『貴方だって人殺しじゃない!!』 そう…言われた言葉は間違っていないんだ。 俺は…俺のこの手は…もう汚れてしまっているから…。 【04.自己満足(後編)】 俺は『江戸川コナン』から『工藤新一』に戻る為、灰原と協力して組織を潰した。 けれど、その組織は思っていた程小規模な物ではなくて…実は世界を股に駆けた相当大きな物だった。 その為に…潰すのに流石の新一…いや『江戸川コナン』と『灰原哀』と言えども相手を無傷で…とはいかず…。 多数の死傷者を出す結果になってしまった。 それが俺達の望む…望まないに関わらず…。 組織を潰し、ある程度期間が過ぎてから灰原から解毒剤を渡された。 それまでは残党による襲撃の危険性があったから。 『本当に飲む気?』 『ああ。』 『死ぬかもしれないのよ?』 灰原によれば、元に戻れる確率と死ぬ確率は五分五分。 けれど飲む事に躊躇いは無かった。 元々毒薬だったそれの、しかも稀なケースで子供になった俺の場合にしてはその確率でも充分過ぎるほどに思えたから。 『なら、止めはしないわ。』 その代わり、貴方が死んだら私も死ぬわよ。 『俺は死なないさ。』 それに…お前も飲むんだろ? 『ええ。』 貴方に何かあった時に対処できる様、飲むのは貴方の後だけれどね。 『だったら自分の心配しろよ。』 まったく、お前も人が良いよな。 そう苦笑する新一に哀もまた苦笑する。 『そうかもしれないわね…。』 自分がここまで人を心配する様になるなんて思わなかったから。 人を…あの姉以上に心配できる人を持てるなんて思っていなかったから…。 『まあ、戻ったら最初にお前に会いに行くよ。』 『本当は私の目の前で飲んで欲しいんだけど…。』 『それは出来ないって言ったろ?』 あんな風に苦しんでる姿なんかお前に見せれるかよ。 軽く…笑い飛ばす様に言われた台詞は矜持の高い彼ならではのもの。 決して弱い部分は見せてはくれない…そう、自分にさえも…。 それは少し寂しかったけれど、今一番彼に信用されているのは自分だから。 それだけで、満足しなければならない。 これでも充分過ぎるほどなのだ…幸せに貪欲になってはいけない…。 『じゃあ灰原、また明日な。』 『ええ、また明日。』 半分の確率で永遠の別れになる薬を飲む前の挨拶としては淡白過ぎるほどな言葉を残し彼は去って行った。 けれど、彼が死ぬとは思えなくて。 哀はただ静かに新一が出て行くのを見送っていた。 五分五分の確率に勝ち残った新一は、翌日『工藤新一』として阿笠邸に姿を表した。 そして…その日『灰原哀』もまた『宮野志保』へと戻る事に成功する。 けれど、元の姿に戻った二人を待っていたのは決して喜べる現実だけではなかった…。 『また見てるのか…?』 『ええ。』 志保が居る地下室へと降りた新一の瞳に、パソコンの液晶画面の明かりのみに照らされている志保の顔が映る。 それはここ数週間変わらない光景。 そして志保が見続けているのは毎日同じ内容。 それは黒の組織壊滅のその後。 特に志保が固執したのはその遺族についての情報だった。 『貴方を狙ってくる輩が居ないとは限らないでしょ?』 『それを言うならお前の方が危ないだろ?』 自分が『工藤新一』から『江戸川コナン』になっていた事はごく僅かの人間しか知らない。 自分がその事実を伝えた人間から、その事実を突き止められてしまった人間まで。 けれど、外に漏れるような事にはならないように自分はきっちり方を付けてきた。 そして『工藤新一』に戻った。 事情を知らない…いや知り得ない他の人間には自分は狙われるターゲットにはならない。 何故なら組織を潰したのは『江戸川コナン』であって『工藤新一』ではないから。 けれど『宮野志保』の場合は…。 『お前はあの研究所で育ったんだろ?』 『ええ。』 『なら…狙われる可能性が高いのはお前の方だろ?』 『宮野志保』としての顔が割れている彼女の方が自分より狙われることは必死。 『いいのよ、私は。』 貴方さえ…無事に生きてくれるなら…。 貴方さえ幸せに生きてくれるなら…。 『あのなぁ…俺がお前を犠牲にしてのうのうと生きて行ける人間だと本気で思ってるのか?』 そこまで言われて志保は新一の瞳が少し細められ、その瞳の輝きが痛い程に冷たくなっている事に気付く。 『………。』 その瞳の鋭さに志保は思わず言葉を無くした。 