もしも、もしも今
 俺がお前に本当の気持ちを伝えたら

 それは遅過ぎるのだろうか?
 もう間に合わないだろうか?

 結果なんてどうでもいい
 ただ、このままこの想いを燻らせてはおけないんだ…















最後の告白【一】
















「九時、二十四分か…」


 白いマントをはためかせ、怪盗は一人夜の屋上でその時を待っていた。
 今夜の予告時間は午後十時。
 白馬が急な仕事でイギリスへ戻ってしまっている事もあって、残念な事に警察は全くもって見当違いの場所を張っている。
 嫌なぐらい、楽な仕事になりそうだった。今夜は。


「嫌ですね…。少しぐらい大変な方が思い出さなくて済むというのに…」


 白馬が居てくれれば良かったのに、と普段は絶対に思わないような事まで思ってしまう。
 警察が見当違いの場所を張ったり、見当違いのダミーに騙されてくれる度に脳裏を彼の姿が掠める。

 彼なら―――もっと自分を追い詰めてくれるだろうと。


「もう…思い出したくないのに…」


 クスッと自嘲気味に笑って怪盗はフェンスの上に立っているという唯でさえ危ない状況にも関わらず眼を閉じる。

 視界が真っ暗になる。
 自分が何処に立っているのかも分からない程に感覚がおぼつかなくなる。
 その感覚に陥るのがここ最近のお気に入りだ。

 落ちればいい、そう思う。
 死ねばいい、そう思う。

 冷たいアスファルトに頭でも足からでもいいから落ちて、この衣装が真っ赤に染まってくれればいいと思う。

 そうしたらきっと自分は楽になれる。
 もう…何も考えなくて済むから。
 もう…何も感じなくて済むから。

 けれど、『怪盗キッド』としての矜持がそれを許してはくれないのだけれど。

 だから偶にはこうして遊んでみる。
 死ねるかもしれない、そんな幻想を持ってみる。



「そんな事してると…お前でも流石にいつかは落ちるぞ?」



 不意に耳に届いた声。
 聞こえる筈の無い声。

 一瞬幻聴かとも思った。
 彼に会いたくて会いたくて仕方の無い自分の聞かせた幻聴かと。

 それでも勇気を持って確める様に恐る恐るゆっくりと瞳を開けば―――





「名、探偵……」





 ―――真っ直ぐにこちらを見詰めてくる探偵の姿。





「久し振りだな…」





 紡がれた言葉に、彼の姿に今すぐ駆け寄って抱き締めたくなるのをどうにか押し留める。
 もう二度と、触れてはいけない人だと分かっているから。




「何をしに来たんですか…?」




 彼にそう尋ねた自分の声は震えていないだろうか?
 彼にそう尋ねた自分はポーカーフェイスを保てているだろうか?

 冷たく、冷徹に自分の声は彼に届いただろうか?

 目まぐるしく訪れる不安を振り払う様に、キッドは矢継ぎ早に言葉を紡いだ。



「もう二度と私の顔など見たくないと、私の言葉など聞きたくないと仰ったのは貴方ですよ? その貴方が何故ここに?」



 中継地点など彼が分かる筈がなかった。
 昔なら、昔彼宛に予告状を送っていた頃なら、それに中継地点のヒントも織り交ぜてあったから分かる。
 けれど、あれから彼に予告状など送っていない。

 なのに…今更何故?



「……探したんだよ。お前の事」
「私の事をですか? そうですね…。貴方を傷つけた私を貴方は冷たい監獄に閉じ込めなければ気が済まないでしょうね。
 そんなに悔しかったんですか? こんなこそ泥に一瞬でもその身を、その心を預けた事が…」


 言いながら、どれだけの言葉を紡いだら彼を傷つける事が出来るのか考えていた。
 もう二度と抱き締める事も優しい言葉も掛けてやる事が出来ないというのならいっその事、死さえ願う程傷つけてやりたかった。

 それが一生彼が自分のモノにならないと絶望する気持ちからだったのか、それとも彼を本当に愛しているから、彼の幸せのためにそうしたのか。
 それすらももう分からない程に彼を傷つけたくてしかたなかった。

 叶うなら―――今ここで彼の白く細い首を絞め上げ、最後の最期の顔まで見てやりたかった。



「………快斗」
「――!?」



 不意に呼ばれた自分の名にビクっと身体が反応する。
 彼がこの姿の自分にそんな風に呼びかけた事などない。

 いつだって彼は『俺』と『私』を別のモノとして対応してくれた。
 それを自分が望んでいるのを知っていたから。


「………『私』は、『キッド』ですよ? 名探偵」
「…俺は『快斗』と話しがしたいんだ」
「生憎ですが、私は『キッド』なのでそれは出来ない相談ですね」
「っ…」


 こんな風に言う彼を自分は知らなかった。
 こんな風に彼が言う事なんて今まで一度も無かった。

 けれど、それをキッドは冷たく突き放す。


「名探偵。私は『俺』としても『私』としても貴方に別れを告げた筈ですが?」
「……でも、『快斗』は俺のこと心配してあの日来てくれたじゃねえか……」


 悔しそうに唇を噛み締めて、それでもキッと真っ直ぐに強い眼差しで新一はキッドを見詰めてくる。
 それ以上その瞳を見ていたくなど無かった。


「……忘れましたよ。そんな事」
「キッ…」
「すみませんが、名探偵。私はこれから仕事なんです。余計な邪魔はしないで頂きたい」


 冷たい眼でキッドは新一を見詰める。

 何の感情も。
 何の痛みも。

 何もかも籠めない眼で。


「……仕事の後は?」
「……後、とは?」
「少しでも時間はないのか?」


 尋ねられた言葉をキッドは鼻で笑ってやる。


「仕事の後、ですか。その後に私を捕まえるおつもりで?」
「そうじゃない…」
「名探偵ともあろうお方が正面切って私と対峙する事なく、仕事の後で色仕掛けでもして私を捕まえるおつもりですか?」
「そうじゃないんだ。俺はちゃんとお前と話がしたくて…」
「いいですよ? 貴方がその気なら…」


 新一の悲痛な叫びなど無視してキッドはふわりと物音も立てずに新一の立っているグレーの硬質な地面へと降り立つ。
 一歩一歩近付いて行けば、反射的に後退ろうとする新一の身体を乱暴に抱き締めた。


「キッド…! 何すっ…!」


 途端に上がった非難の声も気に止めず、キッドはその身体をきつく抱き締めた。
 そして耳元で残酷に囁いてやる。


「そんなに私に抱かれたかったんですか?」
「な、何言って…」
「そうですね。そういう身体にしたのは私ですから……」



 ―――責任は取って差し上げますよ?



 冷たく笑ったキッドの無感動な瞳に新一は何も言うことは出来なかった。


























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