「おすかさま。 きたよ〜」



「あぁ、お嬢ちゃんか。よく来たな。待ってたぜ」



















執務室で、オスカーはを待っていた。



が訪れたときにはすでに仕事を終らせていたらしく、



執務用のデスクに軽く腰を掛けて好みのカプチーノを味わいながら、一息入れていたところであった。



がそばへ寄ると、オスカーはデスクにカップを置き



身をかがめての顔を覗き込む。



















「んー?どうしたんだお嬢ちゃん。泣いた後のようだな。目が少し腫れてるぜ」





「じゅりあすさまの おへやで、ここ ごんっ て したのね?



そしたら ないちゃったの。かわいそうねー」

















まるで他人事のように。



それでもぶつけたところをオスカーに見せながら、はジュリアスの部屋での出来事を話した。

















「そうか…それは可哀想にな。もう痛くはないか?」



「うん。いっぱい ないたから もう いたくないの」



「ならいいが…気をつけるんだぜ?お嬢ちゃんの可愛い顔に傷でもついたら大変だからな」



「?」

















ウィンクのひとつもしてそう言うオスカーであったが、にはまだその言葉の意図は伝わらなかったようだ。



苦笑いしつつも、オスカーは再びに話し掛ける。

















「で…ジュリアス様とはほかにどんなことをしてきたんだ?」



「ごほん よんで もらったの」



「…ジュリアス様にか?」



「うん。じゅりあすさま ごほん よむの じょうずなの」



「そ、そうか…」

















その時のジュリアスの姿はとても想像できなくて、オスカーは適当に言葉を濁した。



そんなオスカーの気持ちなど知る由もないは、これまでの事を話し続ける。

















「ヴィーさまに おようふく きせて もらって、るみえーるさまと おえかきして



らんでぃさまと おにごっこ も したの。ね はしるの はやいよ〜。



それでね、ぜふぇるさまと いっしょに ごはん たべたんだよ?かれーだけどパンになったの」

















よほど楽しかったのか、小さなは身振り手振りを交えてこれまでにあったことをオスカーに報告した。



時々笑いながらそれを聞いていたオスカーは、の報告が一段落したところで



自分が考えていた今後の予定をに聞かせた。

















「お嬢ちゃん、馬は好きか?お嬢ちゃんさえよかったら、オレの馬を見に行かないか?



