苦しげに歪む顔が
 余りにも美しくて

 悲しげに潤む瞳が
 他に代わりの無い極上の宝石で

 苦しめて
 悲しませて
 目一杯傷付けて

 それでも
 貴方を愛しているなんて

 余りにも真実味が無さ過ぎると思いませんか?










  Broken love










「…お前、こんな事して……何が、、…楽し、いんだよっ……!」


 苦しげに、それでも精一杯吐き出される探偵の言葉に怪盗は酔いしれる。
 ソレはまるで、これ以上無い極上のオルゴールから搾り出される最後の一巻きの旋律の様。


「貴方の顔が苦しげに歪むのが見たいだけですよ」


 言った言葉は真実なのに、彼の瞳には異常者を見る様な軽蔑の彩が移る。
 確かに狂っているのかもしれない。
 彼を好きで、どうしようもなく愛しているというのに、こんな姿をこんなにも渇望しているのだから。


「…そ、れだけで……?」
「ええ。それだけです」


 ドクドクと指に感じる彼の鼓動が、吸おうとして息を吸い込む事の出来ない喉が、苦しげに訴えかけてくる。
 それでもまだ手に込める力を緩める気が起きない。


「貴方の顔が苦しげに歪んで、貴方の瞳が切なげに涙で潤むのを見るのが堪らなく好きなんです」


 きっと今、自分は世界で一番幸せな笑顔を浮かべているのだろう。
 そして今、彼はきっと世界で一番憎しみの籠もった瞳で自分を見詰めているのだろう。

 そう考えると余りにも幸せ過ぎて、発狂しそうだった。


「…そ、、れで……お、れ……を………」


 殺すのか、そう言葉が紡がれる前に限界を感じ取った怪盗は名残惜し気にゆっくりと探偵の首から手を離した。
 指先に感じていた彼の苦し過ぎる程逼迫した血の流れを手放すのは本当に名残惜しかったのだけれど。


「別に貴方を殺そうなんて思ってはいませんよ」


 ぜえぜえと苦しそうに漸く吸うことの出来た酸素を処理しようとしている探偵を見詰め、怪盗は柔らかく微笑む。

 それはまるで、彼に幸せを与えに来たと言わんばかりの余りにも優し過ぎる笑顔。
 その笑顔は、さっきまで首を絞められていた事すら夢なのではないかと探偵が思ってしまった程、柔らかく、そして人智を越えた崇高さを湛えていた。

 その笑顔に一瞬騙されそうになって、探偵は慌てて頭を振った。


「殺そうとしてない人間の首をお前は絞めるのかよ」
「だから、殺すまで絞めてはいないでしょう?」
「………」


 一体何の問題があるのかと、真顔で問われて、探偵は返す言葉すら見付けられず黙りこくった。
 まるで感情の性質が違う生き物と話している様な、奇妙な感覚に捕らわれる。

 尤も、本当に感情の性質自体が彼とは違うのかもしれないが…。


「貴方を殺す気なんて毛頭ありませんよ。私は貴方を愛しているのだといつも言っているでしょう?」
「恍惚とした表情浮かべながら人の首を絞める奴にそんな事言われて信じられる訳ないだろうが!」


 サラリと、到底信じる事の出来ない愛の告白をして下さった怪盗に、探偵はまだ整わない息を精一杯吐き出しながら叫んだ。
 そんな心からの罵倒とも言える言葉にすら、怪盗は楽しげに笑って見せる。


「別に信じて欲しいなんて思っていませんよ。こんな現実味のない愛情など貴方に信じてもらえるなんて思っていませんから」


 言いながら、怪盗は思う。
 いつか…彼を殺してしまいかねない、と。

 彼を愛しているのは嘘偽りのない真実。

 彼が笑う顔は綺麗だと思う。
 彼が推理する時に浮かべる顔は美しいと思う。

 それでも…彼が苦しげに浮かべる表情は、彼の揺れる瞳は、他のどんな表情よりも美しく怪盗の瞳に映り込む。

 でも、一度だけにはしたくないから。
 彼を殺してしまいたい訳ではないから。
 いつもギリギリの所で手を離す。

 それでも、貪欲になり過ぎた心は毎回の様に更なる欲望で怪盗を食らい尽くそうと企んでいる。


『彼の最後の最期の苦しげに歪み切った顔が見たい』


 余りにも歪み過ぎた愛の形の集大成がそこにはある様に感じられる。
 余りにも醜く、余りにも甘美過ぎるその欲望を毎度毎度どうにか沈めてきたけれど、それでもこれから先どうなるか正直分からなくなって来てしまっている。


「ねえ、名探偵」
「何だよ」

「いつか貴方を殺してもいいですか?」


 歪んだ言葉を発した瞬間、自分の中の欲望が一気に増した気がした。



『彼の苦しむ顔が見たい』

『彼の憎しみと悲しみが入り混じる瞳をもっと見詰めたい』

『彼の身体も、鼓動も、心も、全て自分が支配してしまいたい』


『カレヲコロシテジブンダケノモノニシテシマイタイ…』



 次から次へ本能の様に湧いてくる欲望。
 押し止めるのが苦しい程に、理性を飲み込もうと虎視眈々と自分の中の暗い部分で計画を立てているソレ。
 でも、それもそろそろ厳しいのかもしれない。


「ばーろ。俺が素直に『ああ、いいぜ』なんて言うとでも思ってんのかよ」
「いいえ。そんな馬鹿な事思ってはいませんよ」
「だろ? 俺はそんなに素直に殺されてなんかやらねえよ」


 ふん、っと少し怒った表情を浮かべてそっぽを向いた新一をキッドは愛おしそうに見詰める。

 そう、それでいい。
 そのままでいい。

 そう思う。
 彼にはずっとこのままで居て欲しいと。


「そうですね。そのほうが…」


 嬉しそうに微笑を浮かべながら、キッドは言葉を切った。
 それに新一が首を傾げる。


「その方が?」
「いえ、何でも」
「何だよ」
「その方が、名探偵も長生き出来るかと思いまして」
「ばーろ。そうじゃなくても、俺は長生きしてやるっての」
「そうですね」


 楽しそうに笑ったキッドに、新一も思わず苦笑する。
 話している内容は全く笑い事になんかならないのに、この怪盗にかかってしまうと何だか全てマジックの様に楽しい事に思えてしまうから不思議だなんて思いながら。















 だから知らない。










 本当は怪盗が何て言おうとしていたかなんて…。




















 『そうですね。そのほうが……ずっと貴方の苦しむ美しい顔が見られますからね』



















end.



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