もしも、もしも万が一
自分の寿命が尽きる日が明日だとしたら
そして、その日を、その時間を
どう生きるのかを選べるのだとしたら
貴方はどんな最期を選びますか?
最期の日
「ねえ、新一。新一は明日もしも自分が死んでしまうと分かったら、最後の日は一体どうやって過ごす?」
ありがちな設定の映画――主人公が死を宣告され、その日までを追った様な映画――を金曜ロードショーで眺めていた後、そんな風に快斗から質問を投げかけられた。
全く、何て質問をするのだろうか。
「あのな、幾ら余命どれ位だって言われたって、明日死ぬかどうかなんて厳密な事分かる訳な…」
「そういう意味じゃないよ。俺が言いたいのはそういう意味じゃない」
何て馬鹿な質問をするのかと、言いかけた新一に快斗はその言葉を遮って言葉を紡いだ。
「例えば余命三ヶ月だって言われて、その日までどう過ごすのかとか、そういう事を言いたい訳じゃないよ。
俺が言いたいのは…そうだなぁ……例えば明日地球が滅びてしまうと分かったら、その最後の日を新一はどうやって過ごしたいのかって事」
ゆっくりと言葉を選ぶ様に慎重に話し終えた快斗に新一は思わず笑ってしまった。
「あのな、それこそ明日地球が滅びるなんて事分かる訳ないだろ」
「例えばだよ。あくまでも、例えば…の話」
そんな新一につられる様に慌てて苦笑した快斗に新一はただ一言言い放った。
「家に篭城してホームズを読み漁るだろうな」
「…最後の日に?」
「そう。最後の日に」
「そっか…」
新一の言葉を確認した途端にがっくりと項垂れた快斗の様子に、新一は首を傾げる。
「俺、何かおかしな事言ったか?」
「……いえ、おかしな事は言ってません」
「じゃあ何でそんな顔するんだ?」
「………」
全く分からない、そういう様子の新一に快斗はただ溜息を吐く。
「そうだよね…。新一にとってはそれが一番だもんね…」
「…だから一体何なんだよ」
快斗の言いたい事なんて全く分かっていない新一はそんな快斗の態度にむうっと眉を寄せた。
「別に何でもないです…」
「何でも無いような顔はしてない」
「……もぅいいんだってば」
「お前は良くても俺は良くない」
半分拗ねた様に言う快斗に、新一はあくまでも冷淡に対応する。
新一に言わせれば、はっきりと言わない快斗が悪い。そう、絶対に悪い。
新一の眉が余計に寄ったのを確認すると、快斗はもう一度溜息を吐いた。
こういう時の新一は、自分が求めている回答を得られないといつまでもその話しから離れてはくれない。
それを嫌という程快斗は知っていた。
そう、もうここまで来たら腹を括って話すしか快斗には術は無かった。
「新一にとっては、あくまでも一番はホームズなんだなって思ってさ」
「…ホームズが一番じゃいけないっていうのか?」
途端に新一の瞳に浮かんだ恐ろしい色に恐れをなして、快斗はとっさにフルフルと首を振った。
「いや、だからそういう訳じゃないんだけど…」
「じゃあ、一体どういう訳なんだよ」
はあっと重く、再び溜息を吐いて、快斗は仕方なく、といった感じで口を開いた。
「いやね、俺にとっての一番は新一だけど…新一にとっての一番は俺じゃないんだなって思っただけですよ」
若干口調が拗ねたモノになったのは、わざとではなく本心からだ。
結局新一にとっては、事件だとか、ホームズだとか、そういう知的欲求を満足させてくれるモノが一番なのだ。
もしかしたら、キッドになれば、あるいは暗号の一つも渡せば、一緒に居たいと思ってくれるかもしれない。
けれどそれはあくまでも『怪盗キッド』と一緒に居たいという事で、『黒羽快斗』と一緒に居たいという意味ではない。
最後の日に。
明日自分が死んでしまうと分かっている最後の日に。
恋人と一緒に過ごしたいと望んで貰えないなんて何て寂しい事なのだろうか。
尤も…そんな感情をこの目の前の名探偵に望んではいけないのかもしれないが…。
「…お前、それで拗ねてたのか?」
まるっきり馬鹿にした様な新一の言い方に、快斗はムッとして思わず声を荒げた。
「ああ、そうだよ。新一にとっては俺なんかより、事件とか、ホームズの方が大事なんだろ!」
「………」
言ってから、快斗はバツの悪さに唇を噛み締めた。
全く、本当にみっともない。
そんな事は最初から分かっていた事だった。
推理馬鹿で、稀代の名探偵で。
謎と推理と真実が大好きで。
事件と聞けば何の最中だってそれを放り出して行ってしまう。
そんな人だと最初から知っていたのに。
