 もう会わなければいい。
 そうすればきっと彼は俺の事なんて忘れて、あの彼女と幸せになれる。
 そうすれば―――彼は幸せになれる。


 頬を零れ落ちていった涙の跡を少しだけ冷たい風が撫でる。

 寒くて。
 冷たくて。
 寂しくて。

 この世に一人ぼっちになってしまった様な妙な切なさを感じた。


 彼には彼女が居る。
 自分では彼を幸せに出来ない。

 切ない程残酷な現実にそっと眼を瞑る。


 もう、いいか。
 そう思った。

 もう、疲れた。
 そう思った。


 もう何も必要ない。
 もう何も要らない。







 何がそうさせたのか。
 全てがそうさせたのか。







 気付けば新一はフェンス越しの夜の街を愛おしそうに見下ろしていた。


























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