親愛なる貴方へ。今俺は何を叫べばいいのか。
親愛なる貴方へ。今俺は何を想えばいいのか。
誰よりも大切で誰よりも愛しい人。
貴方が居たから―――私は今まで生きてくる事が出来ました。
親愛なる貴方へ
「ああ、今日は…」
カレンダーを見て思う。
今日は彼と彼の大切な日。
痛くて、苦しくて、いっそ死んでしまいたいと思う程、きっときっと大切な日。
「もう出かけているんでしょうね」
彼の行動は変わらない。
去年も、一昨年も、そしてきっとこの先もずっと。
「それ程に…」
きっとそれ程に大切で、きっとそれ程に愛しくて。
まるで『比翼の鳥』。
片翼をなくしてしまったら死んでしまうという伝説の鳥の様。
けれど、それでも彼は生きている。
彼は彼を護ったから。
「それでも幸せなのかしら…」
毎日繰り返す行動。
朝コーヒーを入れる事も。
昼レモンパイを焼く事も。
夜推理小説を読む事も。
全て、行動全てが、人生全てが彼に繋がるもの。
「きっと、彼は幸せね…」
毎日、それこそ一秒たりとも彼を彼が忘れる事はない。
四六時中彼の事を考え、彼の為に行動する。
それは傍から見たら彼に一生縛り付けられているという『不幸』な事なのかもしれない。
けれど、もしも本人が気付いていないとしても、きっと彼は『幸福』。
――――だって、大切な、大切過ぎて堪らなかった『彼』に一生を捧げられるのだから。
「ん…」
朝の日差しが窓から差し込んできて、その眩しさで目を覚ます。
朝の日の光を爽やかだという人間が居る。
けれど、俺にとってそれは幸福な夢の中から自分を追い出してしまう憎むべきもの。
「朝か…」
ゆっくりと瞼を開き、そして隣に彼の姿がないのを確認してまた今日も絶望から一日が始まる。
毎日、毎日確認してしまう。
もう彼が居ない事は分かりきっている。
もう五年近くもこの生活を続けているのだから。
それでも朝起きるたび、目を開くたび、彼の姿が隣にないか確認してしまう。
それが更なる絶望を呼ぶ事を知っていながら。
「おはよう…新一」
ベットサイドのテーブルに置いてあるフォトスタンドの中、笑いかけてくれている彼に朝の挨拶をする。
毎朝きちんと彼に挨拶をする。
だって彼は俺の一番大切な人。
「さて、と。朝食の準備でもしますか」
今朝もトーストとサラダにコーヒー。
彼が尤も多くとった朝食のメニューだ。
――サクッ…サクッ……。
一人で食べる朝食は思った以上に寂しい。
嘗ては一人で食べる事を何とも思わなかった筈なのに、今ではその行為が酷く冷たく心を凍らせる。
――バサッ…。
新聞を開く音すら酷く大きく響く。
朝食の時に新聞を読む。
嘗ては彼のこの行動に俺はよく怒っていたものだった。
けれど今では自分がその行動をしている。
そうしなければ、この寂しさに耐えられないから。
一人で朝食を済ませ、その片づけをし、テーブルを拭く。
寂しい事この上ない。
切なくて切なくて、時々このまま狂ってしまうのではないかと思うことすらある。
けれど、それすらも心は赦してくれない。
狂う事も、忘れる事も叶わない。
唯、毎日彼を想い彼の為に生きるしか俺に残された道はなかった。
休みの日の昼は出来る限りレモンパイを作る。
彼が好きだったもの。
彼が『美味しい』と笑ってくれたもの。
――サクッ…。
けれど、一人で食べるそれは何の味もしない。
彼の為に作った。
――けれど食べてくれる彼は居ない。
『美味しい』と言ってくれた。
――けれどもう笑ってくれる彼は居ない。
口の中に広がるパイの皮が口の中の水分を吸い取り口内が乾いていく。
同じ様に心も乾けばいいと思った。
夜は彼がしていたように小説を読む。
彼が好きだった推理小説を。
コナン・ドイルを筆頭に、アガサクリスティー、エラリー・クイーン、ダシール・ハメット……。
好きでもなかった推理小説に日々詳しくなっていく。
彼が生きているうちに読んでいればもっと色々話せたかもしれない、そんな事を考えながらページを捲る。
小説に出てくる優秀な探偵達。
けれどその誰もが、かの有名な名探偵には敵わない、そう思う。
嘗ての自分をギリギリまで追い詰めた稀代の名探偵。
あの冷たいアイスブルーの瞳で射抜かれた。
探偵に魅入られた怪盗なんて本当に冗談にもならないのに、そんな冗談みたいな恋をしてしまった。
それは『平成のルパン』最大の失敗かもしれない。
けれど、その失敗こそが『黒羽快斗』の人生で一番の『幸福』になった。
「新一…」
一分でも、それこそ一秒でも忘れる事の出来ない人。
有り得ない筈の出会いをして、有り得ない筈の恋をした。
『探偵』に恋する『怪盗』なんて今時三文小説にも出てこない。
そんな三文小説以下の状況でした恋は異常な程に熱を帯び、そして二人の心を焦がしてしまった。
あれ程盲目的に人を愛せた事は無かった。
あれ程盲目的に人を愛せる事はもう無いだろう。
本当に彼だけが『運命の人』だった。
幸せだった。本当に。
幸福だった。切実に。
『幸せ』という言葉の持つ本来の意味を彼といて知る事が出来た。
『愛』という言葉の本当の重みを彼といて実感する事が出来た。
あの時は目の前の幸せに夢中で、将来もその幸せが続くものだと盲目的に信じていた。
何も考えていなかった。
まさかあんな事になるなんて思いもよらなかった。
―――彼をあんな一瞬で失ってしまうなんて、本当に予想できなかった。
『今夜も楽勝、と』
あれはもう十年近くも前。
白いマントを翻し、夜の闇を翔けていた頃。
『さてと…今夜のお姫様はどうかな』
その日の獲物である『レッド・ブラッド』を月に翳そうとした時、
―――バァン!
