瀧口正義先生談(その1)
 稽古の度にある先生がまとめられたものです。私の手元にあるコピーにはお名前がございません(清書された便箋には千葉西高等学校とありますので○○○先生でしょうか?)ので何方かは分かりません。貴重なお話として勉強させて頂きました。
<昭和62年>
相手の技・攻めを見てはいけない。剣道で見過ぎは禁物。

立ち上がった時既に先をとっている。乗っていなければならない。

下腹にうんと力を入れて蹲踞し「獅子の気合」で立ち上がる。

相手が出てきたら、すかさず出れるように。鎬いだらすかさず残心で攻める。

苦しい稽古をしなければならない。楽しむ稽古では駄目。

左拳が動かないように。そしてその状態で突きを攻めて面へ。

暑い時に「暑くない稽古」を、下腹の力の抜けない充実した稽古を。

武道としての稽古
 出頭の小手、たとえ軽くても価値がある。
 相手の剣先がきいているのに面にいき引っかかる。面を打ったものは反省。

初太刀を大切に。充実した一本が出るように。真剣勝負は一本勝負。

打突をだした後はすかさず残心で次にそなえる。
 いつまでも剣先を上げていない。
 常に「現在に生きる」。打ち終わったときにはその打ちは過去となる。

気力を養う稽古を。打った打たれたで喜ぶ稽古でなく。大変苦しいが気力が技となるような稽古を。

自分を出し切って、特に上の先生が気が抜けない、真剣に相手にしてくれるような稽古を。

完全な一本を目指して。

剣道の取り組み方は生半可なものでは駄目。外を犠牲にしてもやり抜く。

同じ相手とやると慣れでマンネリ化してくる。そこでは良い打ちを心がけて稽古を。

気剣体の一致で、気の充実より攻めてしっかりと打ち抜く。

小手を押さえられようと、胴を抜かれようと、また相手がこうやってくるとわかっていてもこれを越えていく。そこに自ずから立派な良い姿勢がでる。無理に打って格好だけ後でつけてもしょうがない。

深く入り過ぎぬように。打突するときに剣先が立たないように。面のやや前をねらってちょうど良い。剣先が伸びて面部に。手首を強くきかせる。

「法定は神の教えの道なれば つとめてはげめ業の源」
「法定は学ぶ程なお遠し 命のあらむかぎりつとめよ」

気の切れない稽古を。
 打った後いつまでも上げていない。気を抜いて間合いを切ろうと退かない。
自分の癖をとっていく。一人剣道では駄目。相手がいる。

素直に打つ。
 上の者を打つことは中々出来ないがそのうちに素直に打てるようになる。

ただ構えているだけでは駄目。
 行くぞという攻めの気持ちで、動いたら打つ気持ち。足から思い切って、状態だけでは駄目。

右手の親指は伸ばしてそえ。打つ時に親指・人差し指をしめる。

現在(いま)を忘れる。
 打突したらいつまでもそれにとらわれず次に。未来あるのみ。

中筋を使う剣道を。
 足は(特に左足の湧泉に重心をかける)湧泉2点で立つ。
 手は小指をしめて、左脇をしめる。

左手の内、手首が構えたときと変わらないように頭上へ振り上げる。右手で引っぱり上げない。剣先が後方へ下がらないように、左拳より右拳が上にくる。この素振りを稽古する。

捨身→相討ち。

蹲踞より立ち上がった時には「先」でなければならない。
 「さあ来い。」「来なければこっちより行くぞ。」という攻めの気持ち、いつでも出られる状態で。
 思い切って捨て身で出る。充実したときに打って出る。

