例えば言葉のほんの一つ
 例えば行動のほんの一つ

 その些細な一つ一つが

 俺の心を捉えて離さないなんて
 きっと君は知らない








 工藤新一的きゅんぽいんと










 例えば、言葉一つ。


「こんばんは。私の名探偵」
「誰がいつ“お前の”になったよ」
「おやおや、つれないですね」
「探偵がつれてどーする」


 そうやって興味のない態度をとってはみるが、言われた言葉は確実に新一の心に染み入る。
 『私の』なんて何だか他よりも特別視されてるみたいで嬉しくなる。

 それを表に出すなんて真似、絶対にしないけれど。


「私は嬉しいですけどね。名探偵がつれてくれたら」
「ばーろ。お前を嬉しがらせて俺に何の得があるっていうんだ」
「残念ですね。私は名探偵が喜んで下さるなら何だってするのに」
「るせー。それならさっさとその宝石返せ!」


 だからそうやってわざとつっけんどんな態度を取る。
 お前の言葉がどれだけ俺の心を温めているかなんて絶対に悟らせない為に。



















 例えば、行動一つ。


 いつもの様に新一がソファーで本を読んでいる横で、快斗はマジックの練習をしていて。

 手から零れ出す花。
 生きている様に動くカード達。
 どこから現れているのか全く分からない彼の真っ白な相棒達の突然の出現。

 いつの間にか、意識が本からそちらへ移ってしまう。


(あー…ホントこいつってすげーんだな…)


 快斗のマジックを見ていると、トリックを見破ろうと思う前に、その魔法に見入ってしまう。
 ただ技術が上手いだけではない。
 人を惹きつける何かを彼は確実に持っている。


「すげーな…」


 素直な感想が思わず口を突いて出てしまった。
 その言葉に、快斗は一瞬呆けて、次の瞬間パチッとウインクを一つよこした。


「そりゃー、快斗君ですからv」


 やる奴がやれば寒過ぎるソレすら、様になるんだから凄いと思う。
 ちょっとばっかしカッコイイと思ったのは内緒にしておいた。



















 例えば笑顔一つ。


「なあ、快斗」
「ん?」
「これ、お前が作ってくれたのか?」
「ああ。見付けたんだ。後で出そうと思ってたのに…って、こら、飯前に食うんじゃない」


 言われた言葉にむうっと眉を寄せて、それでもそんな言葉はスルーして、新一は目の前のレモンパイを一口切って口に運ぶ。
 適度な酸味と甘み。
 どんな専門店のレモンパイよりコイツの作るレモンパイが一番美味いと思う。

 快斗がマジシャンになったら、世の中は世界一になれるかもしれないパティシエを一人失うことになる。
 そんな事を思いながら、新一は素直にそれに手を伸ばした理由を述べた。


「上手そうだったから」
「ソレ食ったら、ちゃっと後で飯も食えよ?」
「………」


 きっとこれを一切れ食べたら当分何も摂取しなくても自分の胃は満足だろう。
 そう思って口を噤めば、呆れた様なため息が返ってきた。


「お前はお菓子食べ過ぎて飯の食えなくなるガキか」
「…るせー」
「はいはい。しょうがねえから、珈琲でも淹れてやるよ」
「ん。頼む」
「………」


 もう一度溜息を吐きながらも、キッチンへ向かった快斗の後姿を見送って、新一はもう一口パイを口に運ぶ。
 やっぱり美味い。
 これだったら、無理にではなく自分から甘いものを欲せるのだから不思議だ。
 快斗が魔法使いというのはある意味本当なのかもしれない。


「美味しい?」


 戻ってきた快斗に差し出されたコーヒーと共に尋ねられた言葉に素直に頷いて、


「ああ、すげー上手い。さんきゅ、快斗」


 と言えば、途端に顔が真っ赤に染まる。
 普段は格好良いイメージが強い快斗の余り見る事のない顔に思わずじーっと見入ってしまう。


(あー…高校生の男相手に『可愛い』と思うなんてな…)


 若干複雑な事を思いながらも、それでも何だかその姿に笑みがこぼれてしまう。
 こんな風に褒めてやれば、照れ笑いを浮かべる。
 まるで子供の様な快斗を素直に可愛いと思ってしまう。


「うん。こっちこそありがとう、新一v」


 全く…高校二年生の照れ笑いがこんなに可愛いなんて…どういう了見か…。








































「なあ、灰原」
「何かしら?」
「俺、目おかしいのかもしれない」


 定例の検査の後、哀の研究室のソファーに陣取って本を読んでいた新一がぱたん、と本を閉じてそう呟く。
 その呟きに哀はパソコンのディスプレイから視線を新一へと移した。


