自己紹介2022年最終
名前 | けい | |
性別 | 男 | |
住まい | 岩手県 | |
出身地 | 愛知県 | |
年齢 | 50代 | |
身長 | 170センチ | |
体重 | 減量中 | |
家族 | 両親・妻・子供 母はマスターズ陸上3000メートル競歩W75元アジア記録樹立者 |
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所属 | eA東北 | |
資格 | JAAF公認ジュニアコーチ 日本スポーツ協会コーチ1(旧 日本体育協会公認陸上競技指導員) |
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適当な年表・・・適当なことをかなり言っているので冗談半分で見て下さいね(^o^) | ||
小学校 | 中日ドラゴンズ入りを目指して野球をやってファーストで活躍。 王貞治の引退にショックを受け、同じ日に引退。 |
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中学校 | 未来の中東の笛の危険を察知し、ハンドボールを始める。 キーパーで活躍。 しかし、北京オリンピックのやり直し予選に声がかからず、引退。 |
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1980年代 | テレビで見た初代タイガーマスクに憧れ、プロレスラーを目指す。 体重は順調に90キロまで増えるも、身長が伸びず。 |
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1985年 | 某プロレス団体の後楽園ホールに殴り込み。 門前払い。 |
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1986年 | オリンピック選手に出会い、プロレスラーからオリンピックへ道変更。 | |
1987年 | 体重を62キロ級まで減量して、レスリングで某団体の練習にテスト生で2ヶ月参加。 多くのオリンピックメダリスト、選手達と一緒に練習。 試合では3戦3敗。 スパーリングではコテンパンにやられ、世界の凄さを思い知らされる。 |
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1988年 | 不合格通知。 オリンピックの夢破れる。 |
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1989年頃 | 俳優を目指す(^o^)・・・(嘘) ハリウッド映画kabuto(兜)の撮影に連れて行かれる。 いきなり鎧を着せられ、背中には旗、槍を持たされる。 関が原の戦いの徳川の槍隊ということで、馬と一緒に2日間走る。 私に話しかけるなれなれしい親父がいて退屈せずにすむ。 あとでその親父は主役のショーコスギと知るがあとの祭り。 失礼なことをかなりしたので俳優の道は諦める。 |
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1990年代 | 職場の対抗ロードレースで優勝し、いろんな人にちやほやされる。 特に女性からたくさん話しかけられ、速く走るともてると勘違いしてマラソンの世界に入る。 |
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1991年 | 河口湖マラソンで2時間41分で完走。 某実業団のテストに声をかけられ、河口湖マラソン翌日から参加するも不合格。 |
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1992年 | メジャー大会、別府大分毎日マラソンに出場。 | |
1992年から | 親が岩手に住み出したんで、親元に行く。 | |
2000年代 | (写真はディック東郷とけい) みちのくプロレス会場で昔の血が騒ぎ、4代目タイガーマスクに挑戦。 握手はしたが、写真撮影をタイガーは断り逃亡。 近くにいたディック東郷が代わりに挑戦を受けることに。 とりあえずノンタイトルマッチで写真撮影のみ行なわれる。 しかし、ディック東郷が新日本プロレス等参戦でスケジュールが合わず、未だ実現せず。 |
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2004年以降 | 化学物質過敏症を発症。 結構辛い日もあるが、運動療法で走りながら、化学物質過敏症と格闘。 7年の闘いに勝利。 |