それは脅威
 それは恐怖

 彼に何かあったら
 彼にもしもの事があったら

 そう考えると
 居ても立ってもいられなかった












恋しさ故の過ち













 鬱陶しい程の朝日。
 眩しいその朝を告げる光で目を覚ます。


「んっ…」


 ゆるゆると身体を起こせば其処がリビングなのだと気付いた。


「ああ…そっか……」


 昨日あのままふらふらと家に帰って来て、部屋に行く元気すらなくここで寝てしまったらしい。
 まったく、仕方が無いと自分自身に苦笑する。


「んー…」


 思いっきり伸びをして、キッチンへ珈琲でも淹れに行こうと立ち上がったところで、



 ―――ピンポーン



 玄関のチャイムが軽快な音を鳴り響かせた。


「誰だ…?」


 時計を見てみれば、時刻は午前七時過ぎ。
 こんな朝っぱらから訪ねて来るなんて一体誰だろうか…。



 ―――ピンポーン



 ふむっと考えていると、再度チャイムが鳴った。
 仕方なく、インターホン用の受話器へと手をかける。


「どちら様ですか?」
『新一!?』
「か…快、斗……?」


 慌ててカメラのスイッチを入れれば、映し出されていたのは紛れもなく彼で。
 それも酷く慌てている。
 一体どうして…。


『し、新一…あのね……』
「……何しに来たんだよ」


 何か言おうとした彼に冷たくそうい言い放つ。

 先日は『彼』として別れを告げられ。
 昨日は『私』として別れを告げられた。

 なのに一体どの面下げて今日今ここにやって来たのか…。


『…ごめん。俺が今ここに来れる立場じゃないのは分かってるんだけど…でも…』
「…何だよ」
『身体に変なとことかない? 気持ち悪いとか、眩暈がするとか…後は何か気持ち的に変とか……』
「…はぁ?」


 カメラの前でわたわたと焦った様にしている快斗に新一は訳が分からない。
 一体彼は何を言おうとしているのか…。


『いや、別に何もないならいいんだけど…いいんだけどさ…』
「……快斗」
『何?』
「……ちゃんと説明しろ」
『え、えっと…でも…』
「とにかく…入って来い」
『えっ…いや…でも……』
「いいから入れって言ってんだよ!」
『う、うん…』


 こくんっと小さく頷いた男に一つ溜息を吐いて、その受話器を置いた。
 全く…どうして振られた自分が気を遣ってやらなければいけないのか。

 やってられないとは思ったが、仕方が無いので玄関まで行って彼の為にドアを開けてやる。


「ごめん、新一…あの…」
「いいから、とりあえず上がれよ」
「う、うん…」


 下を向いて、目が合わせられないと言外に語る快斗に仕方なく新一はスリッパを出してやって。
 無言で歩いていく。
 後ろからぺたぺたと躊躇いがちに付いてくる快斗に何とも言えない気分になる。


「今珈琲でも淹れて来てやるから座って…」
「俺淹れようか?」


 リビングまで行って、立ち尽くしたままの快斗にソファーを勧めてやれば言われた言葉。
 その余りにも昔のままの口調にカチンと来た。


「いらねーよ。お前はもう…ただの客なんだ。さっさと座ってろ」
「……ごめん」


 謝られて余計にカチンとはきたけれど、そうも言っていられない。
 聞かなかった事にしてキッチンへと向かった。



(怒ってる…よな…)



 快斗は居心地悪そうにソファーへと腰掛けると天井を見上げた。
 新一に気付かれない様に小さく溜息を吐き出す。

 怒って当然だ。

 この間は『俺』として別れを告げ。
 昨日は『私』として別れを告げた。

 なのにどの面下げて今日ここに来れるというのか…。


 それは分かっている。
 分かってはいるが、自分の面子とか、彼にどう思われるかとか、そんな事よりももっと大切な事があった。
 新一の事が心配で心配で仕方なくて。
 昨日の夜あの後来る事も考えたけれど、流石にそれは新一の気持ちも考えて断念して。
 今日朝一番で来たのではあるが―――。


(何て説明したらいいんだ…?)


 新一が心配で勢いでここまで来てしまった。
 けれど、今更気付く。

 彼に一体どう説明したらいいのだろう、と。


(魔女なんて信じてくれるなんて思えねえし…)


 知り合いに魔女が居て。
 その魔女が新一を狙っているから気をつけろ、なんて…。

 何て現実味のない話なのだろうか…。

 そんな事言ったが最後。
 新一の呆れた顔が目に浮かぶ。


(あぁ…くそっ…!)


 イラついて、手近にあったクッションに右手を叩きつける。


「!?」
「あっ…し、しんい…」
「………」


 その現場をキッチンから珈琲を持ってきてくれた新一に目撃されてしまう。
 固まった新一に快斗はしどろもどろになる。
 そんな快斗をなるべく見ないようにして、新一は無言でソファーの前のテーブルに珈琲を置いた。


「し、新一…あの…」
「で、何しに来たんだよ」


 快斗の言葉を聞かず、快斗と視線すら合わせず、新一は快斗の隣に座るとさっさと用件を終わりにするかの様に新一は早口でそう尋ねた。


「あ、うん…あの…」
「………」
「あのさ、何か身体変なとことか…」
「ない」
「じゃ、じゃあ…気分が悪いとか、こう…変な感じがするとか…」
「それもない」
「そ、そっか…。それなら身体じゃなくて、何か変わった事とか…」
「いい加減にしろ。お前、何しに来たんだよ」


