日常的日記


2003年12月30日(火)
コミックマーケット65

11:00会場着。西の列は既に無かった。

数年来の主役不足は打開されていない。
主役となりうる駒としては「ネギま」が最右翼だろう。いい条件でアニメ化されれば、大きな波となる。

その「ネギま」だが、実は読者の感情移入の対象となるキャラが存在しないという、少年漫画としてはかなり異色の構造である。
主人公の成長物語をストーリーの中心に持つこの作品だが、この主人公はどうみても読者の共感の対象にはならない。

この作品が成立するためには、「セーラームーン」から「CCさくら」を経て確立したヲタクによる少女向け作品の享受が必要だった。
言うまでもなく、これらに登場する男性は読者の共感の対象としては作られていない。
その結果として、キャラが相互の関係を結ぶ様子を、読者は全キャラと均等な距離を持ったまま鑑賞できる。

この構造を純化、発展させた少年向けの作品が「あずまんが大王」から「ネギま」、「苺ましまろ」へ続く系譜であると言える。
尚、マガジンの「スクールランブル」は当初「マガジン版あずまんが」と言われたものだが、ハリマが共感の対象となることでその構造を変え、現在へ至っている。

「あずまんが」を経たヲタクが純然たる少女向け作品である「マリみて」を再発見したことは、その意味で優れて今日的な意味を持つ。
その延長線上にあるのが「ネギま」である。

共感の対象となるキャラがいないことは、それ自体としては「萌え」の成立とは無関係である。
今なお、共感の対象となるキャラがいるほうが少年漫画の中心であるし、ゲームにおいてはほぼ必須である。

「萌え」には様々な定義が与えられているが、私は「弱いものに対する庇護欲」という平安の昔からある感情と見たい。

「弱さ」は肉体的なものもあるが、むしろ精神性が問題である。
「強がっているが実は弱い」という要素がこの感情をくすぐる例は多い。
逆に「自分の弱さを克服して自立するキャラ」では物語にはなっても「萌え」にはならないだろう。

だが、加虐欲と被虐欲が表裏一体であるように、庇護の対象であることは同時に破壊の対象でもある。
「萌え」とは「弱さ・儚さ」に対する庇護欲と破壊欲という、二つの谷の間にある稜線上のせめぎ合いなのだ。

そして庇護のもう一つの裏面が被庇護である。
少年向け作品におけるヒロインとは「母性」と「処女性」を兼ね備えた「マリア」である。
既に多く言及されて来たことだが、すべてを赦し、受け入れる「母性」への信仰と甘えが「萌え」を成立させている重要な要素であることは間違いない。
庇護欲・破壊欲が意識上に表れるとき、両者を無意識下で支えているのがこの要素であった。

共感の対象が存在しない作品においては、前者すら無意識下に留まる。
これは、進化だ。言祝ぐべし。

参考
「ギャルオロジィ」 東京大学新月ギャルの会
「マンガージュマン16」 思想悩楼
その他多くの同人誌

2003年12月27日(土)
鋼の錬金術師

ギャグ回と思いきや、渋い所も見せる。

ジュヴナイルってのはこういう話だなぁ。少年が世界の残酷さと自分の無力さに触れて絶望する話。
そのためには大人がちゃんと描けていないと駄目なんで、焔の人は「主人公が大人になった姿」としての意味を持っているんだろう。

その点、これの前番組は大人がまるっきりやるべきことをやってなかったからなぁ。

2003年12月23日(火)
十二国記

第1部はほとんど見てないが、第1部が終わった時点で陽子の物語は完結しているような。
その代わりサブヒロイン二人の成長物語があったわけだが、顔を合わせないままそれぞれに成長してしまったので、二つの番組をザッピングしながら見ているようだった。
かほどさように物語の並行処理は難しい。

昇紘も勝手に自己完結してしまっているし…
「世襲制度」を否定するためにありとあらゆる御都合を総動員している世界設定には違和感があったので、もうすこし頑張って欲しかったが。

サブヒロインが悪役と関係を作る前に成長を終えてしまっている為、悪役の物語に対する支配力が弱まったということか。

2003年12月22日(月)
ジャンプ4・5号

4コマ

起承転結を守っているものと破っているものが半々。
破っている人は本編の作風もそれなりに破れている…かも。

銀魂

作品自体に力はあるが、主人公の行動原理が曖昧。
助けに入るのは解るが、何故そういう行動をするに至ったかの思考の経過が解らない。
過去話なりなんなりの背景を出して、主人公の行動に必然性と説得力を持たせなければ、長期連載は難しいのではないか。

