「あれぇ…ぜふぇるさま いないねぇ」

















ゼフェルの執務室のドアは半分ほど開いていた。



そこからひょっこり顔を覗かせて部屋の中を覗いてみるが、ゼフェルの姿はない。



ここまで送ってくれるはずだったランディは急用ができたらしく



王立研究院の職員が迎えにきたため、聖殿の入り口で彼とは別れた。



通いなれたゼフェルの執務室までの廊下をここまで駆けてきただが、肝心の主がいないのだ。



これからどうすればいいのだろうと、はその場で腕組みをする。



しかし程なく、ゼフェルは姿を現した。

















「お?なんだおめー、もう来たのかよ」



「あーッ ぜふぇるさま いた!」

















どこかに出かけていたらしいゼフェルはの前まで歩いてくると、



小さなを見下ろして、いかにもうんざりしているような顔をする。



守護聖全員での面倒を見ることになったとき、最後まで嫌がっていたゼフェル。



やはりいまいち乗り気ではないようだ。

















「もう!だめよ ぜふぇるさま。やくそく したら ちゃんと おへやで まってなきゃっ」



「はぁ?んなもんオレの勝手だろ」



「えーっ」



「えーっじゃねぇ。ほら、とっとと行くぞ」



「あ、まって〜。どこいくの?」

















立ち止まってを待つこともなく、ゼフェルはさっさと先を歩く。



ゼフェルとは、守護聖と女王候補という関係以外、特に接点もない。



しかしたまに口を利くとき、はゼフェルの言動をそれとなく窘めることがあるのだ。



執務態度に小言を言われることは度々あるが、に指摘されるのは、人としてのマナーやルール。



の方が年上でしかも女王候補であるとはいえ



守護聖仲間以外からそんなことを注意されることなど滅多になくなっているゼフェルは正直いつも戸惑う。



普段は必要以上に立場の壁を越えようとしないが、急に見せる大人としての一面。



そんなに、ゼフェルは苦手意識をもっているのだ。



理路整然とゼフェルの間違った言動を指摘するには、反論できない迫力を感じることもあって



ゼフェルにとっては、いわゆる「女版ジュリアス」なのである。



そんな相手と一緒に過ごさなければならないのかと思うと、自然とゼフェルの歩調は速くなるのだ。

















どんどん先を歩くゼフェルの後を追うと、行き着いたのは鋼の館。



何も言われないままに、はゼフェルの私室まで着いていく。



工具やら部品が散乱して足の踏み場もない部屋



なれた足取りで中へ進むゼフェルは、さっさと椅子に落ち着いた。



は周りの物を踏まないようにと慎重にゼフェルの側へ。

















「ぜふぇるさま ここで なにするの?」



「ん?あー…オレはちょっとやることがあんだよ。おめーは適当に遊んでろ。



あ、あんまその辺のモンいじるんじゃねーぞ」

















作りかけのメカを手にしたゼフェルはもうそっちに夢中で



一人残されたは、部屋の中を見回してみる。



折に触れてゼフェルがいたるところからかき集めている数々の部品…というか廃品。



中には子どもの玩具らしい物もいくつかあって、はそれを手にした。



タイヤのない車、片足の取れたロボット、電池のないおもちゃの携帯電話



それらを使い、は一人芝居をして遊びだしたようだ。



だが…ふとの独り言が止み、代わりにため息が聞こえてきてゼフェルは顔を上げた。



床に座り込んで遊んでいた。少し元気がなくなったように見えるが…

















「…おい…どうかしたか?」



「あのね  おなか すいたの…」

















急にが大人しくなったのは、エネルギー切れが原因らしい。



ゼフェルが時計を確認すれば、もう昼過ぎだ。



そう言われれば、ゼフェルも空腹を感じる。

















「じゃあメシにすっか。お前、カレー食えるか?」



「うん! かれーらいす すき〜」

















食堂に入ってテーブルにつき、待つことしばし。



鋼の館に仕えている使用人が、二人分のカレーを乗せたワゴンを押しながら隣の厨房から現れた。



ゼフェルとと、それぞれの前にカレーの盛られた皿を並べてくれる。



いただきますと手を合わせ、スプーンを手にしたは人参を掬って口へと運んだ。

















「げッ!なんだよおめぇ、きったねーな!」



「うぇ〜…からい…」



「だからって出すなッ!」



「 からいの いやぁ〜」

















一旦は人参を口へ運んだだが、予想外の辛さにすぐそれを吐き出してしまった。



スプーンをテーブルに戻して水の入ったグラスに飛びつくも、



水を飲んでも辛さが消えないのか、手足をばたつかせて気を紛らわせている。

















「これぐれえじゃなきゃカレーっていえねぇだろう。この辛さがいいんじゃねーか」



「した ぴりぴりする…いた〜い…」



「ダッセーな。ま、今のおめーはチビだからしゃーねーか」



「そうなの。子どもは からいの たべちゃ だめ なの」



「んなことねーよ。オレは昔っから辛いの好きだぜ?」



「子どもが からいの たべるとね、 せ が おっきく ならないんだって」



「…マジ…?」

















