叶うなら
貴方達を包み込む空気になりたいの
空気
「あら…お休み中だったみたいね」
すっかりフリーパスになっているお隣を訪ね、リビングに入れば健やかな寝息を立ててソファーで寝ている新一の姿。
そして隣には当然の如く彼に膝枕をしてやっている快斗の姿。
「うん。ごめんね、折角来てくれたのに」
そう言って本当に顔を歪めた快斗に志保は口の端を少しだけ持ち上げて見せる。
「別に構わないわ。寧ろ眠ってくれてる方が私にとっても有り難いもの」
どんなに口煩く言っても自分を大切にしようとしない新一。
志保も快斗もこんなにも新一を心配しているのに。
「そうだね。いつでも新一は無理し過ぎるから」
「ええ」
強い人だから。
優しい人だから。
弱音すら吐かずに何時でも前を向いて歩いている人だから。
何時か壊れてしまうのではないかと、心配で心配でたまらない。
「でも、貴方が来てくれてからこれでも少しはましになったのよ?」
睡眠も。
食生活も。
そして…精神状態も。
快斗が一緒に住むようになって、どれだけ改善されたか分からない。
「志保ちゃんにそう言ってもらえると嬉しいよ」
新一の髪を慈しむ様に優しく撫でながら、快斗は志保に微笑む。
「志保ちゃんにそう言ってもらえると、新一の傍に居る事を許された様な気持ちになるから」
どんなに綺麗な言葉を並べ立てても所詮自分は犯罪者。
本来は一緒に居るべき者ではないのかもしれないと思う時もある。
「馬鹿ね。私は最初から許してるわ」
危険もある。
死ぬかもしれない。
それでも、彼が幸せであるなら良いと思う。
私は彼の幸せだけが願いだから。
「有り難う」
この人は本当に柔らかく微笑む。
裏の顔で犯罪を犯しているなど信じられない程に。
「お礼を言われる様な事じゃないわ。寧ろ…私がお礼を言いたいぐらい」
彼があの時あの薬を飲まなければ私は今此処には居なかった。
そして、その彼を救ってくれたこの人が居なければ私は今此処には居られなかった。
「貴方達には幸せになって欲しいと思っているの」
「志保ちゃん…」
瞳を瞬かせた快斗に志保は少しだけ微笑んでみせる。
「貴方達が幸せになれるなら私は何だってするわ」
彼は私を闇から救い出してくれた。
この人は私に光を教えてくれた。
だから、だから何に変えてもこの二人を見守り続けたいと思ったの。
まるで誓いの様にそう言った志保に快斗は苦笑を浮かべて、緩く首を横に振った。
「俺達は志保ちゃんが居るからこうしていられるんだ。だから、志保ちゃんにはそのままで、ここに居てくれればいいんだ」
夢の様で。
ああ、これは本当に温かい幻の様。
「俺達は志保ちゃんにずっと見守ってて欲しいんだ」
「黒羽君…」
「俺も新一も志保ちゃんのこと大好きだからさ」
「っ――!」
危うく涙が零れるかと思った。
何時だって彼らは温かくて、何時だって彼らは優しくて。
どうしてこんな自分にそこまでしてくれるのか解らなかった。
言葉一つにこれだけ魔力があるのだと教えてくれたのは目の前の魔術師。
『好き』というたった二文字の言葉の持つ絶大な威力を最大限に使う事の出来る人。
思いは真剣に真剣に伝えれば必ず届くのだと、優しく教えてくれた人。
「だからね、志保ちゃんと新一と俺の三人でずっと一緒に居られる事が俺達にとっては一番の幸せなんだよ」
『幸せ』
そんな物きっと一生自分には縁の無いものだと思っていた。
組織に入り、世の中の日陰の部分に身を置き、そこで命ぜられるままに職務をこなした。
理由なんてどうだっていい。
そんな物で弁解したところで、自分がした事は変わらない。
けれど、彼らはそんな自分すら受け入れてくれた。
それはきっと自分にとってこの世で見つけた最高の『幸せ』。
「ありがとう…」
気付けば素直に言葉が零れていた。
今まで数える程しか口にした事の無い言葉。
柔らかく。
優しく。
光が自分を包んでくれた様な気がした。
――私は空気よりも、光に溶け込んでしまったみたい。