それでも…と何処か期待してしまっていた自分に今更ながらに笑えて来た。
最初はそれでも良いと思って付き合った筈なのに…。
ああ、人は…何て貪欲な生き物なのだろう。
「ごめん。今の、聞かなかった事にしておいて」
言ってから後悔するなんて何て無様なのだろうと思う。
でも、無様な自分を晒してしまうぐらい、今は彼が大切で堪らない。
ソレも何だか悪くない様な気がしてくるから、最近の自分は始末に終えないのだけれど。
「……何勝手に話しを終わらせようとしてるんだよ」
話しの切り上げついでに珈琲でも淹れて来ようとソファーから立ち上がった快斗のシャツの裾を新一は軽く引っ張る。
その姿がやけに幼く可愛らしく見えるのは、快斗の恋人としての贔屓目からか。
「だって、終わりだろ?」
「まだ終わってない」
「もう終わりだと俺は思うけど?」
「俺はまだ言いたい事を言い切ってない」
軽く引っ張っていただけの手に更に力が籠められた。
快斗はそんな新一の様子に口の端を少しだけ持ち上げて苦笑を浮かべると、仕方なくもう一度ソファーに腰をかけ直した。
「聞こうじゃないですか。新一君の言い分を」
我ながら嫌味な言い方だ、と快斗は思う。
それでも、こんな状況なら仕方ないとも思う。
「……俺は確かに、事件もホームズも好きだよ」
少しだけ、顔を俯かせ気味に、そう言った新一に何だか酷くムッとして、快斗はその顎に手をかけると無理矢理上を向かせ、自分と目線を合わせさせた。
そんな普段なら絶対に快斗がしない様な動作に戸惑う様に揺れた新一の蒼い瞳を無視して、快斗は冷淡な瞳で新一を見詰め言い放つ。
「そうだよね。新一は俺より事件とホームズのが好きなんだろ?」
「ちがっ…」
「違わないよ。だって、新一は最後の最期まで俺よりホームズを選ぶんだろ?」
遮る為に紡がれた言葉を、更に強く遮って。
快斗は冷静に、新一を追い詰めていく。
「じゃなきゃ、さっきみたいな言葉出る筈がない」
もしも、もしも快斗の事が事件よりも、ホームズよりも好きならば、さっきの質問の時、こう言ってくれた筈だ。
『お前と一緒に居たい』
そう言ってくれるかもしれないと、淡い期待を持ってしまった自分がいけないのか。
それとも、恋人と一緒に最期の日を過ごしたいと望んでくれない彼がいけないのか。
それはきっと、どちらもそうなのだろうけれど。
「…違う」
「…何が違うわけ?」
じっと、冷淡に新一を見詰めて居た瞳を、今度は新一がじっと見詰めた。
泣き出しそうなのに、それをじっと堪えた酷く切ない瞳で。
「……俺はお前より、事件とかホームズが大切だなんて一言も言ってない」
「でも、最後の日は、家に篭城してホームズを読み漁るんだろ?」
「………」
確かに、快斗よりホームズが大切だ、という単語は吐いていない。
それでも、その発言はつまりそれと同様ではないのか。
言外にそう尋ねる快斗に、新一は一度視線を伏せたが一つ溜息を吐くと、再び快斗の瞳に視線を合わせた。
「…確かに家に篭城してホームズを読み漁るって言ったよ」
「だったら…」
「その家には、今俺と、誰が居るんだよ…」
それだけ言って、ぷいっとそっぽを向いた新一に、快斗は一瞬新一の言いたい事が分からなくて固まってしまった。
ホームズが読みたくて。
家に篭城して。
その家には今新一と…。
「…俺?」
「回答を疑問系で言うな」
力の抜けた快斗の手を乱暴に振り解くと、新一は身体ごと、快斗からそっぽを向いてしまう。
それも照れ隠しなのだと、快斗には直ぐに分かってしまうのだけれど。
「ねえ、それってもしかして…最後の最期まで俺と一緒に居たいって思ってくれてるって…」
「快斗。もう珈琲が無い」
決定打を尋ね様とした快斗の言葉を遮って、新一はマグカップを快斗に向かってずいっと差し出した。
「さっさと淹れてこい」
「でも、新一最後までちゃんと…」
「今直ぐ淹れて来ないと、この場でこの家から蹴り出すぞ?」
にっこりと――お隣の某誰かさんからは「エンジェリックスマイルならぬ、デビルスマイルよね」なんて揶揄される笑顔で――微笑んでやれば、快斗は途端に慌ててマグカップを新一の手から受け取った。
「淹れてきます! 今すぐ淹れて来ます!!」
「ん。よろしく」
「はい!!」
すっ飛んでいく、という表現が正に適切であると思わせる様なスピードで、キッチンへ向かった快斗に新一はクスッと忍び笑いを洩らした。
「バーロ…。本当は最後の最期までお前と一緒に居たいだなんて…恥ずかしくて言えるかよ」