身長に多少のコンプレックスをもつゼフェルは、の言葉に一瞬目を見張った。



今までの激辛嗜好だった食生活を思い返しては、



成長期であるにもかかわらず思うように身長が伸びない理由がここにあるような気がして



知らず知らずのうちに冷や汗をかくゼフェル。



しかし、すぐに我に返った。



悲しそうな顔をしたが、再びスプーンを手にしたためだ。

















「おい、無理して食うことねぇんだぜ?」



「うん…。 かれー たべれないから ごはんだけ たべる…」

















カレーのかかっていない、ライスの部分だけを口に運んだ



よほど変った嗜好の持ち主でない限り、ライスだけを食べて満足できるはずはない。



現にも、非常に不満そう。



それでも取り立てて文句を言わないのは、の性格ゆえか。



こんなに小さいころから我慢することを知っていて、我侭も言わないのだ。



人によってはそんなを褒めるのだろうが、ゼフェルは子どもらしくないその態度に呆れ顔。



の前からカレーの皿を取り上げると、ゼフェルは食堂を出て行った。



そして再び戻ってきたとき、その手にはサンドウィッチの乗った皿が。



厨房にいた料理人に事情を説明し、ちょうど作り置きがあったサンドウィッチを分けてもらってきたのだ。

















「おめぇはコレな」



「…かれーは?」



「辛くて食えねぇんだろ?」



「でもね すききらい したら おこられるよ…」



「誰にだよ。第一、おめぇのは好き嫌いじゃねえだろが」



ぱん たべても いいの?おこられない?」



「ッだーッ!いちいちうるせえな。誰も怒りゃしねーよ。いいからさっさと食え。腹減ったんだろ?」



「うん!ぜふぇるさま どうもありがとう」

















そう言うと、はようやくサンドウィッチに手を出した。



一口食べて、「おいしい」とゼフェルに笑いかける



お礼を言われたり笑いかけられたり



ゼフェルにとっては苦手な相手のはずなのに、



子どもの姿であるとはいえそんなことをされれば、少しだけ悪くはないと思ってしまう。



生来が照れ屋のゼフェルは、気恥ずかしさを紛らわすかのようにカレーを頬張る。



その結果として、よりずいぶんと早く食事を終えてしまった。

















「オレ先に行ってるからよ。おめぇはゆっくり食ってろ」



「 ぜふぇるさま ごちそーさまは? たべた おさら もっていかなきゃ だめよっ」



「…やっぱおめぇはおめぇだよな」

















姿は変っても中身はそのまま。



やっぱりは口うるさいのだとうんざりするも、不思議といつもより苛立たしい気分にはならなかった。



それはの姿が子どものものだからなのか、言い方がいつもよりストレートだからなのか



ゼフェルにもわからない理由が、いろいろあるのかもしれない。

































「ぜふぇるさま〜」



「あ?」

















作業の続きをしていたゼフェルの元に、食事を終えたらしいが戻ってきた。



けれどその手には、なにか器を持っている。



ゼフェルの側まで来ると、は嬉しそうな笑顔を見せた。

















「ぜふぇるさま もも すき?」



「あ?桃だ?」



「うん、でざーと なの。おさら もっていったら こっくさん が くれたよ。いっしょにたべよ」

















ゼフェルの返事も聞かず、フルーツ用のフォークにカットされた桃を一つ刺して



はそれをゼフェルに向けて差し出した。

















「いや、オレは…」



「いやー おちちゃうっ!ぜふぇるさま はやく あーんして!」



「お、おおッ」

















水気を含んだ桃は今にもフォークから滑り落ちそう。



に急かされて、ゼフェルは思わず口をあけた。



ゼフェルの口に桃を運び終えたは満足そうに笑い、今度は自分の口へとフォークを運ぶ。

















「あま〜い。おいしいねぇ」



「あー、まあな」



「つぎは また ぜふぇるさまね」



「オレはもういらねぇから。お前、全部食っていいぜ」



「だめ! はんぶんずつ たべるの。はいッ」



「…チッ…しょうがねーな…」

















強く断われないのは、本気で嫌だと思っていないせいなのだろう。



別に食べたいわけでもなかった桃をに付き合って食べたり



そのあとで図書館に行きたいと言った



自分の作業を中断させてまで連れて行ってやったりもした。

















約束の時間がきてと別れたゼフェル。



何度も振り返っては自分に手を振るの姿がやがて見えなくなると



らしくなかった自分の行動の数々を思い出して急に恥ずかしくなったゼフェルは



いまいましげに床を蹴って舌打ちをした。



けれど行動とは裏腹に、その表情は晴れやかなもの。



なぜならゼフェルにはその時、の笑顔も一緒に思い出されたのだ。



にはまたうるさいことを言われるのだろう。



それはそれで嫌なのだけれど



少なくとももうゼフェルは、を苦手だと思ってはいなかった。













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