冷たいアイスブルーの瞳
魅せられた
急かされた
その瞳に―――俺は壊された。
―― アイスブルー ――
夜の帳が下りた頃ひっそりと息をする。
この時間こそが俺の時間。
此処からが俺の空間。
何時からか昼の日の光よりも夜の月の光を求め。
何時からかゆったりと流れる青空の雲よりも月を覆い隠すずっしりとした重い雲を求めていた。
夜に生きる事。
それは夢の中に生きる様。
フワフワとした現実感のない夢幻の中で俺は唯々―――生きるという夢を見ていた。
「これはこれは名探偵、今宵は私のステージを態々見に来て下さったのですか?」
「…別に来たくて来たわけじゃねえし、ましてやお前のショーを見に来た訳でもねえよ」
深夜のビルの屋上。
一見、怪盗紳士と呼ばれる彼には相応しくない場所。
けれどこの場所が一番彼を受け入れ、そして一番彼を美しく幻想的に見せる事を探偵は知っていた。
その舞台で怪盗が優雅に一礼して見せたのに対し、探偵はその姿を一瞥しただけで夜の街へその冷たい水を湛えた湖の色をした瞳を移してしまう。
「それは残念。今宵は私は貴方にお会いする事だけを楽しみに此処まで来たというのに…」
「よく言うぜ。今宵もお前の求めるお姫様を探しに来ただけだろ?」
怪盗の口説き文句とも取れる言葉を軽く受け流し、そして探偵は口元に小さく笑みを浮かべる。
探偵は怪盗の目的など当の昔に知っていて。
怪盗は探偵がそれを知っていながらどうするつもりもない事を知っていた。
「いいえ。それも確かに一つの目的では在りますが、私が先程述べた事もまた真実ですから」
「…何が真実だよ。それは軽々しく使うような言葉じゃない」
ゆっくりと街の明かりを取り込んだ冷たい蒼の瞳が再び怪盗へと向けられる。
その時、その瞳の中に僅かな怒りとも悲しみとも付かない静かな蒼い炎が揺れているのを見る事が出来たのは怪盗だけ。
「私は軽々しく言っているつもりはありませんが?」
「俺には軽々しく言っているように聞こえる」
「…それは貴方が『真実』を聞くのを恐れているから」
「何?」
揺れる。
小さく穏やかに揺れていた蒼い炎がじわじわと、けれど着実にその揺れ幅を大きくしていく。
「貴方は真実を聞く事を恐れている。あの日から貴方は――」
「分かった様な事を言うな!」
声を荒げた探偵に満足そうに怪盗は笑う。
「それが貴方の『真実』ですよ、名探偵殿」
「っ…!」
その言葉で探偵は漸く我に返り、そしてそれこそが怪盗の狙いだった事に気付いた。
「その怒りこそが真実。その瞳こそが真実。貴方の中の『真実』は貴方が一番良くご存知の筈」
「……煩い」
「そろそろ認めたら如何です? 貴方の中の真実を…」
「煩いと言ってるだろ!」
怪盗の狙いなど探偵は当に分かっていた。
けれど『分かっている』=『対処できる』という図式が成り立たないという事はそれよりも深く知っていた。
「貴方がどうしても認めたくないというのなら私が全てを認めさせて差し上げても宜しいのですよ?」
「…余計なお世話だ」
「いいえ。それが貴方と私お互いの為…」
「違う! 俺は……俺は―――」
それ以上怪盗を見詰めている事など出来なくて、探偵は怪盗から再び視線を外した。
けれど―――。
次の瞬間には視界と感覚は真っ白な温もりで満たされていた。
「なっ…!」
「嫌なら逃げればいい。私を突き飛ばしてでもこの腕の中から逃げればいい」
「っ………」
振り切る事など簡単で。
突き飛ばす事など単純で。
けれど包まれた純白の白さは思った以上で。
包まれた温もりは余りにも心地良くて。
突き飛ばす事も、振り切る事も結局は出来ず、そしてあろう事か―――そのままその温もりに包まれていたいと思ってしまった。
「だから嫌だったんだ…」
「何がです?」
腕の中から上目遣いにじっと自分を見詰めてくる探偵に怪盗は首を傾げた。
「お前に関わったらこうなると思ってた。だから嫌だったんだ」
むぅ…と少しむくれて見せた探偵に怪盗は笑う。
今更そんな事を、というその代わりに。
「そんな事は最初から決まっていた事ですよ名探偵」
小さくウインクして見せた怪盗の一つだけの瞳は冷たい冷たい氷の様な―――アイスブルーの瞳だった。