「検査の結果は問題なかったわよ」
「ああ、そうだろうな。視力は問題ねえから」
「…どういう意味?」
「俺さ、最近快斗が可愛く見えんだよな…」
「………」


 呆れた様に目を顰めた哀をしり目に、新一は小さく一つため息をついた。


「アイツさ、普通にしてれば格好良いんだよ」
「そうね。一般的には格好良いんでしょうね」
「でもさ、なんつーか…一緒に居ると、時々無性に頭撫でてやりたくなるっていうか…何つーか…」


 腕を組んで、眉を少しだけ寄せる新一を哀は珍しいモノでも見る様な目で見つめる。


「相当気に入ってるのね」
「みたいだな」
「その気に入ってる彼、お留守番させたままでいいの? 帰ってあげないと寂しがるんじゃないの?」
「いや、今日は仕事の下調べに行ってる」
「ああ、それでゆっくりしてるのね。最近、検査の後はすぐ帰っていたものね」
「………」


 気まずそうに視線を逸らした新一に哀はクスッと小さく笑みを零す。
 全く、この探偵は本当に素直じゃない。


「でも、仕事の時の彼はどっちかというと格好良いんじゃないかしら?」
「ああ。すげーカッコイイ」
「………」


 何だろうか。
 これは惚気られているのだろうか。

 思わず言いかけた言葉を哀は既の所で飲み込んだ。

 この探偵の事だ。
 惚気るとかそういう問題ではなくて、きっと本当にそう思っているのだろう。
 無意識で惚気るのだから余計に性質が悪い。


「暗号はおもしれーし、アイツが言う所のショーもすげーワクワクするし、何よりアイツの存在自体が謎の塊だからな」
「…良かったわね」


 目をキラキラさせてそう言う新一はまるで子供の様だ。
 子供の様に純粋で無邪気に気に入っている。

 確かにこんな顔で『大好き』なんて言われた日には堪らないかもしれない。

 哀は先日の快斗とのやり取りを思い出して、少しだけ同情した。
 その対象が本人ではなく『暗号』に向けられていたのを思い出して。


「料理は上手いし、マジックはすげーし、カッコイイかと思うと可愛いし…ホント見てて飽きねーんだよな…」


 しみじみと噛みしめる様にそう言う新一の言葉を録音して聞かせたら、きっとあのハートフルな怪盗は涙を流して喜ぶだろう。
 けれど、哀にはそんな事をしてやる程優しくはない。


「そんなに気に入ってる割には扱いはぞんざいよね」


 その理由を知っていて、哀はわざとそんな風に言ってやる。
 そうすれば、新一の頬に僅かに赤みが差す。


「べ、別にそんな事ねーよ」
「照れ隠しも大概にしないと、そのうち嫌われるわよ」
「照れ隠しなんかじゃねーって!!」


 ワタワタと慌てて否定する度に顔が赤くなっていって、それが図星だと物語っているのにそれでも意地を張る新一に、哀はクスクスと笑ってしまう。
 全く…本当に素直じゃない。


「そうね。黒羽君に『大好き』って言ったんですもんね」
「は…? 何の話だ…?」
「こないだ言ったでしょ? 黒羽君に『お前の暗号が好き』だって。
 まあ、言った本人はその後直ぐに事件でお出かけしてしまったみたいだけれど…」
「……ああ、そういや言ったけど……何でお前が知ってんだ?」


 少し考えて思い出したのかそう言った新一がことん、と首を傾げる。
 それはそうだろう。
 快斗がそんな事を哀に報告しているなんてきっとこの目の前の探偵は全く予想もしていないだろうから。
 そして、快斗がどんな想いを寄せているかも。


「この間黒羽君が報告に来たのよ。工藤君に『大好き』って言ってもらったって」
「ったく、アイツは…」
「いいじゃない。それだけ好かれてるんだから」
「…良くねーよ」


 むうっと眉を寄せ、少しだけ辛そうに紡ぎ出された言葉に今度は哀が首を傾げた。


「どうして? 好きなんでしょう? 彼の事」
「………」
「大丈夫よ。黒羽君には何も言ってないから」
「…なら、いい……」


 新一に少しだけ睨まれて哀がそう言えば、新一は重いため息を吐いた。


「アイツは純粋に良い奴なんだよ」
「ええ。そうね」
「アイツは…ただ純粋に友達として俺の事好いてくれてるんだろうけど……俺は、……」
「いいじゃない。彼に言ってみれば」


 好きだと彼に素直に告げればいい。
 そうすれば晴れて両想いだ。

 けれど、それには酷く高く険しい壁がある。


「言える訳ねえだろ! アイツも…俺も、男なんだから…」
「あら、貴方にも一応普通の良識があったのね」
「あのな…お前は一体俺の事なんだと思ってんだよ」
「自分の目的の為なら手段を選ばない暴君、ってとこかしら」
「…灰原……;」