こんな目をした彼を今まで見た事はなかったから。 『悪いが俺はそこまで優しい人間じゃないんだ。』 お前を狙ってくる奴が居たら…俺が先に叩くぞ。 『……貴方は探偵でしょ?』 探偵はあくまで罪を暴くもの。 その犯人を追い詰めて…殺してしまったら殺人犯と変わらない、そう常々言っていたんじゃなかったかしら? 『今更だな。』 志保のその言葉に、新一は暗く…そして自嘲気味に苦笑する。 『俺の手はもう汚れちまってるんだよ。』 組織を潰した時からな…。 そう呟く新一に…志保はかける言葉をみつけられず、その場は静かなけれど重い沈黙に包まれる。 『もうそろそろ潮時なのかもな…。』 沈黙を破る様に静かにそう呟いた新一の瞳が何処か遠くを見詰めていて、志保は彼が消えてしまうような…そんな錯覚に陥った。 そう…目の前に居る彼は余りにも……儚かったから。 今にもここから溶けて消えて行ってしまう…そんな感覚すら覚えた。 『工藤君…。』 志保がそんな新一を何とか引き止め様と言葉を捜そうとする…が。 『悪い灰原。ちょっと野暮用を思い出した。』 邪魔したな。 それだけ言うと、早々に新一は地下室から出て行ってしまった。 『野暮用…ね。』 それは彼なりの優しさ…けれどそれは残酷な優しさだった。 自分は彼の事を慰める事すらさせてもらえない。 その事に志保は一人声も上げずにただ涙を零すのだった。 用事なんてある訳じゃなかった。 けれど、あれ以上彼女の前に居ればきっと彼女は…。 それは避けたいと思ったから。 逃げる様に出てきてしまった。 『ったく、失言だったよな。』 あいつの前であんな事言うなんて…。 自分の失態に心の中で毒づきながら新一は阿笠邸を後にする。 門を閉め、自分の家に視線を向けた時…家の前に一人の若い女性が立っていることに気づいた。 その瞳は…何か思い詰めたもので…。 (誰だ…?) 見覚えのある顔ではない。 という事は自分の知り合いではない。 両親のファンか何かかとも思ったが、その表情がその予想を裏切っていた。 (一体…何者だ?) 組織の残党かとも思ったが…雰囲気が少し違う気がした。 暫く意図的にではなく、半ば無意識にその人物を眺めていた新一の方にふとその女性が目を向けた。 二人の視線が合ったその瞬間、その女性の顔色は一変する。 『…工藤新一………。』 自分の名前をかつてここまで重く、かつ憎悪に満ちた響きで呼ばれたことがあっただろうか? 幾多の事件現場やその犯人をを見てきた新一も一瞬その響きに飲まれてしまったほどだ。 だが、直ぐに自分を取り戻し事態の詳細を知る事に努めた。 『僕に何かご用ですか?』 あくまでも普段の礼儀正しい営業用の『工藤新一』として接する。 それが何処までこの女性に通じるか解らないが。 『貴方が私の夫と子供を殺したのよ…。』 憎悪に満ちた瞳の中に、紛れもない悲しみを見つけ新一は戸惑う。 (俺が…殺した…?) 『貴方さえ…貴方さえいなければ今頃私達家族は幸せに暮らしていたのに。返してよ!!夫と娘を返して!!』 泣き叫びながらそれでも憎しみに満ち満ちた瞳は新一を睨み付ける事をやめない。 そして…新一には辛過ぎる一言が浴びせられた。 『何が探偵よ!何が警察の救世主よ!!貴方だって人殺しじゃない!!』 『………。』 その一言で新一は全てを理解した。 ああ、この人の夫と娘は組織の人間だったんだと。 そして…彼等を殺したのは紛れもなく自分なのだと…。 『ねえ…貴方は何人殺したの…?貴方は何人の人間の屍の上に生きているの…?』 『……俺は殺すつもりなんて…。』 殺すつもりなんてなかった…出来ることなら犠牲者なんて出したくなかった…。 心の中で悲痛な叫びが上がる。 それは組織を潰した時からずっと新一の心を切り裂いてきたもの。 『この期に及んでまだそんな綺麗事を並べるの!?貴方のその手はもう血まみれなのよ!!』 だから…死んでくれない? そう言って彼女が震える手で懐から取り出したのは一丁のベレッタ。 そういえば奴の愛用の銃もそれだったな…と、新一は何処か遠いところからその光景を見ているように感じた。 (ここで撃たれるのも悪くはないか…。) 自分が潰した組織。 幾ら犯罪に手を染めた組織であったとは言っても、それに属していた人間を自分は殺した事に代わりない。 