例え今日貴方が居なくなっても
例え明日俺が消えてなくなっても
きっと世界は変わらず動き続けていく
天国という幻
消える事は簡単―――そう思っていた。
大切な者は守ってきた―――そのつもりだった。
『黒羽快斗』は消した。
残ったのは『怪盗KID』だけ。
簡単な筈だった。
何ももう残っていない筈だった。
けれど、最期に瞼の裏に浮かんだのは―――あの綺麗な綺麗な蒼。
「っぅ……」
身体中に走った鈍い痛みで目が覚めた。
日の光で一瞬世界が真っ白に見えて、そして其処から世界が色付き始める。
日の光に慣れた目で自分の今居る場所を見詰める。
窓辺では白いカーテンが強い日の光を受け揺れている。
今自分が寝ているベットも布団も白。
そして、床も天井も壁さえも全て真っ白。
「ああ…」
此処が天国なのかと思った。
本当に全て真っ白なのだと。
けれど次に違う疑問が頭に浮かぶ。
「何で俺、こっちに居るんだ?」
自分は罪を犯し続けた。
この手はもう救い様の無い程穢れている筈。
なのにその自分がどうして地獄ではなく、天国に居るのだろう。
「絶対地獄に落ちてなきゃおかしい筈なのに…」
「何一人でブツブツ言ってるんだ?」
「!?」
一人考えに耽っていれば、掛けられた第三者の声に驚いて顔を上げた。
そこには――。
「め、名探偵!?」
―――あの『工藤新一』の姿があった。
「何そんなに驚いてる……って、驚くに決まってるか」
クスッと小さく漏れた笑い声に、より一層瞳を見開いて固まる。
「いつその姿に…?」
「お前がいなかった間に元に戻ったんだよ」
確かに自分はあの宝石を探していて。
日本にはもう無い事が解ったから世界中を飛び回って。
その間に彼の姿が戻ってもおかしくない程、確かに長い時間あちこちを旅していた。
「でも…」
どうして彼が此処に居るのか解らなかった。
どうして彼が此処に……。
「ん?」
「何で名探偵まで天国に?」
「天国…?」
一体何を言っているんだと言う様に首を傾げた新一に快斗は今にも掴み掛からんかの勢いでベットから飛び起きた。
「だって俺は死んで、此処は天国なんだろ!? だったら、お前も死んだって事じゃないか!」
「は…?」
快斗の余りの勢いに新一はパチパチと数回瞳を瞬かせて――。
「ぷ……あはははは!!!」
次の瞬間にはこれ以上面白い事は無いかの様に大声で笑い出した。
「な、何が可笑しいんだよ!」
「お前が死んだって?」
「ああ」
「それで此処が天国だって?」
「ああ、そうだよ」
「ぷ……」
堪えようとして、それでも堪えきれずに笑い続ける新一を快斗はきっと睨み付ける。
「何が可笑しい! お前も俺も死んだんだろ!」
まだパンドラを見つけていなかった。
まだ親父の敵を取れていなかった。
なのに…なのに志半ばで死んでしまうなんて、そんな自分が情けなくて。
「俺は…まだやらなきゃいけない事があったんだ…」
感情を抑える事が出来なくて、涙すら抑える事が出来なくて。
瞳から溢れた涙が頬を伝って一滴真っ白なシーツに落ち染みを作った。
「キッ…」
「俺は、まだ死んじゃいけなかったんだ…」
情けなかった。
自分の不甲斐無さに憤りを覚えた。
何も出来なかった。
何も形にならなかった。
大切な人達を裏切って、全てを賭けて戦ったというのに。
「俺は……何も出来なかった………」
思いが溢れて、一滴一滴とまた涙が零れていく。
泣いても何かが変わる訳じゃない事は解っていたけれど、それでも涙を堪える事など出来なかった。
「キッド」
零れ落ちる涙を手で拭おうとすれば、そっとハンカチを差し出された。
涙で潤む視界でその先に視線を移せば、其処には柔らかく微笑む彼の姿。
「お前はまだ死んでねえよ」
「え……?」
一瞬何を言われたのか解らず、快斗は新一を見詰めたまま唯々固まるばかり。
そんな快斗に新一はもう一度優しく言い聞かせる。
「お前はまだ死んでない。ついでに言うならここは天国じゃない」
「だって…」
巻き込まれた筈だ。あの爆発に。
意識が遠のくのを感じた。
身体が引き裂かれそうに痛むのも。