 ガックリと肩を落とした新一に、哀は内心でため息を吐く。

 事件を解決するためなら、止めたって何をしたってこの目の前の探偵はしたい様に突っ走っていく。
 それこそ使えるものは何だって使って。

 それなのに、恋愛事には本当に鈍感で不器用だ。


「それに…」
「それに?」
「アイツ…モテるんだよ……」


 少し視線を落として、声も小さくなってしまった新一に、哀はしれっと言ってやった。


「そうでしょうね。彼、格好良いし、話は上手いし、社交的だもの」
「だよな…」
「その分だと、彼宛のラブレターでも見つけたの?」
「………」


 図星らしい。
 それでも、何だからしくなくて哀はふと疑問を口にした。


「でも、黒羽君の事だからわざわざそんなモノ貴方の目につく場所に置いておくとは思えないのだけど?」
「…アイツの鞄の中に入ってた」
「工藤君、貴方…」
「ち、ちげーよ! アイツが筆箱を机の上に置きっぱにしてたから鞄に入れてやろうとしたら…」
「見つけちゃったのね」
「………」


 やれやれ、といった感じの哀に、新一は深く深く溜息を吐く。


「分かってんだよ。アイツはモテるし…幾らだって可愛い女の子と付き合えるし…」
「でも、彼の事渡したくないんでしょ?」
「それは…」
「彼の為、なんて思って誰かに渡したら…ずっと後悔すると思うけど?」
「………だよな……」


 頭を抱え、はぁ…と更に深い溜息を吐き出した新一に哀は思い悩む。

 快斗が新一の事をそういう意味で好きだと告げてやれば、彼の悩みを解消することは容易だ。
 けれど、それは哀が告げていい言葉ではない。

 当人同士が伝え合わなければならない言葉だ。


「でもさ…いいんだよ。このままで」


 哀がそんな葛藤をしていれば、どこか諦めた様な、それでいてどこか幸せそうな顔で新一はそう言う。


「俺は今のままで…充分幸せなんだ」


 こんな顔を、見た。
 彼ととてもよく似た彼がした顔はやっぱり今の彼とよく似た顔だった。

 幸せだと言う。
 今のままで充分幸せだと。

 けれどそれは、諦めの滲む淡い笑顔だった。
 それは…少しだけ痛い。


「そう…」


 障害の多さなんて言ったらきりがない。

 男同士だとか。
 『探偵』と『怪盗』という宿敵同士だとか。
 しかも双方が女性にとてもモテるとか。

 言えば言っただけきりがないけれど、それをどう捉えるかは本人達次第だと思う。


「快斗が笑っててくれたら、俺はそれでいいんだ」


 その言葉は、余りにも哀には痛々しく聞こえた。








































「ただいま」
「おかえりー♪ 検査結果どうだった?」
「ああ、異常ないって」
「良かったねv 安心したよ♪」
「ん。さんきゅ」


 玄関までわざわざお出迎えをして下さった快斗に、先程までの哀との会話を思い出し少しだけ苦い思いを抱えながらも、新一はいつも通りに振る舞う。
 これは…気付かれて良い想いではない。


「珈琲飲む?」
「ああ。じゃあ、貰うかな」
「りょーかい。じゃあ、淹れてくるから待っててー♪」


 パタパタとスリッパを響かせて台所に向かった快斗を見送って。
 新一はリビングのソファーへどかっと腰を下ろした。
 そのまま身体を深くソファーへと埋めて深く溜息を吐く。


(言える訳ねえよ…)


 はぁ…と何度も溜息を吐いても、心の重荷は軽くなることはない。
 寧ろより重くなってくるようで、キツイ。


(今のままで充分幸せなんだから…)


 心の中で自分に言い聞かせる様にそう呟く。
 これ以上を望むなんて贅沢過ぎる。
 今のままで充分幸せだし、これ以上を望んでもそのこれ以上は手に入る事はない。
 そんな手に入らないモノを望んで今の幸せを壊してしまうなんて、そんな馬鹿な真似する気はない。


「新一?」
「あ、悪い」


 両手にマグカップを持った快斗にひょいっと覗き込まれて、心臓が跳ねる。
 彼の気配に気付かない程、自分の世界に入ってしまっていたらしい。


「大丈夫?」
「ああ、ちょっと考え事してただけだから…」
「ふーん…。まあ、あんま考え込むなよ。眉間に皺が増えちゃうよー♪」
「るせー」


 はい、と渡されたマグカップを受け取って、隣に座った快斗のそんな軽口と共にそれを口に含む。
 口に広がる香りと味は、慣れ親しんだモノ。
 もう、その辺りの喫茶店では満足できなくなってしまった。

 彼が淹れてくれなければ、もう―――。


「でもホント、あんま考え込むなよ。ただでさえいつか心労で倒れそうで心配なのに…」
「なんだよ、それ」
「新一は優しいからさ」
「俺は優しくなんかねーよ」
「優しいよ。俺は知ってんの」

 近づいてきた手が頭に触れ、優しく頭を撫でられる。
 その温もりに心が跳ねる。


(あー…、また一個追加だな…)


 そんな事を思いながら新一はその温もりにそっと目を閉じた。





















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