一つの乾いた音と、そしてその後のどさっという何かが倒れる様な音。
あれは一生耳に張り付いて離れない音。
『!?』
物音に振り返った俺の視界に広がったのは…、
『新一!!』
愛しい愛しい人が血の滴るわき腹を押さえ、冷たいコンクリートの上に倒れこんでいる姿だった。
『新一! 新一!!』
『ばーろぉ…。うっせーんだよ…』
急いで彼の元に駆け寄れば、めんどくさそうに、煩そうにそう言われた。
けれどそれが彼の強がりである事は彼の身体の下に出来た血溜りが物語っていた。
『新一、今すぐ救急車…』
『駄目だ!』
助けを呼ぼうと立ち上がりかけた俺の腕を新一は力の入らない腕で、それでも強く掴んだ。
『こんな状態で助けを呼べる筈ねえだろうが』
深夜の屋上。
わき腹には弾丸。
一人ならいざ知らず、快斗まで居ては言い訳に困る。
『それなら新一の声で…』
俺が居て困るというのなら、助けを見届けてから立ち去ればいいと思った。
新一の声を真似て助けを呼べばなんら問題はない。
『もう…間にあわねえよ……』
口元に浮かべたシニカルな笑みと吐き出された言葉に快斗は息を飲んだ。
『もう間に合わない。自分の身体の事は自分が一番よく分かる』
『でも新一…!』
『余計な事言ってねえでさっさと俺の事は置いて逃げろよ』
『そんな事出来る訳ないだろ!!』
そんな事出来る訳が無い。
愛しい愛しい彼を置いて、自分だけ逃げる訳にはいかない。
『出来なくてもやんなきゃいけねえんだよ。さっきの銃声を聞きつけた警察がきっと直ぐ来る。その時にお前が居たら不味いだろ』
『でも…!』
『いいんだよ。俺はもう助からない。だから置いていけ』
『嫌だ!』
『ばーろ。俺は死ぬ時までお前の足手まといにはなりたくねえんだよ…。それぐらい察しろ、バ快斗』
『新一…』
少しむくれて見せた彼が自分に寄せてくれている愛情の深さをより知った気がした。
こんな残酷な時に。
けれど、それでも彼を置いて自分だけ逃げるなどもっての他だった。
『出来ない』
『快斗…』
『例え俺が捕まろうが新一を此処に置いて逃げるなんて絶対に出来ない』
『ばーろぉ…』
涙に潤む新一をそっと抱き締めた。
その身体は夜の風で冷えた以上に冷たい気がした。
『好きだよ快斗』
耳元に響いた音。
今までどれだけ強請っても言ってくれなかった言葉。
『愛してた』
過去形に語られた言葉。
それが酷く心に痛かった。
『だから、俺の事は忘れろ……』
それが最後。
彼の最後の残酷な願い。
忘れる筈など、忘れられる筈などないのに、彼はそれを願った。
「忘れるなんて出来ないよ…新一」
彼と自分が微笑んでいる写真を見ながら呟く。
忘れられる筈が無い。
誰よりも大切な大切な貴方を。
「忘れるなんて出来ない」
そう、忘れるなんて出来る筈もないし、忘れるつもりもない。
だって彼は俺が愛し、そして俺が殺した『親愛なる人』。
「今年もまた…会いに行くよ」
明日の事を思い、ゆっくりと眠りについた。
「ん…」
また朝目を覚ます。
変わらない絶望の朝。
「今日か…」
今年で丁度五年。
月日の流れるのは日々遅く、けれど流れてしまえばそれはとても早いものの様に感じた。
「ふぅ…」
今日もまた同じ日を繰り返す。
朝は彼の好きだった豆でコーヒーを淹れ。
昼は彼の好きだったレモンパイを焼き。
そして夜は……。
「今年も来たよ」
深夜の屋上。
足を踏み入れたのはあれからもう何度目か。
『何だよ、また来たのかよ』
そんな彼の声がこの場所に来ると聞こえるような気がする。
「ごめんね、新一。今年もまた来ちゃったんだ」
『ばーろ。忘れろって言っただろ』
彼の最後の願いはは何年たっても叶えてはあげられない。
白い魔術師はもういないから。
「ごめんね、新一。約束…果たせそうにないや……」
零れる雫。
溢れる想い。
けれど、どれだけ想ってもどれだけ泣いても彼が帰ってくる事はない。
親愛なる貴方へ。今俺は何を叫べばいいのか。
親愛なる貴方へ。今俺は何を想えばいいのか。
誰よりも大切で誰よりも愛しい人。
貴方が居たから―――私はこれからも生きていく事が出来ます。