「お前は確かに重傷を負った。でも、助かったんだよ」
「助かった…?」
「ああ。だから此処は天国じゃない。お前は今此処に確かに生きてるんだ」
それを裏付けるかの様に手近にあった新聞を差し出される。
そこには記憶にあった日付の約三日後の日付が印刷されていた。
「これで信じるか?」
「う、うん…」
何だか今一つ実感がなかったけれど新一の言葉に快斗は頷いた。
けれど其処でもう一つ疑問が湧いた。
「コレを信じるなら俺が寝てたのって三日ぐらいだよな?」
「ああ、そうだな。それぐらいになるか」
「でも、それならどうして病院じゃない場所に居て、しかもそこに名探偵まで居るんだ?」
ベットも壁も床も天井も、全てが真っ白だったけれどそれでもかなり上質なもので。
此処は明らかに病院には見えない。
「ああ、そんな事か」
「そんな事って…ι」
久々に会ってもゴーイングマイウェイなのは変わっていないらしい。
流石は名探偵というか何と言うか。
「ま、俺が此処に居るのは当然って言えば当然だろうな」
「?」
「此処俺ん家だし」
「!?」
本日二度目の驚愕。
寧ろこっちの方がショックが大きいぐらいだろうか。
「お前何やってんだよ! 犯罪者を匿うなんて!!」
「しょうがねえだろ! あのまま病院に運ばれてたら正体ばれてただろうが!」
叫ばれた言葉に身体の方が先にビクっと反応していた。
確かにあの衣装のまま病院に運ばれていれば正体などとっくにばれていただろう。
「それは……。でも、何で名探偵がそこまで?」
理由は正当。
しかし、彼に自分がそこまでして貰う義理はなかった筈だ。
「借りを返しただけだ」
「借り…?」
「俺がコナンだった時、お前のお陰で蘭に俺の正体がばれずに済んだ」
「ああ、あの時の…」
確かに一度彼を助けた。
彼女は彼の正体に疑問を持っていて。
そこに俺が出て行ったから、彼は何とか助かった。
そんな昔の事とっくに忘れていたのに。
「だから、俺は唯借りを返しただけだ」
彼らしい、そう思った。
借り一つ返す為だけに探偵の彼が自分を匿ったのだ。
まったく、律儀というか何と言うか…。
「有り難う御座います」
快斗は一言そう礼を告げると、もう一人の自分へと纏う雰囲気を変えた。
彼が助けたのは彼を助けた『キッド』だ。
それならば、自分は『キッド』でなければならない。
「別に礼を言われる様な事はしてない」
「いえ、私にとっては言う様な事なんですよ」
「……まあいい。それから…」
「?」
「別に無理しなくてもいいからな」
苦笑を浮かべた新一にキッドは首を傾げてみせる。
「無理、とは?」
「だから、無理して装わなくてもいいって言ってんだよ」
無理をして『キッド』として存在しなくてもいい。
そう言ってくれた新一に、けれどキッドは首を横に振った。
「いえ、貴方が助けて下さったのはあくまでも『怪盗キッド』。
だとすれば私が私である事こそが、私が此処に存在していていい正当な理由になる筈ですから」
「…ったく、お前も変な所で律儀だよな」
自分の事を棚に上げ呆れた様に、けれど悪くは無いと言う様にニヤリと笑った新一にキッドもまた同じ笑みを返した。
「名探偵程ではありませんよ」
と、そこまで言ってふと今までのやり取りを思い返して気付く。
「名探偵…。名探偵は先程『借りを返しただけだ』、と仰いましたよね?」
「言ったけど…お前人の声真似律儀にするの止めろよ…ι 同じ様な声なんだから…」
しっかりきっちり、新一の言った部分だけ新一の声にする(声は結局同じ様なモノなので言い方だけだが…)キッドに新一はガックリと肩を落とした。
が、キッドはそれに構わず(…)話をさくさくと(勝手に)進めていく。
「あれは私が借りを返しただけの筈ですが…?」
探偵に、まあ探偵と言うか彼女に鳩の手当てをしてもらった。
だからその借りを返しただけなのに…。
「それを言うなら名探偵は私に借りを返す必要はない筈では…?」
借りを返したことに対して更に借りを返されては自分が一つ借りを作ったのと同じだ。
それはどうなのだろう…?
