幸せ
これ以上はない程に幸せ
だから今――この瞬間に息絶えたい
最高の死期
夜のお仕事で死ぬなんてヘマは有り得ない。
その帰りに交通事故で死ぬなんて余りにもお粗末。
しかも電車なんかに引かれてみたら、偶々関わり合ってしまった人に多大なご迷惑をかける上に、死体は目も当てられない状態だ。
不慮の事故は嫌。
何の準備も出来ないし、綺麗に死ねるか分からないから。
込み入った自殺も嫌。
そこまでしなければいけない何かがあったのだと、周りに思われても困る。
その上「気付いてあげられなかった…」なんてそんなに仲良く無い奴にでも言われてしまった日には目もあてられない。
事故も嫌。
自殺も嫌。
あと思いつくのは病死ぐらいだろうか。
生憎身体は健康そのもの。むしろ裏家業の為に鍛えているからそれ以上だ。
そりゃ病原体ぐらいどこかの病院や怪しげな研究所から持ってくるのは簡単だし、それなりの医療の心得もあるから何とかなるけれど、それも面倒だ。
思いつく方法は数知れず。
けれどどれも実行には程遠い。
死ぬのは何時の日か。
死ねるのは何時の日か。
「ただいま」
「…おかえり」
一瞬の間の後帰ってきた出迎えの言葉。
幸せ。
「もう新一くん、また遅くまで起きてて…。先に寝てていいって言ったでしょ?」
「うるせえよ。お前が帰ってくんのがおせーんだ」
愛する人が自分の帰りを待っていてくれる。
幸せ。
むうっと口を尖らす仕草が愛しい。
幸せ。
「ごめんね、寂しい思いさせて」
「別に寂しくなんかない」
素直じゃない恋人が可愛い。
幸せ。
ぷいっとそっぽを向く姿なんか犯罪級に可愛い。
幸せ。
「ごめんね」
ぎゅーっと彼を抱き締める。
幸せ。
何だかんだ言っても素直に抱き締められてくれる彼が可愛い。
幸せ。
日常に他愛もなく、けれど確実に膨大に溢れている幸せ。
人は中々それに気付かない。いや、気付けない。
俺だってこんな裏家業をしていなかったら、日々命の危険に晒されていなければ気付けなかった幸せ。
日々思う。
自分は幸せなのだと。
日々思う。
自分は幸せ者なのだと。
だからこそ思う。
――今この幸せな瞬間に息絶えたいと。
「快斗?」
ぎゅっと抱き締めたまま微動だにしない俺に違和感を感じたらしい新一に名前を呼ばれたところで我に返った。
「どうかしたのか?」
「ううん。何でもないよ」
君には言えない。
俺は幸せで、幸せ過ぎて―――今この瞬間に死んでしまいたいと願っているなんて。
「何でもないよ。ただ、幸せだなぁって思ってただけ」
「…ばーか」
くすくすと笑う彼に目を細める。
そう、君は何も知らずに笑っていてくれればいい。
―――叶うなら今この幸せな瞬間に息絶えてしまいたい。