まだまだ気(持ち)がぷつんぷつん切れる。

攻め足
 左足に体重を乗せ、前傾(頭が前に出ないように)しないように、右足を浮かせるように攻め(つま先を浮かせ)、相手が来なければ行き、相手が来れば返す。

足の構えは正対、重心は湧泉2点に。
 手の使い方は、小指、薬指を中心に、親指と人差し指のしめ。素振りで自得する。思い切って打突するまでに勢いのあること。

もっと積極的に攻めていく。前に出てつめながら攻める

気が前に出るような稽古を。休んでいるような疲れないような稽古では駄目。

触れるか触れないかのところから体(腰)を入れて攻め打突を。遠い間合から打てる稽古を。

稽古の仕方
 初一本は先生でも試合のつもりで、後は全力をぶつけてかかり稽古。

第一に気力、第二に気力。
 下腹の充実、ためて一気に爆発させる。
 生きるために身を捨てる。
 充実もせずに無暗やたらに飛び込むのは自殺行為。

左肘が曲がるから間合が近くなる。

構え・姿勢
 打とう打とうと前傾しないように、しっかりと腰をいれて。

右足を十分に出して打突する。

左手(腕)を十分に伸ばし、右手は添え手。
 柄の長さ、手の握りの問題、自分で工夫すること。
 右手に力を入れてブレーキをかけず、打ち切ってしまう。

右足に力を入れずなめらかに。

腰(左拳一致で)より出て打突する。

気剣体の「気」が大切→やる気
 なにくそ、つらいがもう一本と頑張れる気力。

礼→自己充実→打突→残心→礼



<平成元年>
気が大切。「浩然の気」、一番大きな気、やる気が大切。

気力充実させ思い切ってぶつかっていく。

退がらずに相手を崩して打って出る。

肩に力が入っても稽古を重ねることで抜けていく。
 無理に肩の力を抜き、気が抜けたら駄目。

法定と一刀流を併用して学ぶ必要がある。

思い切ってのでが足りない。

握りについて
 振りかぶっても手の内を変えない。
 小指・薬指と親指付け根腹をしめる。

左肘を伸ばす。(打った後剣先が突くように伸びる)

充実していること。常に先の気を忘れず、相手の気の動くところはすかさず打って出る。

間合に入って相手を見ていては駄目。

触れるか触れないかのところから、相手の気の動きを思い切って一足で打ち切る。のんびりした稽古では駄目。三本も打てば息があがるくらいに充実、気をいれて。

起こりがわかってもいいから、そこをつめて練習しないと駄目。それで出頭がわかるようになる。

心がけが大切。「動いたら打つぞ」が大切。
 相手が誘っているかもしれない。攻めているかもしれない。そこを見分けられるようになる。また、相手の構えを見て、どこの間合で打てるかを判断できるようになる。

足を使った剣道を。もっと苦しいつらい剣道を。
 ひとつの所にじっとしていて、打ちたいときに打つ剣道ではなく、相手に従って動き、その中で打つ。引き締まった剣道になる。

相手が無理に打ってきたときは必ず返し技を出す。 
 受けっぱなしにしない。

毎回の稽古で自分の一番良い満足できる面が一本でも打てるように。

「一の太刀はまっすぐ使え、二の太刀からは変化に応じて使え」(柳生流)

「中心の一点」をぶち破っていく。(一刀流)
その為には足の習いと手の習い。手の習いは小指・薬指の下筋で。打つ瞬間に上筋(右手)に力が入ると起こりがわかってしまう。

足→下腹→腕→手→剣先へ気迫がみなぎって出ていく。その勢いで相手をぶち破っていく。

蹲踞のときに下腹に気力充実(吸った息を丹田に)、ぐわーっと立ち上がったときに、手元→剣先に先の気が出るように。相手の気の動いたところを捨てて一本。

切り返しにおける最後の面の気迫、爆発力と一足一刀の面(遠ければ二足一刀で)の大切さ。

残心とは思い切って打って元へかえること。

初太刀の大切さとその気迫を最後まで持続する。

剣道は「浩然の気」を養うために。(一刀流極意)
 正しい剣道で邪な剣道を破る。
 正しい構え、姿勢、気力充実、捨身の繰り返しにより、人間形成につながる。

切り落とし→己の邪心を切り落とす。

位どり
 剣先が触れ合わない間合から始め、触刃さらに交刃となるが、触刃で触れたら、相手の気の動きを思い切って出る修業が必要。苦しいが頑張ること。

打った際に左ひじを十分に思い切って伸ばす。

踏み込み足
 つま先を上げて出ていき、つま先(前部)より着床する。

手の握り
 親指を伸ばす。

攻められたら、そのまま打突するのではなく、攻め返して打突する。

触れるか触れないかのところで勢いよく出る稽古を。
 そうすれば一足一刀の間から楽に打てる。

いいところを出る稽古を。年とっても出られる出足を今のうちに鍛えておく稽古を。

形は若干崩れても出足の稽古を、それからまた形を整えていく。

体がまだ重い。

面打ちの際、竹刀を立ててから出てこない。

左手中心に振り上げる。右手で引っ張り上げない。

一足一刀、生死の間。ここから初めて入るのでなく、ここへ入った時には出ていなければ駄目。
 さらに遠間から攻め合い、触れるか触れないかのところで出る稽古を続ければ腕はあがる。

打って出て相手の剣先がつっかかるのは、機会の悪い所。
 そしてその状態で体を前に出そうとするのは竹刀を刀のつもりでやっていないことに。真剣と考えて稽古を。
 攻め方を変えて色々考えて。(押さえて、突を攻めて)

稽古の仕方に工夫を。
 相手の変化に従って使う。構えて相手に入られたら終わり。真剣勝負。初一本そしてまた初一本と真剣に。
 構えていてただ打たれ、打ちたくなったら撃つのでは、一人稽古と同じ、相手がいるのである。

「習−工−錬」(柳生流三磨の位)
 常に工夫をする。新しい技を工夫するのではなく、習った教えられたことへの工夫をする。
地稽古だけで何かを得ようとしても駄目。その前に一人稽古を。そしてそれを試す、練るのが稽古である。

間と拍子
 面打ちにしても、上より乗って、下より攻めて、表より、裏よりと色々ある。

同じ技を続けて使わない。

ゆっくり大きく打つ場合と小さく早く打たねばならない場合とがある。

 

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