それならばいっそここで彼女に殺された方が…その方がいいのかもしれない…。 ならばいっそ…。 そう一人決心すると、新一は静かにその場で目を閉じた。 全ての覚悟を決めて。 『あら、最後は随分と潔いのね。…さようなら、名探偵の工藤新一君…。』 静かに引き金が引かれていくのが空気を通じて伝わってくる。 けれどもう新一にはそんな事どうでも良かった。 そして、完全に引き金が引かれ… ――――パァン 乾いた銃声が辺りに響き渡るのと同時に、新一はアスファルトに叩きつけられた痛みに顔を顰める。 『工藤君!!何やってるのよ!』 目を開いた新一の目に飛び込んできたのは、自分を抱き伏せる形で上に乗っていた志保の顔だった。 『宮野…。』 『貴方は…シェリー…。』 『悪い事は言わないわ、今直ぐここから立ち去りなさい。今の銃声で警察が直ぐに駆けつけるはずよ。』 『くっ……。』 志保の言葉にその女は悔しそうに顔を顰めながらも、素早い動きでその場を立ち去った。 後に残されたのは新一と志保の二人だけ。 『工藤君…貴方どうして…。』 『悪い宮野。助かった。』 志保の問いには答えずそれだけ言うと、新一は静かに身体を起こし自分の家へと向かう。 それ以上彼女に何かを聞かれたくなかった。 聞かれればいらない事まで言ってしまいそうだったから。 自分より…彼女の方が辛いはずなのだ。 幼い頃からあの研究所で育ち…顔見知り程度であっても知っている人間があの中にいた事に代わりはないのだから。 『工藤君!!』 『また…明日な。』 背中にかけられた彼女の言葉に振りかえる事無くそう告げる。 そしてそのまま一人自分の家へと帰って行った。 『工藤君…。貴方はもう…。』 その志保の呟きの続きを聞いたのは夜空に静かに佇んでいた三日月のみだった…。 「これがお前の知りたがっていた全てだよ…。」 これで満足か? 全てを語り終え、静かに新一はKIDを見詰めた。 「……それで自ら命を絶とうと?」 「ああ。」 俺にはそれぐらいしか思いつかなかったんだよ。 俺は彼女から夫と子供を奪ったんだから。 そして…他の多くの人から家族を奪ってしまったから…。 「貴方らしいと言えば貴方らしいですね。」 静かに紡がれた言葉。 しかし、表情はいつものポーカーフェイスよりも冷たく見えた。 「だったら邪魔すんじゃねえよ。」 もう理由は解ったんだからいいだろ。 そう言ってソファーから立ち上がろうとする新一の腕を引き、KIDは無理矢理元の位置に座らせる。 「そうはいきませんよ。理由は解りましたが納得はしていませんからね。」 確かに『貴方らしい』とは言いましたが。 「別にお前に納得してもらいたくて話したわけじゃねえ。」 そう言って新一は捕まれたままの手を引き剥がそうとする。 その新一の様子に更に手に力を込めつつ、KIDは小さな溜息をつく。 「名探偵…貴方は今まで何を見てきたんですか?」 その何もかも見透かしてしまう貴方の瞳は、自分の事はまるで見ようとしないんですね…。 「どういう意味だ…。」 その冷たさを持ったKIDの硬質な言葉は新一の胸にいやに突き刺さった。 俺が…自分の事をまるで見ていない…? 「そのままですよ。貴方はご自分の事をまるで見ていない。それに…周りの人々の事もね。」 「周り…?」 「…貴方はこれ以上人を悲しませたいんですか?」 「違う…俺は…。」 俺は多くの人を殺してしまったから…。 それを償う術を俺は持っていないから…。 だから…これしかないと思ったんだ。 俺さえいなくなればいいと思った…。 「…貴方が居なくなって何が残りますか?」 貴方が殺した人が帰ってくるんですか? それで貴方の罪が本当に消えると? 本当にそう思っていらっしゃるのですか? 「………罪は消えない…でも…。」 俺に他の方法はないんだ…。 血を吐くように辛そうに紡がれた言葉にKIDは幾分雰囲気を和らげると、静かにけれど残酷に告げる。 「…名探偵。それは自己満足以外の何物でもありませんよ?」 貴方が死んでも亡くなった人々は帰ってこない。 それどころか貴方が死ねば、悲しむ人増えるだけなんですよ? 「…自己満足…。」 KIDの言った言葉を新一は小さく口の中で繰り返す。 自己満足…確かにそうかもしれない。 自分が居なくなって辛くなくなるのは…自分だけでしかない。 