お嬢ちゃんと遠乗りに出かけるのはさすがにまだ無理だろうが…」



「…うま? ほんもの みたこと ないの」



「そいつはいい。少しならオレの馬に乗せてやろう」



「うん」

















予定が決まり、二人は連れ立って聖殿を出た。



オスカーの馬場に行くための近道にと庭園を通り抜けようとしたオスカーと



しかし庭園へ入った途端、思いがけない足止めに遭った。



庭園に居合わせた娘たちに、オスカーが取り囲まれてしまったのだ。



どこへ行くのか、これから一緒に過ごす時間はないかと詰め寄る娘たちにはさすがに少々面食らうオスカーだが、



それでも一人一人に受け答えるところはさすがと言おうか。



















オスカーを取り囲む娘たちの輪からすっかりはじき出された



それでもじっと、オスカーの用事が済むのを待っていた。



人垣の後ろからじっとオスカーを見つめている



立っているのに飽きるとしゃがみ込み、足元の草をむしって時間を潰す。



早く行こうと…本当は声をかけたかったけれど



そんなことをすればオスカーが困ってしまうと思うとそれも出来ない。



放って置かれる寂しさを我慢しているのか、だんだん表情も暗くなってくる



けれどオスカーも、大勢の娘たちに囲まれていながらも視界の片隅にはずっとを捉えていた。



の眉が下がってきて、もう完全にうつむいてしまうと思われたその時

















「待たせたな、お嬢ちゃん」



「わっ!」

















取り巻きの輪を抜け出したオスカーは、ひょいとを抱き上げて



あっという間には、オスカーの右肩に座らせられていた。

















「すまないな、お嬢さん方。今日のオレは、このリトル・レディと一緒に過ごす約束なんだ」



「おすかさま もう おはなし おわったの?と あそぶ?」



「ああ。さあ、行こうか?」



「うん!」

















小さな少女を肩に乗せて立ち去るオスカーを、娘たちは呆然と見送る。



そんな視線を受けて庭園を抜けたオスカーとは、程なく目的の場所へやってきた。



炎の館の裏手にある厩



馬場の柵の前にを待たせたオスカーは、厩から鞍をつけた馬を一頭連れ出してきた。



艶やかな栗毛のその馬は、オスカーに従って大人しくの前で歩を止める。

















「…どうした?お嬢ちゃん…」



「………うぅ〜………」

















馬が近づいてくるにつれて、の顔から笑みが消え…なぜか表情が強張っている。



すっかり体を固くしていたと思いきや、の様子に怯えたのか、馬が微かに戦慄いた途端



は側にあった木の陰まで逃げ出していた。

















「お嬢ちゃん?」



「いやッ!うまは こっち きちゃ いや なのッ!」

















馬を引いたままだったオスカーがのほうへ歩き出そうとすると、が叫んだ。



なぜか涙目で…

















「…まさかとは思うが…もしかしてお嬢ちゃんは馬が怖いのか?」



「…だって…おっきいよ…?」

















小さなの目線で見あげる馬の姿は、恐ろしいものに映ったようだ。



馬の手綱を柵にかけ、オスカーはのそばへ寄った。



片膝をついてに視線を合わせたオスカーは、の頭に手を置いて話し掛ける。

















「いいか、お嬢ちゃん。馬ってのはとっても臆病なんだ。馬だって初めて見るお嬢ちゃんのことを怖がってるんだぜ?