 むすっと視線すら合わせないままで新一は怒気を含んだ声でそう言い放つ。
 その言葉は尤もだと思うけれど、正直どう説明して良いのか分からない。
 けれど、ちゃんと説明が出来ないままではここにこのまま居る事も許されないだろう。

 快斗は何とか一呼吸置いて、自分を少し落ち着けると再び口を開いた。


「あのね、新一…。今、新一を狙ってる奴が居るんだ」
「狙ってる奴?」
「ああ」
「組織の人間か?」


 残党は、彼の身体を小さくした組織を潰した時の残党はきちんと処理をした筈だ。
 その残りがいるのかと尋ねる新一に快斗は緩く首を横に振る。


「違う…組織の人間じゃない」
「じゃあ、誰なんだよ」
「それは……」
「それは?」
「……魔女なんだ」
「………は?」


 ぽかんと口を開け、唯々呆然とする新一。
 その反応に快斗もそうだろうと同情してしまう。
 仕方ない。
 いきなり魔女なんて言われて信じられる訳がない。

 何とも言えない表情を浮かべた快斗を、漸くきちんと自分を取り戻したらしい新一は鋭い目で睨み付けた。


「お前は俺をからかいに来たのか?」
「ち、違っ…」
「何が魔女だ! ふざけるのもいい加減にしろよ!
 昨日の今日でそんな訳分かんねえ事言いやがって! 俺を嘲笑いにでも来たのかよっ……!」


 新一が今にも泣きそうな顔をしながら右手を振り上げた。
 それに反射的に快斗は目を瞑る。

 けれど、そのまま数秒経っても痛みを感じる事もなく、快斗は様子を伺いながらゆっくりと目を開けた。


「くそっ…! そんなに俺の事馬鹿にして楽しいのかよ…。
 俺は、俺は確かに……確かにお前との記念日忘れてたよ…。お前があんなに誘ってくれたのに気付かなかった…。
 それは本当に悪かったと思ってる…だけど、だからってこんな……こんなに俺の事馬鹿にする事ねえじゃねえか……」


 振り上げようとした手は力なく下ろされ。
 反対側の手はひたすらに瞳から零れる涙を拭っていた。

 苦しそうに寄せられた眉も。
 赤くなってしまうのではないかと心配になる程強く目元を擦る手も。

 全てが痛々しくて、愛しかった。


「違うんだ…新一。俺は………新一をからかいにきた訳でも馬鹿にしに来た訳でも、ましてや嘲笑いにきた訳でもな……」
「じゃあそれ以外に何があるって言うんだよ!」


 思わず抱き締めようと快斗から伸ばされた手を新一は振り払うと思いっきり叫んだ。

 零れ落ちる涙も。
 ぶつかった腕の痛みにも構わずに。


「何が魔女だよ! 何が狙われてるだよ!
 そんなに……そんなに俺の事苦しめたいなら…もう少しマシな嘘吐けばいいだろ!!」
「新一…俺は本当に…」
「もういい加減にしてくれ! お前の顔なんてもう二度と見たくない! お前の言う事なんてもう聞きたくない!!」


 耳を押さえる様に頭を抱え泣きじゃくってしまった新一を快斗は唯見詰める事しか出来なかった。

 自分が招いた結果だと。
 自分が彼をここまで追い詰めているのだと。

 嫌でも現実を見せ付けられたから。


「……ごめん」
「謝るぐらいなら…出て行け。今すぐ…出てけよ……」


 もう視線すら合わせる事なく、俯き、自分を守る様に頭を両手で押さえたまま新一は拒絶の言葉を口にする。
 そこまで言われれば快斗はもうどうする事も出来なかった。


「分かった…出てくよ……。でも……」
「………」

「でも、本当に気をつけて…」


 最後の最後まで言われた言葉に吐き気がした。
 どこまで馬鹿にすれば気が済むのかと、思いっきり殴ってやりたかったけれど身体は動かなかった。

 もう、動く気力すら残っていなかった。


「ごめんね…。もう二度と…新一の前には姿を現さないから……。じゃあ、元気で……」


 最後の労りの言葉すら新一にとっては地獄だった。


















































 ―――ガチャッ


 ドアの閉まる音がして、漸く新一は顔を上げた。


「げほっ……ごほっ……」


 泣き過ぎたせいか、いきなり顔を上げたからか、せり上げてくるモノを押さえられず思いっきり咳き込む。

 その肺の痛みも。
 熱を持った目元も。

 自分を苦しめてくれる全てのモノが異常に愛しく感じられた。



「………どれだけ、俺の事苦しめたら気が済むんだよ」



 どれだけ期待させて、どれだけ裏切ったら彼は気が済むのだろう。

 あの日、自分で自分を傷つけようとするのを止めてくれた彼。
 今日慌てて自分を心配するかの様な顔で家まで来てくれた彼。

 期待した。
 彼の纏う雰囲気に。

 期待した。
 彼の自分を労わる様な言葉に。

 けれど、裏切られた。
 彼は―――自分の事をからかいに来ただけだった。
 俺の気持ちを…嘲笑いに来ただけだった。



「っ……」



 零れ落ちる涙は最早止めようが無くて。
 堪えても漏れてしまう嗚咽は最早止めようが無くて。

 蹲って泣くことしか出来ない。
 唯、泣き続ける事しか。


 もう――――自分の事を愛してくれた彼は何処にも居ないのだから。


























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