俺が組織の人間を殺した事実も、その罪も…事実は何も変わらない。 それどころか悲しむ人々を増やすだけ…。 KIDの言葉を噛み締めながら新一は俯いてしまう。 どうして…どうしてそれを考えられなかったのかと。 「貴方程の方がそれすら解らなかったんですか?」 口では冷たい言葉を続けながらも、KIDは心の中ではその痛々しい姿に胸を痛めていた。 (いつも周りの人間の事を考え過ぎてしまう程だった貴方がここまでになってしまうなんて…相当な物だったのでしょうね…。) 自分の姿を取り戻す為。 そしてその組織を潰す為。 この人はどれだけの犠牲を払ってきたのか…。 にも関わらず…その後もどうしてここまで彼が苦しまねばならないのか…。 彼が一体何をしたというのか。 この現実が…彼に降りかかる全ての事実が重過ぎる…この細い肩には。 そっとKIDはその細すぎる肩を引き寄せ、自分の胸に新一の頭を寄りかからせる。 新一は抵抗するでもなく、静かにされるがままになっていた。 その様子に少し安堵しながら、静かに、けれど先ほどよりも優しく語りかける。 「名探偵…貴方なら解る筈ですよ。貴方が生きて行く事こそが罪の償いになるのだという事が。」 「俺が生きて行く事が…?」 「ええ。死ぬよりも生きる方が辛いでしょう?」 その苦しみを抱えたまま生きていく方が何倍も何十倍も辛いでしょう? でも、それが一番の罪の償いなのですよ。 死んだ人々の事を忘れずに苦しみ続けることが…貴方に出来る最大限の償いなんです。 「……そうだな。」 そうかもしれない。 俺はただ死んで楽になりたかったのかもしれない。 逃げ出したかったのかもしれない…この苦しみから。 「名探偵。私を側に置いては頂けませんか?」 「KID…?」 突然告げられたKIDの言葉にその意図が読み取れず、新一は戸惑う。 何故KIDが俺の側に…? 「貴方のその苦しみを私にも分けてくれませんか?」 その苦しみを貴方から完全に取り除いてあげることは出来ないから。 だからせめて貴方の側で、その苦しみを少しでも背負わせて欲しいんです。 「…お前がこれを背負う義務はない筈だ。」 あくまでもこれは俺自身の問題であってお前には関係ない。 その言葉にKIDはやっと『工藤新一』が帰ってきたような気がした。 いつだって周りの事を考え過ぎて一人で何もかも背負おうとする弧等の名探偵。 その存在はあまりに強く…そして儚い。 「義務はありませんが背負いたいんですよ。貴方の苦しみを分かち合いたいんです。」 貴方を独りにしておきたくないんですよ。 その言葉に新一は大きく瞳を見開いた。 「どうしてそこまで…。」 「貴方が好きなんです。貴方以外どうでもいいと思ってしまう程に。」 「………ったく、お前も物好きな奴だよな。」 KIDの突然の告白に新一は小さく、シニカルに笑う。 「もっと平凡な奴好きになれよ。」 「無理ですね…貴方にお会いしてしまいましたから。」 会ったその瞬間に心を奪われた。 強さと儚さを合わせ持つこの弧等の名探偵に。 その日から彼以外見えなくなってしまう程に。 「……いいのか?」 俺はきっとこれからも狙われ続ける。 組織の残党と…その遺族から。 「それでもお前は俺の側に居たいと?」 「ええ。」 貴方の側に居られるならどんな犠牲でも払いますよ。 もちろん貴方を悲しませるのは御免ですから自分の命以外は…ですがね。 「なら…側に居ろ。」 どうなっても知らないからな? 「貴方の側に居られるならどうなっても構いませんよ。」 新一の言葉にKIDは小さく笑う。 それにつられて新一も小さく笑みを零す。 それはこの数日間で初めて零れた笑み。 それと共に胸の中の重く暗い塊が少しずつ溶けていくような気がした。 「なら…まず名前教えろよ。お前の本当の名前を…。」 「ええ…私の名前は…。」 その日から工藤邸に住人が一人増える事になる。 その人物が本当に新一にとってなくてはならない人間になるのはそう遠くない未来。 そして、その存在がお互いの癒しになる。 傷の舐め合いでなく、ただ苦しみを分かち合うだけの存在でもなく。 お互いを理解する事が出来る無二の存在へと…。 END. はぅ…また訳の解らないブツを書いてしまった…ι 後編まで期間が開きまくりだし…。 後編までお付き合い頂き、ありがとうございました♪ back top