人間とは得てして完璧な人間を嫌うものである

 表面上は羨望の視線を送りながら

 内心ではその存在を畏怖する

 だからそれは必要な事だったんだ…








――迦陵頻伽――









『Neither a whisper of love nor a beautiful flower is needed…』(愛の囁きも綺麗な花もいらない)





「あれは…」


 風に乗りハングライダーを操っていれば微かに聞こえてきた綺麗な歌声。
 それは往年のラブソング。

 それに誘われて下を見ればそこには幾度となく振られ続けている彼の姿。
 今宵は来てくれたのかと口元に笑みを浮かべながら徐々に高度を下げ、そっとその後ろへと降り立った。


「今晩は。名探偵」
「随分遅かったな」


 相変わらず自分には背を向けたまま、フェンス越しに街を見下ろしたまま言われた彼の言葉にKIDは苦笑する。
 まったく…これだから彼は人が悪い。


「貴方が助言なさっていたせいでしょう?」
「さあな」
「相変わらずですね。貴方は」


 本当の事を言ってくれるとは思っていなかったからその話題で敢えてそれ以上の言葉を紡ぐ事はない。

 其れよりも今は相変わらず薄着の彼を暖める方が先。
 幾らもう春だとはいっても、夜風はまだまだ冷たいから。

 コツコツと足音を立てて彼の後ろまで行くと、フェンスを掴んでいる彼の右手に自分の右手を重ねて、左手で彼の腰を抱く。


「離せよ」
「嫌です」
「………勝手にしろ」


 きっぱりと否を唱えれば諦めたのか呆れた様にそう言われた。
 勝手にしろというなら勝手にさせてもらおうとしっかりと彼を抱く腕に力を籠める。

 そのまま暫く彼を暖めて、そしてふと先程の事を思い出した。


「そういえば名探偵…」
「んだよ…」
「綺麗な歌声でしたね」
「!? ……聞いてたのかよ…」
「ええ。しっかりと」


 ちっ、と軽く舌打ちをした新一にKIDは耳元で笑いを纏った声で囁く。


「私が貴方に関して調べた時、貴方は『音痴』だった筈ですが?」

 あの後練習でもしたんですか?

「てめえ面白がってんだろ…」
「もちろん」
「……ムカツク」


 解っている癖にそう言った自分を振り返り肩越しに睨みつけてくる新一にKIDは笑みを深める。

 面白がっているのは事実。
 だってずっと考えていた疑問に答えが見付かったのだから。


「まあ予想はついてましたけどね」

 あの事件で。

「……そうだよなぁ…」


 新一はKIDの言葉に深々と一つ溜め息を吐いた。


「自分でも迂闊だったと思ってるよ」
「それだけ推理に夢中だったのでしょう?」

 貴方は推理になると全て忘れてしまわれますからね。

「……やっぱお前ムカツク…」


 くすくすと笑うKIDに新一は眉をきゅっと寄せて。
 ぷいっと再びフェンス越しの街へその綺麗な瞳を向けてしまう。


「大変ですね貴方も」


 そんな彼の姿に、ぽろっと零れたのはそんな台詞。


「あ?」
「大変でしょう? 出来る事を出来ない振りをしなければならないというのは」


 『音痴』という仮面を被り続けて生きてきたこれまで。
 これから歳を重ねるにつれ、それに関連した事をする機会は減るだろうが、それでも心に負荷が掛かり続けるのは事実。


「別に。慣れればそんなに大変でもねえよ」
「おやおや、絶対音感を持つ貴方がよくそんな事を仰れますね」

 自分自身で聞くのも嫌になるんじゃないんですか?音痴な自分の歌声は。

「………確かに気持ちの好いもんじゃねえのは事実だな」


 好き好んで音を外した物を聞きたいと思う人間はまず居ないだろう。
 大概の人間はそれが音から外れていると認識した時点で嫌悪感ないし、違和感を抱くもの。

 それが絶対音感を持っているものなら尚更の事。


「だから『大変』だと言ってるんですよ」
「………」


 沈黙から推察されるのは自分が図星を衝いた事。


「まあ、気持ちは解らないでもありませんが」
「…?」


 此方を向き、ことんと首を傾げた新一にKIDはクスッと笑う。


「何でもありませんよ」


 言う必要等ない。
 だってそれは『嘘』であり、『真実』を見抜く彼には通じないものだから。


「……ま、別にいいけどな」


 KIDの笑みから何かしら推察したらしい新一はそっけなくそう言って、再び夜の街へと視線を戻した。


「無理はすんなよ?」
「ええ…自分の力量は心得てますから」
「それならいい」


 嬉しかった。
 彼が自分を心配してくれた事がただ単純に。

 だけど情けない事に返せたのはそんなそっけない返事で。

 まったく…何時もの余裕さは何処に消えたのだというぐらいどうしようもなくて。
 必死に笑みを堪えるのが精一杯だった。


「何時か…」


 だからかもしれない。
 こんな無謀とも思える言葉が口を吐いて出たのは。


「何時か私の為だけに歌っては頂けませんか?」

 もちろん貴方の一番好きなラブソングを。

「なっ…///」


 真っ赤になった新一にKIDは微笑んで。
 その真っ赤に染まっている耳元に唇を寄せ囁いた。


「その時を楽しみにしていますよ。私の名探偵v」
「ばーろ! 誰がお前の為になんか歌うか!!///」


 真っ赤になった顔では説得力の欠片もないのに、なんて彼に言ったら余計に怒られそうな事をこっそりと心の中だけに留めて。



「では、また月の綺麗な晩にお会いしましょう」



 最後に耳元に「次回は必ず歌って頂きますからv」と囁いて、ポンッという白煙の中KIDは姿を消した。












 暗い闇の中鮮やか過ぎる白が徐々に小さくなって、そして見えなくなったところで新一は溜息を一つ吐き出した。


「……ばーろ…」


 暖められていた身体から消えた温もりが寂しいと言ったらアイツは笑うだろうか?
 聞いて欲しいが為に歌っていただなんて言ったらアイツは傍に居てくれるのだろうか?


「いい加減…気付けよ……」


 何時だって気障な台詞回しで自分を振り回してくれるくせに肝心な所で踏み込んでこない。
 それは自分がしている事に負い目がある為なのか。
 それともアイツ自身に迷いがあるのか。

 それは解らないけれど、それでも踏み込んでこないのは事実で…。





『Only your warmth is wanted.』(欲しいのは貴方の温もりだけ)





 何時まで経っても伝わらない想いは他人の言葉を借りて、ひっそりと夜の空気へと溶け込んだ。






END.


やっちまった…ι(何)
いや、突っ込んじゃいけないとこなのは重々承知ですが、新一さんなら「意図的に」ってのがありそうだったので。
ちなみに、反転すると歌の(あってるか怪しい)訳が出ますが、こんな往年のラブソングは実在しないのであしからず(爆)

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