と考え込むキッドに新一はにこやかに言い放った。
「じゃあ一個貸し、な?」
楽しげににこやかな笑みで言われ、キッドは苦笑した。
「そうですね。それならばいずれこの借りはお返し出来るように…」
「いずれ、なんて悠長な事言わせると思うか?」
「えっ…?」
ふふん、という感じで尊大に鼻で笑ってくれた新一にキッドは新一の顔を見詰めたまま固まった。
「怪我が治り次第、お前にはさっそくその借りを返してもらう」
「………」
言われた言葉が今一つ飲み込めず固まったままのキッドに、新一はにっこりと笑うと、ある意味問題発言をかましてくれた。
「お前と俺で、組織を完全に潰すんだよ」
言われた言葉にキッドは一瞬呆けて、そしてニヤリと笑った。
「名探偵も気付いてらっしゃったんですね」
「当たり前だろ。俺を誰だと思ってやがる」
怪盗も探偵も気付いていた。
自分達の追っている組織の大元は同じ組織だという事に。
けれど、厳密に言えば違う。
きっと内部で様々な役割に別れているのだろう。
それでも、潰したい大元は一緒だ。
「そうでしたね。貴方は私が唯一『名探偵』と認めた方」
「だったら、別にそのぐらい当たり前だろ?」
「ええ」
そうは言いつつも、キッドがソレに気付いたのは最近だ。
もしかすると、気付いたのは新一の方が先かもしれない。
そう思うと、感心する半面、何だか悔しい気もする。
「という訳で、お前にはそれを手伝ってもらう」
「名探偵…」
「ん?」
「私の事を……嵌めましたね?」
彼は借りを返しただけだと言った。
けれど、キッドが、『アレは自分が借りを返しただけだ』という事を言う事も『だったら一個貸しな』とキッドに貸しを作り、それを本人に認めさせる事も。
全部全部計算されつくした企み。
「当たり前だろ」
華の様な笑みで、そう言って見せた新一に、きっと一生敵う事はないだろうと、キッドは天を仰いだ。
「………それって……完全に貴方が彼を嵌めただけじゃない」
「いいだろ。俺が助けてやったんだ。俺のために働かせて何が悪い?」
「………」
哀の研究室で淹れてもらった珈琲に口をつけながら、新一はしれっとそんな事を言い放って下さった。
その様子は……さながら女王様だ。
「貴方って、時々とっても横暴よね」
「何とでも言え」
あの怪盗を追い詰める程の推理力と、持って生まれた美貌。
黙っていれば、優等生で良い子の警察の味方『平成のシャーロックホームズ』だ。
けれど、こうやって尊大にしている姿は正に女王様。
それでも日々工藤新一信者が増大していっているのだから…世の中というのは謎だと哀は時々遠い目をする。
「本音は違う癖に」
「何だよ、それ」
「本当は…何でもいいから理由を付けて、彼の傍に居たかっただけでしょう?」
「……別に、そんなんじゃねーよ……」
ぷいっとそっぽを向いた彼の耳がほんのり赤い事で、哀は自分が図星を突いたのだと確信した。
全く、本当にこの探偵は素直じゃない。
彼が怪我をしたと、真っ青な顔で飛びこんで来たのはつい先日。
治療中も、それこそ治療後も。
彼の傍に張り付いて離れなかった。
その理由を哀は敢えて聞かなかった。
否、聞かなくても分っていた。
前々から、彼があの怪盗を酷く気にしていた事を知っていたから。
「そんなんじゃ、いつか嫌われるわよ?」
「えっ…?」
慌ててこっちを向いた新一の必死な顔に、哀は笑いだしたいのを堪えつつ、言ってやった。
「怪盗さん、とってもモテるみたいだから」
「……知ってる」
むぅっと寄った彼の眉に、余計に笑みを誘われたが、何とか耐えて。
哀はちらっと時計に視線を移した。
「そろそろ帰った方がいいんじゃない? 怪盗さんが寂しがるわよ」
「…そうする」
さっきの『嫌われる』が響いたのか。
ちょっとばかし、暗い影を背負って、新一はそう言って哀の研究室を出ていった。
その後ろ姿に哀は溜息を吐く。
「全く……そんなに好きならまともな『告白』をすればいいのに……」
あの真っ直ぐな瞳を持つ名探偵は、推理以外は、特にこの手の事には酷く不器用だ。
だから、きっとこんな回りくどい手を使ったのだろうが……。
「……羽根、もいであげようかしら……」
あの真っ白な鳥が飛べない様に。
飛べずに、ずっと彼の傍にいるしかない様に。
物騒な事を呟いて、哀は一人ひっそりと笑った。
探偵に救われた怪盗が、探偵に恋をするのか。
素直じゃない名探偵が、ちゃんとまともな告白が出来るのか。
――――それはまた、別の話し。