大陸もすでに夕暮れの時間。
ここは常に平和な時を刻んでいる。
安定した気候と豊かな大地。
が与えた恵まれた基盤の上で、民たちは穏やかな暮らしを送っていた。
まだ原始的な部分を残しつつも、勤勉で向上心に溢れた民たちは秩序ある社会のルールを作り出し、
皆が一様に、まだ見ぬ明日への希望に満ちている。
そこにはの望んだ大陸の姿が広がっていた。
『…結局、駄目なのは私ってことよね。』
定期審査終了後、大陸に降りた。
遊星盤の上から大陸の様子を眺めつつ、はため息をついた。
守護聖たちから、自分は女王に足る人物ではないとの評価を受けて、傷つかなかったわけではない。
育成に問題はなくとも、女王には向かない…つまり、否定されたのはの人間性なのだ。
技術はいくらでも補える。しかし、自分を変えることなどできるのだろうか。
「…やるしかないわよね…」
本当は、女王試験などもうどうでもいいと思う自分もいる。
適性がないのならさっさと外界に戻り、新しい仕事でも探してまた初めからやり直したほうが賢明だと
ここに来るまでは正直そう考えていた。
だけど…目の前に広がるのは自分が作り出してしまった世界。
ここには確かに生きている民たちがいる。
そして彼らは、という名の天使が自分たちを導いてくれると信じているのだ。
自分が試験を放棄することは、そんな彼らを裏切り、見捨てることと同じ。
そんな真似は…できない。
適性がないから、女王になれないからというのはの都合。
彼らには関係のないことだ。
例えそれが自分ではなくとも、新しい女王が決まり、民たちの未来が保障されるまでは
飛空都市に留まり、彼らを導いていかなければならない。
それはわかっているのだけれど…こんな気持ちのままで、
果たしていままで通り、意欲的に試験に臨むことなどできるのだろうか。
もう、守護聖たちにどう接すればいいのかすらわからなくなっているというのに…。
大陸から戻ってみれば、飛空都市はもう暗かった。
寮へ戻り、まっすぐ食堂へ向かう。
アンジェリークはもう夕食を済ませた後のようで、テーブルに残っている食器は1人分。
出された食事を口にしていると、女王候補の世話係をしているシャルロッテが現れた。
「あら、さん。お帰りなさい。今日は遅かったんですね?」
「…ええ。ごめんなさい、片付けを遅くさせてしまって」
「いえ、いいんですよ。…あ、そうだわ。さんにお荷物が届いてましたよ?」
「…私に?」
「ええ。お部屋の前に置いておきましたから」
「…ありがとうございます」
そうはいうものの…送り主に全く心当たりはない。
アンジェリークには時折、外界の両親から手紙や荷物が届いているようだが…。
ひとまず食事を済ませ、は部屋へ急いだ。
シャルロッテが言うように、ドアの横に段ボール箱が置かれている。
近寄って送り主の名前を確認すれば…
それは飛空都市に来る前夜、自分を励ましてくれたからの荷物。
「なによこれ…ちょっと…重いんですけど…」
カギを外してドアを開け、何とか荷物を部屋へ引っ張り込む。
明かりをつけて箱を開ければ、中には一通の手紙と…
「…お酒…?」
箱の中に入っていたのは、大量のワインやブランデーなどの酒瓶。
何事かと思って手紙を開けば、懐かしい友人の筆跡が事の次第を説明していた。
元気でやってるか?女王試験はどんな調子だ?
お前のことだからうまくやってるとは思うけどな。
陣中見舞いってわけでもないけど、差し入れだ。
飛空都市がどんなとこかは知らないけど、こういうのは
手に入れにくいんじゃないかと思ってな。これで足りない
ようならいくらでもまた送ってやるから、いつでも言えよ。
じゃあまあ、頑張れ。
「…バカじゃないの…?」
からの手紙を読んだあとの第一声はそれだった。
だけど…そう呟いたの表情は明るい。
外界にはもう自分の居場所などないと思っていたけれど、こうして自分を気にかけてくれる存在がいる。
それだけのことが、なんて心強いのだろう。
部屋を見回せば、一角にまだ解かれていないダンボールの箱が積んである。
ここに来るときに持ってきた荷物…整理する気になれなくて…。
生活に必要なものだけを出して、あとはそのままにしていたのだが…。
そのうちの一つを漁れば、ワインオープナーとグラスはすぐに見つかった。
が送ってくれた荷物の中からワインを1本取り出してコルクを抜き、グラスへと傾ける。
トクトクと注がれるワインの音が耳に心地よい。
高い位置から、充分に空気を含ませて注いだワインを口にすれば
アルコールに喉を焼かれる感覚が、いやに懐かしく感じられた。
「おいしい…」
時には仲間と、時には1人で。
沈んだ気分を盛り上げたくて、こうしてお酒の力を借りた。
酔って騒いで…明日への英気を養っていたこと。
女王試験に招かれてまだ半年も経っていないけれど、すっかり忘れていた。
アンジェリークよりふさわしく在ろうと、常に女王候補らしく振舞ってきたが…
自分とはそういう人間だっただろうか。
仕事は仕事。プライベートとはきっちり割り切っていたはず。
寮に帰ってまで女王候補であろうとするなんて…いままでの自分はなんて余裕がなかったのだろう。
女王になれなくたって、ここで試験を受け続けなければならないことは変らないのだ。
だったらここでの生活を楽しめばいいではないか。
「…なーんだ…」
久しぶりに飲んだワイン。
そのせいで、酔いのまわるのが早かっただけかもしれない。
明日の朝には、また同じように思い悩むかもしれない。
けれど確実に、思いがけない親友からの贈り物は、いまのの心を救ってくれた。
「あー月、出てる…」
グラスを片手にカーテンを引いたら、見事な月が浮かんでいた。
ここは飛空都市。
聖地ほどではないにしても、女王のサクリアで守られた特殊な空間。
聖域と呼んでもいいほど清浄な空気が、余計に月を綺麗に見せるのだろうか。
窓辺を離れたは、おもむろにコルクを抜いたワインの瓶を掴んだ。
稀にない美しい月の光に魅せられて、はふらりと外へ出て行った。
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