デスノート

意外とセリフはうまくない。
冨樫は説明セリフすら「作品」にしてしまうのだが。

2003年12月20日(土)
人魚の森

ここでも書いたが、桔梗が人魚シリーズのテーマを正統に引き継いでいるのがよくわかる。
犬夜叉が完結したら続き書くのかな。

前シリーズも含めて、原作のトレースに終始していたが、そういう企画なんだろう。
脚本やテーマが全面に出ている最近では珍しいシリーズだし。しかも閑話休題的な話が一話もない。

その点、内容がない「ふもっふ」とかのほうが演出の裁量が大きいのか。

2003年12月18日(木)
サンデー3号 R.O.D ガンスリ
サンデー3号

十五郎


少年漫画が成功する要素として、主人公が読者の「共感の対象」となるか「憧れの対象」となるということが挙げられる。
優秀な主人公ほど二つを兼ね備えているものだが、役割分担するケースも多い。

この作品では「パタリロ」「がきデカ」「レベルE」などと同様の関係が十五郎と女刑事の間にあるので、前者が「憧れ」担当、後者が「共感」担当と言える。
だが、女刑事の年齢や職業の設定上、少年漫画でこのキャラを共感の対象とするのは無理があるように思える。
主人公の位置付けもヒーローなのかトラブルメーカーなのか明確でない。

コメディとしては望みは無くもない。
前途は多難だが。

結界師

学校以外にも舞台を広げるらしい。
メインのストーリーラインはこっちの方向か。

ダイキチ

東条はラスボスにはちと足りない。松筑翁がラスボスか?


R.O.D

複数の物語を平行処理するのはなかなかに高度。

ガンスリンガーガール

「物語」をもたない作品の劇中劇で「物語の完結」を描く。

2003年12月11日(木)
ヤンジャン サヴァイヴ され竜

ヤングジャンプ

エルフェンリート


この作品の後にはペンペン草一本生えない。


サヴァイヴ

不信任を受けたメノリの位置付けは如何に。ハワード以上の火薬庫だ。

されど罪人は竜と踊るV 浅井ラボ

煮詰めたような密度に痺れる。「黒衣の福音」がよかった。
新城カズマもそうだが、真っ直ぐな事を真っ直ぐに言うためには大変な技術がいるものだ。

しかしつくづく思うが、どうしてガユスを中学生くらいに設定しなかったのだろう?
ショタコンの購買力を甘くみてはいかんぞ。

2003年12月8日(月)
ジャンプ2号

銀魂

絵柄も設定もキャラも平凡だが、セリフだけは抜群に上手い。
施川ユウキ同様、彼もダウンタウンの遺伝子を受け継ぐ者か。

デスノート

恐ろしく早い展開。
リューク、ライト、エルと主要キャラが3人しかいない上に直接の絡みがほとんどないのに、このストーリーの密度は凄い。
エルみたいなドリーム設定の完璧キャラを主人公にするととんでもない駄作になるが、電波を主役にしてエルを敵役にするという視点の転換は成功だ。

ごっちゃん

ごっちゃんが弱いことをみんなで隠す、という初期の構造が壊れて以降、主人公の立ち位置が浮いてしまっている。
これじゃまるでスポーツ漫画みたいじゃないか。

2003年12月7日(日)
そーなんだ!

どっちかが勝って終わりということは無いだろうが…
今もっとも先が見えないアニメ。

2003年12月6日(土)
カレイドスター

レオンもだんだん底が見えてきたか。

一期のレイラは芸に厳しいというだけで、客に最高のパフォーマンスを見せるという部分では対立していなかった。
いわば行動原理で対立していただけで目的意識での対立は無かったわけだが、レオンの場合は根本的な目的意識からの対立だ。

失ったパートナーってのは一期でやったネタだし、下手な過去エピソードを入れると一気にヘタレ化する可能性がある。

正念場だ。がんばれ。

2003年12月3日(水)
ROD ガンスリ

R.O.D

悪役の行動に必然性がない等、脚本の整合性はかなり怪しい。
が、その割りにアニタ視点のサスペンスものとしては良くできていた。

作画の手を抜くための演出一点突破の回か。
捨て回としては完璧に近い。

ガンスリンガーガール

ゲストキャラの心境の変化という物語は一応あったが、本筋はあくまでまったり。
特に今回は設定の特異さや関係への萌えという要素が一切ないので、本当に空気のような回だった。
重い内容を薄く描くというのが企画意図なら、象徴的な回ではある。

2003年12月1日(月)
ジャンプ1号 感想

デスノート

読み切りの主人公は薄かったが、連載では強力なキャラを主軸に据えてきた。

毎回主人公を替えた小さな物語をやるのかと思ったら、いきなり世界レベルの物語にしたのは偉い。

ダー!!

若いうちからこんな優等生な作品描いてたらいかんだろう。