お嬢ちゃんが怖がれば、それが馬にも伝わって暴れ出す。怖がらずに優しく撫でてやればいいのさ。」



「えー…」



「馬に乗るのは楽しいんだぜ?乗ってみたくないか?」



「う、うん・・・ 」

















オスカーが手を引いてやれば、は黙って馬の側へ。



オスカーに促されるままに、は馬へそっと手を伸ばした。



けれどもやはり怖いので、その手は途中で止まってしまう。

















「うま…かじる?」



「ははっ。そんなことはしないさ。大丈夫。この馬はとっても大人しいんだ」



「うん…じゃあ さわるね。のこと かじっちゃ だめよ?」

















馬に向って言い聞かせるようにそう言った後、の手はとうとう馬の顔に触れた。



最初は恐る恐る…けれど馬が大人しいとわかると、は両方の手のひらで馬の顔を撫でていく。

















「わ・・・ あったかいねぇ…」



「どうだ、まだ怖いか?」



「う、ん…だいじょうぶッ」



「そいつはよかった。じゃあ今度は馬に乗せてやろう」

















その言葉が終らないうちに、オスカーはを抱き上げていた。



馬の背にを乗せ、間を置かずにオスカーも跨る。



馬は高さがあるもので、それにが怯える前に後ろからしっかりと体を支えてやると



後ろにオスカーがいる安心感からか、は馬上からの景色を楽しむ余裕すら見せていた。



















「たかーい!すごいね〜」



「あまり暴れるなよ?馬が驚くからな」



「ね、おすかさま。うまに のって どこいくの?」



「そうだな…聖地を一回りしてみるか」

















本当は馬場を回るだけのつもりであったが、思いのほかが落ち着いているので



起伏のない道を選んで少し遠出することにした。



聖殿の前を通り、庭園の裏を抜け、森の湖で一休み。



草の上に座るオスカーに見守られ、はあちらこちらと動き回る。



















「ねえ、おみず おいしい?」



「くさ たべてるの?にんじん じゃないの?はね、にんじんの ほうが すき〜」



「この しっぽ いいねぇ〜。も ふさふさの しっぽ ほしいなぁ」

















最初はあんなに怖がっていた馬を気に入ってしまったらしいは、



馬が動くたびについてまわり、話し掛けることを止めない。



あまりにも馬の周りをちょろちょろするに、たまらずオスカーは声をかけた。

















「おい、お嬢ちゃん。あまりしつこくすると馬に蹴られるぜ。



そろそろオレの相手もしてくれないか」



「えー」

















オスカーの相手よりも馬と遊びたいと言いながらも、はオスカーの隣へ。



オスカーに並んで腰をおろすものの、大人しく湖を眺めていたのは少しの間だった。



じっとしているのは退屈らしく、周りに生えていた花を摘み始めた。

















「そうだ。お嬢ちゃん、ちょっとそれを貸してみな?」

















が摘んだ花を受取ったオスカーは、器用にそれを輪にしていく。



出来上がったのは花冠で。



頭に載せられたそれを、は不思議そうに手で触れて確かめていた。



そしてそれが何なのかを知ると、途端に笑顔を作る。

















「ね、にあう? かわいい?」



「ああ、お嬢ちゃんによく似合う。こうしてると、まるでお嬢ちゃんが花になったようだな」



「えへ。おすかさま すごいね。 こんなの つくれないよ」



「オレぐらいになると、女性の喜びそうなことは一通りできるんだぜ?」



「そっか。だから さっきの おねえちゃんたち、 おすかさまのこと すき なんだね」



「ん?」

















一人で納得するに、オスカーは怪訝そうな顔を向ける。



するとは、にっこり笑って言った。

















「おすかさまは かっこいいし、やさしいでしょ?だから、おんなのひとは みんな おすかさまのこと すき なの」

















こんなことを言われたのは、なにも初めてではない。



むしろ言われ慣れているといっても過言ではないのだが…



まさかの口からこんな言葉を聞くとは思わなかったオスカーは、一瞬自分の耳を疑ってしまった。



いまのは子どもであるのだが、だからこそ口に出る言葉はの本心なのではないだろうか。



ということはつまり、本来のもオスカーのことをそのように見ていたと考えられる。



オスカーがどんな賛辞を送ろうとも軽く受け流していた



けれど本当は、オスカーのことをかっこよくて優しいと思っていた…?



にわかには信じられないのだが、そこはオスカーのこと。



小さなを前にしても、フェミニストぶりを発揮する。

















「かっこよくて優しい…か。嬉しいことを言ってくれるな。それがお嬢ちゃんの気持ちか?」



「うん」



「そうか。じゃあ、次に誘ったときは断わらずにオレとデートしてくれるのかな?」



「でーと って、すきなひと と するんじゃ ないの?」



「お嬢ちゃんはオレのことが嫌いなのか?」



「ううん。すき〜」



「ははッ。なら問題ないだろう?」



「うーん、でも…」



「でも?」

















もちろんオスカーは、をからかうつもりでこんなことを言っているのだ。



けれど小さなはそれを間に受けて、本気で悩んでいるようだ。



そんな姿を見てやはり子供なのだと思いつつ、これはなかなか面白いと思うオスカーは



に返事を促した。

















「さあ、どうする?お嬢ちゃん。オレとデートの約束をしてくれるのか?」



「えーっとねぇ…おっきいが いいって いったら、 おすかさまと でーとするね」



「…おっきいか…それは強敵だな…」

















の返事には、さすがのオスカーも頭を抱えたくなった。



女王候補との親睦を深める意味では、何度となくに誘いをかけたことはある。



そういう場合はも乗ってくるが、純粋にデートとなれば話は別で。



は容赦なくオスカーを跳ね除けるのだ。



がもとの姿に戻ったとき、もしがこの会話を覚えていたとしたら…



デートどころか、年端もいかない子どもになんてことを言うのかと、窘められるのは目に見えていた。

















「なあ、お嬢ちゃん…大きいは、オレとデートしてくれると思うか?」



「しらなーい」



「…他人事みたいに言わないでくれ…」

















これ以上小さなをからかうのは危険だと判断したオスカーは



再びと共に馬へ跨り、森の湖を後にした。



『馬上のオスカー』



彼に憧れる娘たち曰く、彼の乗馬姿は勇壮で一見の価値があるらしいのだが



この日目撃された乗馬中のオスカーには、どこか悲壮感が漂っていたそうである。













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